第20話 迷宮迷路Ⅷ 無明の虚無/シャドウ・ゼロ



 『恐慌フィアー』の状態異常から回復した後も、俺はまだ立ち上がれずにいた。

 ……一度折れた心が、再び敵に立ち向かうことを拒否するのだ。


(くそ、くっそ……! 見た目だけ変わっても、ランクだけ白銀シルバーになっても、結局俺自身は無能な【調教師テイマー】でしかないってのかよ……!)


 悔しい。

 情けない。

 自分自身の弱さが、憎い。


 まだティアと出会う前。どれだけ努力しても芽が出ずに、『世界を旅する冒険者ワンダラー』どころか普通の冒険者にもなれず、いつまでも底辺でもがいていた時期を思い出す。

 何者にもなれない苦く暗い日々。


 あの頃も、自分だけが地べたに蹲っていて、他の冒険者たちが闘う背中を眺めていた。

 あの時から俺は、何一つ変わっていないのか。


「くるるるるる……」


 そっと、俺の手にティアの触手が重ねられた。

 

 つるんとして、ふわふわとした毛触り。

 触れているところからティアの熱が仄かに移ってきて、冷えた俺の掌を温めた。


 ——そうか。そうだよな。

 俺はゆっくりと、立ち上がる。


(俺は何一つ変わっていない)


 センスがない。努力はした。タイミングが悪かった。……いつまで“理由探し”をしているのだろう。


 俺が弱いのは、

 立ち上がってこなかったのは、

 ただ俺に『勇気』が無かっただけだ。


 冒険者になりたい。世界を自由に旅して周りたい。そう本気で願いながらも、同時に失敗や挫折を恐れ、「無力な自分」を突きつけられるのを恐れ、いざという場面で自ら前に出ようとしなかった。——それは、自ら選んだ不戦敗。「消極的な敗北」だったのだ。


 勝利ではなく、敗北をいくら重ねたところで人間は何も変わらない。変われない。


 だけど、今なら分かることが一つある。

 いつまでも俯いたまま、後ろから眺めているだけだから何も変わらないのだ——!


 心に【勇気】を注ぎ込め。

 【決意】と【覚悟】で火花を散らせ。


 ——その【意思】を燃焼させろ。

 

「カッコ悪いなぁ俺。——ごめんな、ティア。待っててくれたんだよな?」

 

「きゅるるるっ!」


 隣でティアが笑う。

 やっと気が付いたの?とでも言うように。


 ——そうだ。俺が一人じゃ何もできないなんて、そんなことは前から知っていただろう? だけど、は、まだ負けちゃいない!!


「いこう、ティア!!」

 

「きゅるるるるるるるるっ!!」


 ティアの細い触手が俺の肩や腕、腰に巻き付いて、俺の体を空中へと運ぶ。そして、今や高さ十メイルを超える大きさに成長したティアの頭の上に乗せてくれた。柔らかくて硬い二本の角に捕まって、俺はティアと一つになった。


 『精神結合マインド・リンケージ


 新しい身体に、ティアの感覚が重なる。

 人間だったときには理解し得なかったティアの多層的な知覚を通じて、まるで新しい瞳を授かったかのように世界の見え方がアップデートしていく。


 ——ああそうか。

 俺にも理解わかってきたぞ。

 この身体は、ティアと同じ世界を見るために、同じ世界に居られるように『変態メタモルフォーゼ』したものなんだ。


 はじめて『精神結合マインド・リンケージ』を使った時のような、頭が捻れて吐き気がしてくるような悪酔いパッドトリップが来ない。


 世界は穏やかに緩やかに広がり続ける。

 色彩を伴って鮮やかに艶やかに緩やかに円運動を始め、埃を被って眠っていた百年前のレコード盤が自分でも忘れていたウタを思い出してもう一度高らかに歌い出す。

 

 そうしたら、ほら。

 世界にはこんなにも歓びが満ち溢れている。


「るるるるるるるるるるるるるるるるるるる」


 なんだか、とても、気分がいい。

 ううん、ちょっと違うかな。


「ティア」

 

 とても、



「————腹減ったなぁぁ」


『きゅああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

 


 お腹が減って、減って、しょうがないんだ。




 ++


 時は少しだけ遡る。

 

 イニィ・ラピスメイズは、少し焦っていた。

 ——自分の召喚した不死の軍勢が、徐々に押され出していることに気が付いたからだ。


 黒い粘体の魔物は、自身の体の形状やを変幻自在に変えたトリッキーな闘い方で、強大な攻撃を繰り出していた。

 ——薄く引き延ばされた二枚の大きな板状の物体に挟まれて、部隊の四分の一が一撃でペシャンコに潰された時は「ウソでしょ?」と我が目を疑った。


(くうぅ! やっぱりスペースが足りないのです! 『死霊軍勢レギオン』をこすには通路が狭すぎて展開できないしっ! 持ってきてた触媒じゃ【召喚サモン】できる鬼神デーモン悪魔デヴィル霊格ランクも頭打ちだしっ!! 亡者兵デッドマンたちを再召喚するための『瘴気ミアズマ』も全然足りないしーーっっ!!!)


 敵の攻撃を不死兵や下位の悪魔などを盾にして直撃を回避しつつ、イニィは徐々にジリ貧に追い込まれる自陣をなんとか立て直そうと必死に奔走していた。


 世界最高峰の【屍霊魔導師ネクロマンサー】にして、『混沌奏者カオスプレイヤー』の二つ名で呼ばれる最高位の冒険者は、その実、超人でも天才でも無かった。

 

 イニィは自分が直接戦闘に向いていないことが分かっている。だから、自分の戦場を『後方支援』に限定して、そこを


 【屍霊魔術ネクロマンシー】は倹約家のための魔術体系だ。


 高位の神格や天使などの『召喚』と比べて、下位の悪魔や死霊を『喚起』することには特別な手順や条件を多く必要としない。——つまり“才能が無い者”でも、誰にでも再現できる。


 その代わりに【屍霊魔術ネクロマンシー】の行使には大抵の場合、それに見合うだけの『代償コスト』を要求される。

 それは「術者の魔力」の場合もあるし、「魔石や宝石などの触媒」や「魔獣や人の遺骸」のようないくらでも換えが効くものも、「空間に散逸する前の魂魄」「その“場”に残る怨念」「特定の思い出」など、一度消費すれば二度と代わりを用意することができないものも存在する。

 ……言わずもがな、強力な英霊を呼び出し、使役するためには重たい代償コストが必要となる。


 誰にでも使える汎用魔術。

 ——そこに「代替不可能な代償」という賭け金チップ上乗せレイズしてようやく、イニィ・ラピスメイズは強大な【屍霊魔導師ネクロマンサー】と成り得ていた。


 だが、そんな重たい代償コストを全ての戦場でホイホイ気軽に使えはしない。

 限られた手持ちのリソースの中で、維持する。そのための資源管理リソースマネジメントこそがこの魔術体系の真髄だとイニィは考えていた。


 だからこそ。

 戦況を予測し、戦闘の推移の予定を立てて、開戦までに必要十分なリソースを事前に投入している。

 ……別にナギにおだてられなくても、戦場に魔法陣を設置するくらいは普通にするのだ。


(つまり、悪戦苦闘している時点で、最初の戦況予測からして見誤っているということ。——うーん、ナギくんに格好付けたからにはもう少しは保たせたいですが……やはり、


 目の前の敵の「底」は、まだまだ見えない。

 ……そもそも、深層域で目撃した時の奴と、今そこにいる奴は同じ敵なのだろうか。


 深層域でイニィが見た「万魔の首魁リングリーダー」は多腕多眼を持つ強大な魔人、『百腕巨人ヘカトンケイル』であった。——それは、このダンジョンの『迷宮主ダンジョンボス』に匹敵する恐るべき敵であったが、だとイニィは判断していた。


 だが、目の前の敵は明らかに「違う」。


 黒く変幻自在の身体を持つ魔物。

 類似する存在すら既知の中にはいない。

 

 正に、『無明の虚無シャドウ・ゼロ』とでも呼ぶべき恐敵。


 ——見ているだけで正気を奪われそうになるほどの圧力プレッシャー

 ティアの存在こそ異質だが、本人自体はまだ経験の浅い冒険者であるナギがああなるのも無理はない。……イニィですら、怖気を感じるほどなのだ。


「——ですが。弱音も弱気も、自分を助けてはくれません。ナギくんにそれが少しでも伝わるように、先輩らしく足掻くとしましょうか!」



 イニィは危機の中にあって笑う。

 心に一つの【勇気】の火を灯して。

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