幕間 月隠に消ゆ


「はぁーぁ。全く、生きていくのは難しいねぇ。嫌んなるぜ」


 王都ガルガンディア。

 冒険者ギルドのあるエリアからは離れた、歓楽街の路地裏。


 ギース・クロムウェルはボロボロの格好で地面に座り込み、れた煙草に火をつけていた。……手持ちの煙草はダンジョンから脱出する際に落としたようだ。ついでに財布も。仕方がないからその辺の道端に落ちているシケモクを拝借している。


(あーーー。久しぶりだな、この味)


 煙草が、ではない。

 一敗地に塗れて、地面にへたり込み、立ち上がることもできずに空を見上げているこの瞬間の味。——敗北の味だ。


「たまらねぇなぁ。またに出戻りかよ。まぁ、しゃーねーな。今回はツキが無かったぜ」


 ギースは精神メンタルを切り替える。

 負けは負け。それ以上でも以下でもない。

 死にさえしなければ人生は続くのだ。


 そうとなれば、今回の始末について確認してみる必要がある。ギースは得たものと失ったものの収支を指折り数えだす。「手持ちの道具の確認」は、【猟師ハンター】としての基本中の基本だ。


「えーっと、まず手下どもだろ? あいつら名前なんていったっけ? 使えねぇウスノロばっかりだったし被害額はゼロだな。よし、次」


「俺の装備品。えー、、、色々ねぇな。だがまぁ、この『十徳小剣商売道具』だけありゃ他は現地調達でもなんとかできる。はい、実質ノーダメ」


新人冒険者の三人ガキども……ありゃ元々使い捨ての駒のつもりだったが、えらい負債に化けやがったなぁ……。なんか最後の方、人間辞めてやがったな、アイツら。ここは負債マイナスだな」


 そして。


ナギとティアクソガキとバケモノ……奴ら転送罠で飛ばされた先で死んだかな? 死んだらいいなーくらいのつもりだったから最後まで見てねぇしな……。。んで、奴はめちゃくちゃ怒ってあの化け物連れて俺を殺しにくる、と……はいここ超負債マイナスっ!」


 確認完了。負債まみれ真っ赤っかだ。


「やれやれなんてこった、だぜ。笑えもしねぇし、明日もねぇときた。せめて煙草くらいは自由に吸いたいもんだ」


「はい、落とし物ですよ」


「お、俺の財布と煙草! いやぁ、ありがてぇ〜地獄に女神とはこのこと……おん?」


 ギースに煙草を差し出したのは、ダンジョンで不気味に現れた新人冒険者の小娘アリサだった。


「……」


「…………」


「………………(しゅぼっ)」


 ギースは煙草に火をつけると、ゆっくりと大きく一服吸い「ぶはぁああああ〜〜〜〜

うめぇーー」とまたも大きく吐き出した。


「……意外と、じたばたされないんですね。もっと悪足掻きされると思っていました」


「しねぇよぉ、そんな面倒なこと。どうせこんな商売だ。今日死ぬか、来週死ぬか、その程度の違いなもんだ。だったら俺は、今は煙草が吸いたいね」


 ギースはアリサの出現を気にも留めず、煙草をプカプカ続けて吸っていく。


「——お前さん、神様って信じるか?」


 出しぬけに、ギースはそう問いかけた。


「……えぇ、信じています。私は直接会いましたから」


「かはは、会ったか。いいねぇ、そう言い切れるのは若いってことだ。羨ましいねぇ」


「……バカにしているんですか?」


「いんや。大真面目さ。……オッサンはな、神様なんか居なけりゃいいのに、ってずっと思ってるからな」


「それは、どういう……?」


「疲れちまったんだよぉ。神様ってのが居るなら、こんなクソみたいな状況から救ってくれるはずだ、って何度思ったことか。……神様がいるなら、なんで俺を助けてくれないんだ、ってな」


 思わず、アリサは口をつぐむ。 

 ……同じように思ったことは、一度や二度では無かったからだ。


「お前。お前ちゃんよぉ。……神にすがるなとは言わねぇが、すがる神はちゃんと選んだ方がいいぞ? オッサンはそう思うけどなぁ」


 ……話しながら、ギースが三本目の煙草に火を付けたところで、アリサが止めた。


「……流石に吸いすぎです。もういいでしょう? 我が主命を果たすため、貴方には同行していただきます。……? っ、からだ……が」


「お、。どんだけニブチンなんだよてめーは」


 アリサは突如自分の身体が鉛でできたかのように持ち上げられなくなり、その場に座り込んでしまう。……身体が痺れて、動かない。


「特製の痺れキノコの毒煙草、三本も吸わせやがって。俺が肺がんになったらどーする」


 反対に、当の毒煙草をスパスパ吸っていたギースはなんの影響もなく路地裏の地べたから立ち上がり、出がけの駄賃とばかりにアリサのポケットから財布を掻っ払うと、


、ねぇ。……お前の神様とやらが何かなんて知らんし、知りたくもねぇが。? あー、もう手遅れなら知らんがな」


 と捨て台詞を残して、路地のさらに深い裏側に消えていく。


「……あと。こんな子供騙しに引っかかってるうちは、まだまだてめーは人間様だよ。じゃあな、お嬢ちゃん」


 そして、ギースはこの街から姿を————






、ちゃんちゃん。で、いいじゃねぇかよ! なんだこのクソ演出は!?」


 ギースはまだこの街の路地裏から逃げられないでいた。


「ぎーすさーん。ぎーすさーん。ぎーすさーん」


「ひどいっすよ、おれたちおいていくなんて」


「まってくださぁいよぉぉぉーーー」


「誰が待つかっ、このクソ三下どもがっ!」


 路地裏の角から、明らかに様子のおかしい手下たちの声だけが迫ってくる。

 どう考えてもあの声に追いつかれたらアウトだろ、とギースは早々に逃げを打つ。


 そして再び、ギースはダンジョン脱出の焼き直しのように今度は王都の路地裏を疾走する羽目になった。


(くっそ!? なんだってんだ今日は! 本格的に厄日だぞ!!)


 だが、おかしい。振り切ることができない。

 冒険者の中で、ギースほどこの街の裏通りに精通している人間はいない。そのギースが知りえるありとあらゆる細道や壁の上、果ては下水路までを這って進んでいるというのに声は一定の距離を保って聞こえ続ける。


(……くっ、やべーな呼吸が……)


 麻痺キノコを煎じた粉を詰めた毒煙草は副流煙にこそその効果が乗るように製作していた。が、やはり三本も吸うと多少の効果を受けてしまう。普段はどうということもない疾走で、呼吸が乱れはじめていた。


「はぁ、はぁ、はーっ。あー、くるしっ。……畜生、ヤメだヤメだっ!!」


 ギースは突然路地の開けたスペースで立ち止まる。そして、振り返って相手を待った。

 ……そして、影から三人の手下だった者たちが姿を表す。


「よぉ、お前ら。……あらあら、妙ちくりんな格好になっちまいやがって」


「ぎぎ、ぎーすさーん、ぎーす、ぎーす」


「ひどいっすよひどいひどいひどいひど」


「まってくださいよォォォおおおおお」


 全員。

 目玉が失われて眼窩には真っ黒な闇が詰まっていた。

 同じ言葉を狂ったように繰り返している口の中には、何か白い紐状のものが何本も密集して蠢いているのがちらりと見えて、ギースはゲンナリする。


「あー、お前らもうそっち側に行っちゃったのね。ざーんねんだわぁ」


 少しも残念じゃなさそうな声で三人の惨状を嘆きながら、ギースは無防備にてくてくと近づいて行く。


「じゃあな、ライル」


 一人。


「あばよ、マーキス」


 二人。


「えっと、誰だっけ? えー、あー、そう! グゥエル! ……ちゃんと死んどけよな?」


 三人。


 右手持った『十徳小剣ヴァーサタイル・グラディウス』と左手に三人分の心臓。


 神業と呼ぶに相応しい動きで、ギースは瞬く間に三人の手下達に安寧の眠りをくれてやった。

 ——『解体』という技能に限り、今や一つの到達点である『特異技能ユニーク・スキル』の水準にまで至ったナギに、はじめに『解体のイロハ』を教えたのは、他ならぬ【猟師ハンター】ギースであった。……師であれば当然、同等以上のことはできる。


(……ちゃんと死んだか? 死んだよな?)


 若干、手応えが変だった。気がする。

 ……決め台詞を吐いた手前、これで殺せてませんでした、では立つ瀬がない。


 ギースはそっと後ろを見る。


「よーし、セーフ! ちゃんと死んどけカスどもがよぉ!!」


 持ってた心臓をポイ捨てし、死体に一発ずつ蹴りを入れる。

 ……蹴りを入れ終わったら、それで本当に三人との別れは済んでしまった。


「……ケッ。簡単におっちにやがって。最後まで使えねぇ奴らだったぜ。本当に使えねぇ。全然全くこれっぽっちも使えねぇなぁぁ」


 その愚痴に付き合ってくれる者はもういない。居てもいなくても同じなら、居たほうがマシだとギースは思うタイプであった。


(……ふん。ちょびっとだけ、負債マイナスだな)



 月がかげる。

 路地裏に落ちる月光が途切れた一瞬のあと。

 もうそこに、ギース・クロムウェルの姿は無かった。

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