第32話 決別

 リシュナの機転で何とか生き延びたアッシュとシオンは、東の果ての洞窟より遥か南西の草原の真ん中に放り出されていた。春の爽やかな風が吹き抜ける中で、アッシュとシオンの感情は絶望のどん底に突き落とされていた。


「すぐに戻らないと、リシュナが危ない!」と、アッシュ。


「……今行っても死ぬだけだ、やめとけ」


 弱々しい声でシオンがぼそりと呟いた。その瞬間、カッとなったアッシュは息を荒げながらシオンの胸ぐらを掴み上げた。


「……離せよ」


「もういい、僕だけでも洞窟へ戻る」


 アッシュはシオンの胸ぐらから手を放し、吐き捨てるように言った。


「ダメだ」


「じゃあどうしろっていうんだよ! そもそも、あいつらはシオンが追っていた聖血魔導会の残党なんだろう!?」


「そうだ」


「じゃあどうして……」


「聖血魔導会にとって、霊薬の作成は目的に至るための手段でしかない。ヤツらの悲願は古き血の絶滅だ。アッシュをおびき寄せるエサとして、リシュナを利用するはず。推測の域を出ないが、簡単にリシュナの命を奪うような真似はしないだろう」


「……奴らはリシュナを連れて、一体どこへ行こうとしているんだ?」


「霊薬を作るために、エルフの血と守護竜シドラの血が必要だとヤツらは言っていた。その言葉を信じるならば、守護竜シドラの元へ先回りできれば、奴らに会うことはできるだろうな」


 そう言いながら、シオンは刀を背中に差し、周囲をぐるりと見渡した後、北に向かって駆け出そうとした。


「待てよ、どこに行くんだよ。守護竜シドラはどこにいるっていうんだ?」


「自分で勝手に調べればいい。今後、俺とお前は別行動だ、もうついてくるなよ」


 シオンが凍てつくような目でアッシュを見下ろし、冷たく言い放った。そして、音速の流纏走術により、一瞬にしてその場からいなくなってしまった。

 胸にぽっかりと穴が開いたような感覚がアッシュを苦しめた。アッシュ自身に責任がないということは、おそらくアッシュもシオンもわかっていただろう。真の悪は聖血魔導会だ。


 しかし、頭では理解していても、感情が追い付かないのだ。魔女グレアの陰謀により、アッシュとリシュナを危機に晒したという自責の念もあるだろう。

 なによりも、魔女グレアはシオンの妹アオイを呪った張本人。あの魔女を殺さねば、アオイの体内に侵入した毒は決して消えることはない。いつも冷静ぶっているが、今のシオンはきっと焦っているのだろう。


「そういえば、母さんとグラトさんが兄妹って……」


 その時、遠くから何かが近づいてきていることに気が付いた。頭の整理が追い付かない中で意識を削がれ、アッシュは少しイラついていた。しかし、その感情はあまりにもあっさりと鎮まることになる。


「あれは……羊の群れか?」


 彼方まで広がる雄大な草原の先に見えたのは、無数の羊の群れだった。その中には、見覚えのある人影もあった。人影はマントを羽織っていて、長い牧羊杖を持っていた。杖の先からは、僅かだが魔力を感じる。


「おーい、アッシュくん!」


 大きく手を振る男の影。それは、かつて魔法屋に依頼に来た羊飼いのリックだった!





 冬を越えて春になり、羊飼いのリックは羊の大群を引き連れて牧草地から牧草地へと渡り歩く旅に出ていたのだ。羊たちの中には、当然メルルポンやメグーナといった、アッシュに協力してくれた心優しい羊たちも混じっていた。


「久しぶりですね、アッシュくん。仕事は順調ですか?」


「え、ええ、まあ……」


 状況を説明するわけにもいかず、半端な返事しかできなかった。だが、アッシュのよそよそしい態度は、リックを心配させるのに十分な効果があった。


「ふむ……もしかして、シオンくんと喧嘩でもしましたか?」


 そうではない……が、ほとんど正解に近いような気もした。少ないヒントから相手の内面を察する能力の高さは、さすが羊飼いとでもいうべきだろうか。


「まあ、そんなところです。ところで、ちょっと訊ねたいことがあるんですが……」


「なんだい? 私が知っていることであれば、何でも教えましょう。アッシュくんには恩がありますから」


「実は今、守護竜シドラを探しているんです。どこにいるのか、知ってたりしませんか?」


 アッシュが訊ねると、リックは少し驚いた顔をした後、うーむと考え込んだ。


「守護竜シドラは伝説の存在。ですが、我々の村は精霊が張っていると言われる結界によって実際に守られていますし、おそらく精霊は実在しているのでしょう。彼らの王がいてもおかしくはありません」


「もしかして、精霊ならシドラの居場所を知っている……!?」


「そもそも精霊に会う方法があるものか、私は知りません。ですが、きっと彼らなら知っているでしょう。なにせ、シドラは精霊たちの王なのですから」


 リックの言葉を聞いて、アッシュの表情は一気に明るくなった。絶望的な状況に一筋の光が差し込んだのだ。守護竜シドラの元へ辿りつく方法が見つかった。


「大丈夫、を僕は知っている。それじゃ――」


「ああ、アッシュくん。ちょっと待ってください」


「何ですか?」


「シオンくんと何があったのか、詳しくは聞きません。でも、これだけは言わせてください。次にシオンくんと会ったら、きちんと話し合うのですよ。彼はあなたの大切な友人なのだから」


「……そうですね、わかりました。ありがとう、リックさん」


 リックに別れを告げ、アッシュは流纏走術で駆け出した。聖血魔導会の連中より早く守護竜シドラの元へ辿りつけるかはわからない。


 だが、考えている暇はない。アッシュは全速力で野を越え山を越え、遥か西の果てにそびえ立つ神の棲む山へと向かった。





 アッシュと別れた後、シオンは北へ向かっていた。昨夜世話になった集落へ立ち寄り、ユイマに夫ゼマルの死を伝えるためだった。報告を聞いたユイマは膝から崩れ落ち、大粒の涙を滝のように流した。

 その後、集落の長に守護竜シドラの居場所を訊ねたが、参考になるような情報を得ることはできなかった。


「時間がない、急がなくては」


 シオンは快足を飛ばし、数時間かけて山脈を越えてエルレミラへ戻った。途中、何頭か魔獣と遭遇したが、無視するしかなかった。今自分が優先すべきことはリシュナ、そしてアッシュを守ることだ。

 エルレミラへ到着した後、シオンは商人トッドの自宅に立ち寄った。シオンはトッドに“幻の薬”は無かったと手短に説明した。トッドは悲しみに暮れたが、シオンに対して何か文句を言うようなことはしなかった。シオンはひたすら頭を下げることしかできなかった。


 魔法屋に帰ってきたシオンは、こっそりとグラトの部屋に忍び込んだ。かつて大賢者と呼ばれていたグラトの部屋ならば、守護竜シドラに関する情報が書かれた文献があるかもしれない――そう思ったのだ。


「ん、これは……日記?」


 シオンの目に入ったのは、分厚い日記帳だった。付き合いの長いシオンでも初めて見るものだったが、外観から察するに、ずいぶん古くから使っている日記帳のようだ。

 さすがに勝手に開くわけにはいかないと思い、日記を横へどけようとした。だが、少し思うところがあり、シオンは日記を手に持ったまま少し考え込んだ。


「グラト先生の居場所は把握しておくべきか。この緊急事態だ。直近の日記くらいは見ても構わないだろう」


 気は進まないが、リシュナのためだ。そう自分に言い聞かせ、シオンはグラトの日記を後ろから慎重に開いた。そこには、昨日の日付と共に、数行の文章が綴られていた。


『守護竜シドラの力が弱まっている。このままでは、いずれ各村を守護する精霊が張っている結界も弱まり、人類は魔獣による甚大な被害を受けることになるだろう。その前に、私が何とかしなくては。家族を守るため、子どもたちを守るための犠牲ならば本望だ。私は守護竜シドラが住む北方の精霊山へ行かねばならない。すまぬ、シオン。後は任せた』


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