第15話 平和な朝、敵の影


 眩しい朝日が牧場を照らす。可愛い羊たちは平和を噛み締め、今日も草を食んでいる。数日ぶりに、羊たちは仲間の数を減らさずに朝を迎えることができたのだ。


 日光が窓から差し込む時間になっても、アッシュとシオンは目を覚まさなかった。激しい戦闘と過度な魔力消費により、身も心も疲れ果てていたのだ。リックが心配し、何度も2人の様子を見に来ていたがが、一向に起きる気配はない。

 太陽が真上まで昇った頃、ようやくアッシュが目を覚ました。ちょうどリックが様子を見に来たところで、身体を起こして眠たそうに目をこするアッシュを見て、ほっとして胸をなでおろしていた。


「よかった、起きたのですね。死んじゃったのかと思いましたよ」


 リックが微笑みながら冗談を飛ばす。いや、本当に死んだのかと思っていたかもしれない。何しろ、夢も見ないくらい熟睡していたのだから――そういえば、夢を見ない夜なんていつぶりだろう、とアッシュは思った。

 自分の頬をペチペチと叩き、「よし」と呟いて立ち上がる。不思議なことに、起きてからは身体の疲れをあまり感じていなかった。むしろ、いつもより身体が軽く感じるくらいだったのだ。


「リックさん、食事と寝床をありがとう。シオンが起きたら、僕たちはエルレミラへ帰るよ」


「そうですか……寂しくなります。それまではゆっくりしていってくださいね」


 そう言って、リックは扉を開けて外へ出ていった。小屋の中は静寂に包まれ、シオンの静かな寝息のみが響いた。アッシュは再び横になり、シオンが起きるのを待つことにした。

 その時、コンコンと小屋の扉をノックする音が聞こえた。「はーい」と返事したアッシュは外へ出てみたが、誰の姿も見当たらなった。


「あれ、おかしいな」


 ふと、何か気配を感じて、視線を下に降ろす。すると、そこにはアッシュを見上げる可愛らしい2頭の羊がいた。メグーナとメルルポンだ。


「やあ、アッシュ。あんたら、もう帰るんだって? あたいら、リックがぶつぶつと独り言を溢していたのを聞いちゃったのよ」


「めぇ~、君たちのおかげでリックに笑顔が戻ったのである。このメルルポンが羊たちを代表して礼を言いに来た。どうもありがとう、めぇ~」


 2頭の羊はまるでお辞儀をするかのように、首を垂れている。ふわふわの毛に包まれた可愛らしい顔には、満面の笑みが溢れているように見えた。


「こちらこそ、礼を言いたいよ。君たちの協力がなかったら事件は解決できなかった。本当にありがとう。リックと楽しく暮らしなよ」


 アッシュも心から微笑んで感謝の意を返した。


「……何、誰と話してんだ?」


 突如、背後から声がした。振り向くと、寝ぼけた顔をしたシオンが立っていた。シオンは視線を羊たちの方へと移し、納得したような表情を浮かべつつ、うんうんと頷きながら小屋の奥へと戻ってしまった。


「それじゃあ、メグーナもメルルポンも元気でな。またいつか会おう」


 そう言って、羊たちとの別れの挨拶を済ませた。扉を閉め、小屋の中へ戻ると、刀を腰ではなく背に差したシオンが腕を組んで待っていた。


「もういいか、帰るぞ」


 待ち疲れたような顔を浮かべてシオンが言う。


「どっちが待ってたと思ってんだよ」


 アッシュが口をとがらせて言う。シオンは扉の方へ歩いていき、無言で外を指さして、そそくさと出ていった。





 遠くでリックが手を振っている。アッシュも同じようにして手を大きく振り返し、シオンは背を向けたまま片手を上げて応えた。


「さて、もう昼を過ぎている。今から歩いて進めば、夜になって魔獣と遭遇するリスクが格段に高まるわけだが――」


「誰かさんがちょっと寝過ぎたかな」と、悪戯顔のアッシュ。


 イラッとした表情を浮かべつつ、シオンは話を続けた。


「昨日、俺が猛スピードで駆ける姿を何度か見ただろう? あの技を使い、夕方までにエルレミラへ帰る」


「待ってくれよ、それじゃあ僕は置いてきぼりじゃないか」


「羊を丸呑みした魔法使いを倒した時、お前は例の技――流纏走術るてんそうじゅつを使っていただろう。忘れたとは言わせないぞ」


 ハッとした。確かにあの時、アッシュはシオンの音速の剣技に呼応するような動きを見せ、閃光魔法を至近距離で放った。あれこそが、流纏走術だったのだ。


「ええと、あれは無意識でやっていたから、覚えているかと言われるとちょっと怪しくて」


 アッシュが気まずそうに言うと、シオンは気だるそうに「はぁ」とため息をついた。


「天才ってやつは、基礎ができてねぇのに何でもやれちまうから厄介だ。まあ、この技術はそんなに難しくはないはず。体内の魔力を微弱に放出し、壊れない程度の出力で履物に纏わせるんだ」


「シオンが武器に魔力を纏わせるのと似てるな」


「似てるどころか、全く同じだ。“魔力流纏まりょくるてん”で履物を強化し、地を蹴る力を増幅させることで走力を底上げする。戦闘面でも役立つから覚えておくといい」


「だが、どうして履物なんだ? 自分の足の裏に魔力を纏わせる方が、感覚的にはやりやすそうだけど」


「履物が壊れるだろ」


「ああ、そうか」


「とりあえず、やってみろよ」


 そう言われ、アッシュは魔力を履物に纏わせるイメージを脳内で描き出した。昨日の戦いの経験を胸中で反芻し、意識を集中させる。すると、だんだんと身体が火照ってきて、力が湧いてくるような感覚を得た。

 直感頼りだったが、湧き上がる熱を小さく絞っていき、体内で降下させていく。そして、足の裏を通して履物に流し込むと、わずかに履物が光ったような気がした。


「できたかも」


「よし、じゃあ行くぞ。ついてこれなかったら、置いていくからな」


 そう言うと、シオンは北へ向けて目にも止まらぬ速度で駆け出す。シオンの言葉に驚きながら慌てて大地を力強く蹴り上げると、アッシュは風を切り裂くような音速の世界に飛び込んだ。

 物凄い速度で美しい荒野の風景が流れていく。これがシオンの見ていた景色なのか。アッシュは新たな世界に入り込んだような気持ちになって、思わずニヤリとした。


 村から出なければ、このような体験もできていなかっただろう。最初は、どこか遠い場所へ行けるならば、どこでもいい。ここではないどこかへ行ければそれでいい、とアッシュは考えていた。


 ――魔法の世界についてもっと知りたい。


 いつの間にか、アッシュはそう思うようになっていた。自分の大切なものを、自分の居場所を見つけられそうな、そんな予感がしていたのだった。





 秋の荒野を颯爽と駆け抜け、日が沈む前にはエルレミラに到着していた。衛兵とあいさつを交わし、門をくぐって町へ入る。


 衛兵の詰所の横を過ぎ、魔法屋がある通りをアッシュとシオンが進んでいく。夜風に乗って、食欲を刺激する良い匂いが周辺の民家から漂ってくる。ちょうど夕食の時間かと思った時、アッシュの腹の虫がぐおぉーと音を立てた。


「腹、減ったな……」


 アッシュが力なさげにぼやく。それもそのはず、南の村からエルレミラの町まで、普通ならば3日かかる距離を半日で走ってきたのだ。体力も魔力も大きく消耗し、へとへとだったのだ。

 一方で、シオンは戦闘で受けた傷が生々しく残っているにもかかわらず、少しも疲れたようなそぶりを見せていなかった。


「アッシュは身体に力を入れ過ぎだ。それに、魔力の使い方にも無駄が多い。まあ……こればかりは経験を積むしかないな」


 シオンが目を細めつつ悪戯っぽい口調でたしなめると、アッシュは「はいはい」と絞り出すような声で気だるげに返事をした。

 ようやく魔法屋に到着し扉を開けると、まるで2人が帰ってくるタイミングがわかっていたかのようにグラトが出迎えてくれた。カウンターテーブルの前に置かれた客人用の椅子に腰を掛けている。昨日初めて会ったはずなのに、何故かとても懐かしく、心地よい温もりをアッシュは感じていた。


「おかえり。ずいぶんと時間がかかったようだな。何かあったか?」


 暖かい部屋の中で、ゆったりとした格好でくつろぎながらグラトが言う。グラトはアッシュと目を合わせた後、ゆっくりとシオンの方に顔を向け、そのまま視線を下に降ろした。


「ふむ……」


 シオンの身体をくまなく見ると、グラトは立ち上がり、カウンターテーブルに立て掛けていた杖を手に取った。そして、杖の先端をシオンの傷口にかざし、何か聞き取れぬ言葉を呟いた。刹那、シオンは膝から崩れ落ち、苦しそうな呻き声を上げた。

 

「う、うぐっ……はっ……はぁ……」


 アッシュが慌てて腰を落とし、シオンの身体を支えるようにして寄り添った。


「シオン、大丈夫か!?」


 すると、シオンはゆっくりとアッシュの肩に手を乗せ、荒い息遣いと共に小さく「大丈夫だ」と言った。その時、アッシュはシオンの身体に起きていた事象に気が付いた。

 シオンの右脇腹、左肩、脚に空いた小さな傷穴がみるみるうち塞がっていったのだ。おそらくグラトの治癒魔法によるものだが、強力な魔法故なのか、副作用的に鋭い痛みがシオンを生じていたのだろう。しばらくすると傷は完全に塞がり、シオンの苦しそうな呼吸も次第に落ち着いていった。


「働き通しだったからな、シオンはしばらく安静にしていなさい。報告も明日でいい。2人とも、今はゆっくりと休みなさい」


 そう言うと、グラトは再び杖を元の場所に戻し、客人用の椅子に座り直した。しかし、シオンはよろよろと立ち上がると、険しい表情で首を横に振った。


「そういうわけにはいきません。グラト先生、リシュナはどこですか」


 リシュナ――魔法屋のもう1人の従業員で、クリーム色の綺麗な髪と赤く美しい瞳が特徴的な童顔の女性だ。人見知りなようだったが、打ち解けてみると明るく活発な印象で、まるで太陽のように笑顔を輝かせる楽しい人だった。


「今日は疲れてしまったようで、リシュナは早々に寝てしまった。何か用があるなら明日に――」


「いえ、好都合です。リシュナには聞かせたくない話なので」


 難しい表情を浮かべてシオンが言うと、グラトも改まって真剣な眼差しをシオンに向けた。アッシュは「自分は聞いていていいのかな」と胸裏で思いつつ、その場に立ち尽くしていた。


「今日、俺たちはを討伐しました」


 シオンの言葉を聞き、グラトの表情がこわばる。


「……間違いないのか?」


 グラトが疑り深く確認する。


「彼奴の首筋に刺青がありました。それと、アッシュが古き血であることにも気が付いている様子でした」


「そうか……だが、その様子だとんだな」


「ええ、初めて見る顔でしたから」


 2人の話について行けず、置いてきぼりを食らっていた。だが、自分の“古き血”にもかかわりがあるならば、アッシュは黙って聞いているわけにはいかなかった。


「聖血魔導会ってなんなんですか?」


 そう訊ねると、2人は鋭い視線をアッシュへ向けた。少しの沈黙を置いて、グラトが口を開く。


「聖血魔導会とは、排他的で過激な“新しき血”至上主義の思想を持つ魔法使いたちが集う組織だ。20年前、聖血魔導会と我々“古き血”の間で抗争が起こったのだ。彼奴らの目的は、古き血の絶滅だった」


 目を見開いて驚くアッシュに構わずグラトは続けた。


「当然、私は抵抗するべく戦いに参加した。“古き血の継承者”は全員が私やアッシュのように優れた力を持っているわけではない。戦場で多くの仲間たちの死に触れた。途中、私も死を覚悟する場面が何度も訪れた。そして、戦いの末、我々“古き血”はほとんどが死に絶えた。だが、同時に聖血魔導会も壊滅し、どちらの勝利とも言えぬ形で戦いは終結したのだ」


 グラトが言い終えると、それまで静かだったシオンが沈黙を破った。


「聖血魔導会のメンバーは、全員が身体のどこかに刺青を入れている。そして、昨日俺たちが倒した男の首筋には刺青が刻まれていた。5年前に壊滅したはずの聖血魔導会は、散り散りになってもまだ生き残っていたってことだ」


「そいつらは、まだ古き血の継承者を絶滅させようとしているのか?」


 アッシュが不安げに聞くと、グラトが立ち上がり、答えた。


「その可能性は捨てきれない。故に、アッシュよ。外で魔法を使う際は細心の注意を払うようにしなさい。魔法を1つしか使えない、ごく平凡な魔法使いであると装って、古き血の継承者であることを隠すのだ」


 アッシュは何度も縦に首を振った。そして、それを見たグラトはさらに言葉を続けた。


「アッシュよ、お前は私に並ぶ魔法使いにならねばならん。生きるために、より強く、より高みへ昇るべく、魔法の力を磨き上げるのだ」


 その言葉には、単なる期待だけでなく、何か強い思念がこもっているように思えた。アッシュはグラトの言葉を重く受け止める。

 

「さて、とりあえず今日は2人とも休むといい。シオン、アッシュを2階の空き部屋へ案内しなさい。休暇前の最後の仕事だ」


 グラトの言葉に「はい」と答えたシオンは、店の奥手にある階段を使って二階へ上がっていった。シオンを追ってアッシュも階段を上ろうとしたが、ふと立ち止まってグラトの方へ振り返り、一言だけ言葉を発したのだった。


「グラトさん、僕、頑張るよ」


 無邪気にくしゃっと笑って見せると、アッシュは階段を駆け上がっていった。


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