第14話 覚醒―不死鳥


 月が草木に輝きを与え、牧場が青く照らし出される。秋の夜風がさわやかに吹き抜け、急ぎ駆けるアッシュの伸びた茶髪をなびかせた。


「シオンはどこへ行ったんだろう。もし敵の狙いが羊ならば、牧場へ向かってきているはずだけど……」


 その時、大地を揺るがすような轟音が響き渡った。全身にゾクゾクとした悪寒が駆け抜け、恐怖で足がすくむ。「一体、何が起きているんだ?」と周囲を見渡すと、月明かりの下に2つの人影を見つけた。

 一方はシオンだ。しかし、もう片方の人影に見覚えはなかった。それが標的であると確信したアッシュは、シオンの元へと走った。視力に自信があったアッシュは、現場に近づきながら状況を確認し、目を疑った。


「シオン、血まみれじゃないか……!」


 右脇腹と左肩、脚にも小さな穴が開いており、ドクドクと血を流していた。このままでは、いずれ死んでしまう。何とかしなければ……!

 しかし、今のアッシュにはどうすることもできなかった。今やるべきことは何だ。今の自分に何ができる? 考えろ、走りながら考えるんだ。


「今日会ったばかりだけど、もうわかっている。シオンは……口は悪いが、良いヤツだ。絶対に死なせたくない!」


 シオンを救いたい。


 その一心で、アッシュは強く祈った。ラッチと初めて会話した時も、森の中で手が光った時も、何か起こってくれと強く祈っていた。あの時と同じだ。他人を救いたいと祈りながらも、本当のところは、いつもアッシュは自分自身のために祈っている。

 孤独を恐れ、友人を求めた。灯を求めた。そして、今回は新しくできた友人を失うことを恐れ、救いを求めたのだ。アッシュの強い思いは魔力へと変換され、全身を覆い始めた。


 光。


 アッシュの身体を黄色い光が覆った。手の先だけではない。つま先から頭のてっぺんまで、あたたかな光がアッシュを包み込んだのだ。やがて、光は熱を帯び始め、黄色からオレンジ色へと変色した。

 光はアッシュの右腕全体に集中し、炎のように燃え上がった。腕に纏った燃え上がるオレンジ色の光は、まるで大空を舞う鳥の翼のようだった。


「大丈夫か、シオン!」


 オレンジ色の光を纏ったアッシュがシオンの元へようやく辿り着いた。その姿を見た血まみれのシオンは、驚きのあまり傷に響きそうなくらいの大声を出した。


「お前……何なんだ、そのでたらめな魔力放出は!」


「そんなことより、酷い傷だ。早く手当しないと手遅れになる」


 その瞬間、アッシュの腕に集まっていたオレンジ色の光がふわりと浮かび上がり、シオンの身体を優しく包み込んだ。すると、シオンの苦しそうな表情がいくらか和らいだように見えた。傷口が塞がったわけではないが、一時的に流血が止まり、痛みが軽くなったのだ!


「アッシュ、その魔法は何だ……!?」


「たぶん新しい魔法だ……でも、何だか今までとは感覚が違うんだ。力が溢れてくる。僕の身体を包む炎のような光、これが魔力ってやつなのか?」


「可視化されるほどの強大な魔力は俺も見たことがないが……おそらく魔力、だと思う」


「これが僕の力……」


 そう言った瞬間、アッシュの膝がガクンと崩れ落ち、力なく地に落ちた。身体中の力が抜けていく。アッシュは自分の身に何が起こったのかまったくわからなかった。


「癒しの術は高度な魔法だ。正しい知識を得れば魔力消費の負担を減らせるが、手探りで大雑把な治癒を試みれば膨大な魔力を失う。グラト先生はそう言っていた」


「なるほどな……覚えなきゃいけないことは多そうだ」


「ハハッ……俺はまず攻撃に適した魔法を身に付けろって言ったはずなんだがな」


 そう言いながらも、シオンは少し嬉しそうだった。刀を握りしめ、魔力を流し込む。アッシュには負けていられない。そう胸中で誓い、再び立ち上がったのだ。


 この間、でっぷりと腹の出た丸呑み男は、アッシュとシオンのやり取りを黙って見ていたわけではなった。体内で保管していた骨を矢のように打ち出すには、大きな魔力を消費する。それ故に、男は再度魔力を練り直していたのだ。

 そして、シオンが立ち上がった時、ちょうど骨を打ち出す準備が整ったのだ。胃の辺りに溜め込んでいた魔力が弾け、食道を通ってぐんぐんと上昇してくる。


「まずい、あの技が来る! ヤツは口から矢のように羊の骨を吐き出す。気を付けろ!」


 シオンが刀を構えて防御の姿勢をとる。しかし、シオンの警告を聞いたアッシュは眉間にしわを寄せ、身体に纏う炎のような光をさらに大きく放出した。


「羊の、骨?」


 アッシュを覆うオレンジ色の炎がみるみるうちに真っ赤に染まり、黒く濁っていく。深紅の闇は復讐の炎。アッシュは怒りのままに魔力を踊らせた。


「……人が生きていく上で、動物の命を頂戴するのは避けて通れない。僕だって、肉や魚を食べるし、植物だって食べる。だがな、命を冒涜するような悪しき魔法を僕は断じて許すことができない」


 アッシュは閃光魔法で光の球を作ったときと同じようにして、黒く燃える火球を手の先に生み出した。そして、ふわりと浮かんだ火球を力いっぱい殴りつけ、今にも骨を吐き出そうとする丸呑み男めがけて力強く撃ち出した。

 予想だにしない火球攻撃を前に、丸呑み男は回避行動を選択する余裕すらなかった。アッシュの火球は男に直撃し、でっぷりとした上半身をこんがり焼いたのだ。


「いいぞ、アッシュ。よくやった!」


 瞬間、シオンが音速で接近し、魔力を纏わせた刀で男の左半身に斬りかかった。しかし、男は火球に怯みはしたものの、意識を保ったままだった。またしても、男は羊の肉を吐き出して攻撃を防いだのだ。


「こっちだ!」


 シオンが斬りかかったのとほぼ同時に、アッシュは身体が動くままに男の背後へ一瞬で回り込み、叫んだ。反射的に、丸呑み男はアッシュを目で追ってしまった。飛び込んできたのは、すでに炎の翼を閉じた茶髪の少年。だが、少年の手は目が眩むほどの強い光を放っていたのだ。

 アッシュが勢いよく左右の手のひらを合わせ、パンッと手を打った。弾ける閃光が男の視界を奪う。何が起きたのかわからず、丸呑み男は呻き声を上げる。その後ろに迫るのは、魔力を滾らせ刀を構える妖刀の剣士。


「流纏、芯堅――居合!」


 月夜が音速の斬撃を美しく照らし、血飛沫が牧草を朱に染めた。でっぷりと腹の出た丸呑み男はその場で崩れ落ち、苦しそうに息を荒げている。それでもなお、魔力を帯びた妖刀は血濡れることもなく、美しさを保ったままだった。


「手間かけさせやがって。今、楽にしてやる」


 シオンが男の喉元に刀を突きつけ、凍てつくような声で言う。


「あ、ああうう……ガキが……ちゆ、ほのお……古き……ぃ……?」


 男が今にも消えそうな震えた声で言う。もう死の間際であることは明らかで、会話が成立するような状態ではなかった。踏みつぶされた虫のように身体をよじらせ、苦しんでいる。

 その時、男の首筋に何か模様が描かれているのが見えた。それに気が付いたシオンの表情が一変する。


「……まさか、お前はっ!」


「へ、へへっ……」


 男は薄ら笑いを浮かべるのみだった。月が雲の中に隠れ、闇に包まれた牧場の真ん中で、断頭の刃が振り下ろされる。その斬撃には、何か強い感情が籠っているように見えた。胴体と切り離された頭部がごろんと転がり、男は2度と羊を丸呑みできぬ身体となった。

 秋の涼しい夜風に丸呑み男の血臭が溶け込む。牧場はいたたまれぬ静寂に支配された。遠くで羊がめぇ~と鳴くのが聞こえる。そうだ、リックさんに報告しなくては。そう思ったアッシュは、沈黙を破り捨てるようにしゃべり始めた。


「真犯人は倒したんだ。リックさんに報告しに行こう」


「そうだな。俺は死体を片付けてから行く。リックさんにはお前から報告しろ」


「……わかった。それじゃあ、またあとで」


 そう言って、アッシュはリックと羊たちが待つ小屋へ向かう。


 残されたシオンは、ごろんと転がった男の首をじっと見つめていた。その目に宿っていたものは、どす黒い負の感情そのものだった。





「では、今度こそ羊たちの安全が確保されたというわけですね」


 リックは左胸に手を当てるしぐさをして、ふうと安堵の息をついた。少しの間を置いて、リックはアッシュの目を見て熱く語り出す。


「実は、あなた方の戦いを遠くから見ていました。私でも感じ取れるほどの禍々しい気配。それとは真逆の、神聖な光、炎。断末魔と共に消え去る邪気。あなた方がやってくれたんだと確信しましたよ。2人は村の英雄だ」


「そう言ってもらえると、少しは救われます。僕は今日、初めて人を殺したのだから」


 そう言って俯くアッシュに対し、リックが何と声を掛ければ良いか迷っていると、早々に死体の処理を済ませたシオンが戻ってきた。アッシュの顔をちらりと見て、一瞬だが、何やら思いつめたような表情をシオンが浮かべて俯く。

 少しの沈黙の後、シオンは顔を上げつつ、優し気にアッシュの肩にぽんと手を乗せて口を開いた。


「悪事を働く魔法使いを討伐するのも魔法屋の仕事だ。あいつは牧場の羊を盗み、呑んで殺した悪人。いちいち気にしていたら身が持たないぞ」


「そういう……ものなのか」


「…………」


 2人の間に重い沈黙が続いた。そんな中で、リックが明るく振舞って声を掛けてきた。


「冷めちゃいましたけど、食事の用意ができています。アッシュくんもシオンくんも、ゆっくり休んでいってください。今夜、私は羊たちと一緒に外で寝ます。犠牲になった羊たちのことは残念ですが、今は生き残った彼らを大事に思いたいのです」

 

 そう言って、リックは羊たちの元へ足早に向かった。リックの嬉しそうな顔が2人の心を明るく照らす。アッシュとシオンは交互に顔を見合わせると、同時にふうと息を漏らした。


「長い1日だったな」と、シオン。


「本当にそうだ。僕は自分が魔法使いだと知ってから、まだ一夜も過ごしてないんだぞ」


 アッシュが疲れ切った声で言う。シオンは「そうだな」とため息混じりに答えると、少し照れくさそうに髪をかきむしり、振り向いてアッシュと視線を合わせた。


「お前が来なかったら、今頃俺は死んでいた。羊たちの全滅も、時間の問題だっただろう。ありがとう。アッシュがいなければ、この勝利はなかった」


 そう言うと、シオンは正面に視線を戻し、アッシュの返事も待たずに小屋の中へ入っていった。アッシュはへへっと笑い、シオンの後を追って小屋へ入る。


 リックが用意してくれていた食事を平らげると、2人はあっという間に意識を失い、泥のように眠った。疲れ果てた身体を癒すため、睡眠をむさぼったのだ。アッシュは布団から少しもはみ出さず死んだように眠り、シオンは掛け布団を丸めて抱くようにして眠っていた。



 ――その夜、アッシュは8年ぶりに夢を見ずにぐっすりと眠ったのだった。

 

 

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