第13話 羊の行方
「不審な魔力の気配が再び消えた……!?」
シオンが放った一言に、アッシュは戦慄した。正体不明の魔力の持ち主が村のどこかに潜伏している。それだけでも恐ろしいことだったが、何よりも不穏なのは、目的が不明であることだ。
「居場所がわからなくなったってことか?」
「その通りだ。やはり作戦を変える。万が一のことを考えて、お前は羊たちの保護を優先しろ」
「まさか、羊たちを襲った真犯人……?」
「そうかもしれない。今すぐ羊たちを小屋の周りに集めるんだ。そして、リックさんが来るのを待て。これ以上、被害を拡大させるわけにはいかない」
「シオンはどうする?」
「俺は井戸の方へ向かいながら村人の安全を確保しつつ、魔力の残滓を辿る。確かに強大な魔力を持っているようだ。でも、いざ戦いになれば俺が勝つさ」
そう言い残し、シオンは小屋から出ていった。続いて、アッシュも小屋から飛び出した。
既に日は沈んでいて、辺りは真っ暗だった。月が雲の中に隠れていたのだ。羊たちは広い牧場のあちこちで草を食んだり眠っていたりしていて、たまに「めぇ~」という鳴き声を響かせていた。彼らを一カ所に集めて避難させることなどできるのだろうか。アッシュの脳裏に不安がよぎったが、今はやるしかない。
「こんばんは、羊さんたち。ちょっと小屋の方に集まってくれないか」
アッシュは慎重に言葉を選んで語り掛けた。危機が迫っていることを伝える方が効果的なことはわかっていたが、あまり不安を煽ってストレスを与えたくなかったのだ。羊たちがパニックに陥りでもしたら、もっと大変なことになるだろう。
先ほどアッシュが声を掛けた30頭の羊たちとメルルポン、メグーナはすぐに集まってくれた。しかし、問題は残りの羊たちだった。
「めぇ~、もう夜だし。ここから動きたくないよ」
「今さぁ、草食ってるから、後にしてくれない?」
「誰だよお前、リックはどうしたリックは」
このような有様で、全然声掛けに応じてくれなかったのだ。アッシュは焦っていた。いつ牧場が戦場になってしまうかわからなかったからだ。再び羊たちが犠牲になることはどうしても避けたい。もうリックの悲しむ顔は見たくないのだ。
雲に隠れていた月が顔を出し、牧場を照らした時のことだった。羊のメグーナとメルルポンがアッシュに声を掛けてきたのだ。彼らはアッシュと一緒に残りの羊たちを説得してくれるという。
「アッシュはリックの友達だから、あたいらの友達でもあるわけ。友達の頼みは聞いてあげてよ」と、メグーナ。
「私たちはどこでも寝ることができる。ならば、ここでなくても良いのではないかね?」と、メルルポン。
2頭に負けじと、アッシュも羊たちに声を掛け続ける。その際、ついつい「上等な草をリックが用意しているよ」などという嘘までついてしまった。仕方がない、今一番大事なことは羊たちの命を守ることにあるのだから。
その甲斐もあって、アッシュたちは何とか全ての羊を小屋の周りに集めることができた。ちょうどその時、リックがアッシュとシオンの食事を持って小屋の前に現れた。
「アッシュさん、羊たちと遊んでくれていたんですか? 疲れているでしょうし、休んでいてもいいのに――」
呑気なリックの言葉を遮るように、アッシュが口を挟んだ。もちろん、羊たちに聞こえないよう、リックの近くで囁いたのだ。
「落ち着いて聞いてください。村の井戸に何者かが潜んでいたんです。今、シオンが敵の元へ向かっていて、僕は羊たちの避難誘導を……」
「まさか、羊たちを襲った真犯人が別にいたのですか」
「まだわからないけど、そうかもしれない……ぬか喜びさせたみたいで、申し訳ない」
「気にしないでください、あなた方のせいではない。それよりも、シオンくんの元へ行ってあげてください。彼は、アッシュくんは凄い魔法使いになるだろうと言っていました。きっと君にもできることがあるはず」
そう言って、リックはアッシュの肩をバンッと叩いた。
「さあ、行きなさい。これが今回の依頼で最後の仕事になるでしょう。私たちの村と牧場を守ってください!」
力強い言葉に背中を押され、アッシュはシオンの元へ向かった。何か、何かできることがあるはずだ。リックの期待に応えるため、シオンの力になるため、自分自身のためにアッシュは勇敢に地を蹴り出した。
☆
――アッシュが羊たちの避難誘導を始めた頃。
シオンは井戸に向かう途中、何人かの村人と遭遇した。鬼気迫る形相のシオンに「危ないから家に入ってろ!」と怒鳴られた村人たちは、逃げるように家の中へ入っていった。
夜闇の中を無音で駆け抜ける。シオンの無音走法は、彼自身の高い身体能力と魔力流纏を組み合わせた独自の技だ。魔力流纏による加速――
村の端の井戸に着いた時、やはり誰の影も見当たらなかった。シオンが井戸に残された魔力の痕跡を目で追うと、その先には、思った通り牧場が広がっていた。
シオンは急いで魔力の残滓を辿っていく。これ以上、羊たちを失うわけにはいかない。その一心で駆けていると、牧場の柵の近くに1人の人間らしき影が見えてきた。
影はシオンの接近にいち早く気づき、振り向いた。その時、雲に隠れていた月が姿を現し、影の正体を暴いた。
牧場にいたのは、でっぷりと腹を膨らませた中年の男だった。男はサイズが全く合っていないパツパツのシャツを着ていた。
「貴様、何者だ。こんな夜中に牧場で何をしようとしていた?」
シオンがじりじりと男に近づきながら問う。問われた男は、困り顔を浮かべながら首を左右に振り子のように動かしていた。
「何者だァは? こっちの台詞だぞ。なんぜならおれは、これからお食事の時間だからである。ガキが怪我をしたくなければ、邪魔をするでないぞェ」
癖の強い口調にゾッとしながらも、シオンは確信した。この男が、羊を襲った真犯人だ。シオンは腰に帯びた刀に手を添え、低い姿勢で少しずつ距離を詰めていく。
「そんか、お前は魔法使いだな? だが、おれを魔獣ごときと一緒にしちゃら痛い目ェ見るぞ?」
「そんなことは知ったことじゃない。一瞬で終わらせるぞ」
刹那、シオンは両目を瞑り、低い姿勢を保ったまま一瞬で男の懐まで入り込んだ。心の目を開き、音速の抜刀を走らせる。
「流纏、芯堅――居合!」
月夜に輝く妖刀の斬撃が半円を描く。シオンの刃は肉を斬り、骨を砕く。魔力を帯びた妖刀は、刀身を血で汚すことなくその美しさを維持したまま、再び鞘の中へ戻っていった。
「案外、大したことなかったな」
片目をぱちりと開いてシオンが言う。しかし、崩れ落ちたはずの肉塊はムクリと起き上がった。
「だ~れが大したことなかったってェ~?」
シオンは唖然とした。依然として、男がそこに佇んでいたのだ。確かに、首を断ち切ったはずだった。骨を砕いた感触も伝わってきていた。しかし、男はまだ生きている。あの一瞬で、一体何が起きたのか――
「お前じゃおれを殺せんよ。今なら見逃してやるかぁらよ、さっさとどっかに行っちまいな。おれはメシの時間にしなきゃなぁ」
男は余裕綽々の表情を浮かべて、牧場の中央へ向かってのっしのっしと歩き始めた。未だに理解は追い付かないままでいたが、シオンは再び訪れたチャンスを逃すようなことはしなかった。
今度こそ、首を跳ね飛ばしてやる。もし仕留めきれなくても、一体どのようにして攻撃を防いだのか、この目で確かめてやる。シオンは疾風のごときスピードで男の真後ろまで急接近し、居合の構えから必殺の一撃を繰り出した。
鋭い斬撃が肉を切り裂く。今度こそ間違いなく、手ごたえがあった。
だが、シオンの妖刀が真っ二つにしたのは、男の肉体ではなかった。月明かりに照らされ、その正体が見えてきた。シオンが斬ったのは、男が口の中から吐き出した不気味な肉片と骨だった。原形を留めていないが、おそらく羊だったものだろう。
「これ以上ない、胸くそ悪い魔法だな。丸呑みした羊を盾にしやがったのか」
シオンが怒りを露わにして言う。戦闘経験豊富なシオンだったが、ここまでおぞましい魔法を見たのは初めてだったのだ。
「だァかァらァ、お前ごときじゃおれを殺せないって――」
瞬間、凄まじい魔力の膨張を感じ、思わず身体を仰け反らせた。丸呑み男が、何かを仕掛けようとしてきていることは明らかだった。
「イってンだろうがぁーーーーーー!!」
轟音が牧場内を駆け巡り、大地が悲鳴を上げる。絶叫と共に丸呑み男の口の中から飛び出したのは、無数のナイフのようなものだった。鋭利な物体がスーッと音を立てながら、シオンの喉元に向かって迫りくる。
シオンは意識を眼に集中させ、致命の一撃となりうる飛来物のみを瞬時に見極めて刀で叩き落とした。しかし、全てを防ぐことはできず、数本が身体を通過した。どろりと血液が流れ出し、足元の牧草を赤黒く染めた。
「くっ……ッ」
痛みをこらえながら、シオンは視線を下に向ける。足元に転がっていたのは、鋭いナイフなどではなかった。先の尖った鋭利な骨だ。丸呑み男は羊の骨を器用に吐き出し、矢のように飛ばしたのだ。
これがあの男の魔法――呑み込んだものを体内に保存し、加工し、そして吐き出す。でっぷりと腹が出ているのは、太っているからではなく、丸呑みした羊を武具として活用するためだったのだ。シオンは心の底から不快感を抱き、刀を強く握り直した。
居合さえ決まれば倒せる……だが、近づけない。いや、仮に近づけたとしても、肉の盾で防がれる。ならば、男の体内にある羊のストックが切れるまで耐えるか……?
「無理だ……」
シオンは勝機を見出せずにいた。判断を誤ったことに気が付いたのだ。
この男――10頭の羊を丸呑みした不気味な魔法使いは、恐ろしく強い……!
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