第19話 人間不信

「お馬さんだ、お馬さん。あたし、初めて見るかも」


 目を輝かせながら、まるで少女のような無邪気さを見せたリシュナが言う。彼女は少女のように幼い顔立ちをしているが、横に立ってみると意外にすらりと背が高く、アッシュとあまり変わらないくらいの目の高さだった。


「何だねお前たちは。御主人に何か用かね?」


 妙に偉そうな態度の馬がアッシュとリシュナの顔を交互に見ながら話しかけてきた。馬の毛並みは美しく、どことなく上品な雰囲気を漂わせている。


「あたしらが用があるのは、お馬さんの方だよ」


 上品な馬を指さしながらリシュナが返事をする。


「え、リシュナも動物の言葉がわかるの?」


 アッシュは驚き、思わず会話を遮ってしまった。


「あれ、言ってなかったっけ」


「え、いや……言ってたような、言ってなかったような……」


「どっちでもいいじゃん。そんなことより、お馬さんに話を聞こうよ」


 そう言った時、上品な馬が「ヒヒーン!」と鳴いた。


「わしはお馬さんなどという名前ではない。ホーマーという立派な名前があるのだ」


「わ、ごめんよホーマー。僕たちは怪しい者じゃないんだ。僕はアッシュで、こっちはリシュナ。粉ひき屋のランドに頼まれて、水車小屋に起きた異変について調査している。都市からやってきた魔法使いだよ」


 慌てて取り繕うように自己紹介をした。育ちも良く賢そうなホーマーの前では、正直に目的を話してしまった方が都合が良いだろう。アッシュは直感的にそう思ったのだ。


「ほう、ランドの知り合いか。魔法使いがなんなのかは知らんが、少しくらいは相手をしてやってもいいだろう」


「よかった。早速聞きたいんだけど、この丘から見える水車小屋にランド以外の何者かが出入りするところを見なかったかい?」


「それは昼の話か? それとも夜か?」


「わからないけど、たぶん夜だ。ランドが留守にしている間に、水車は壊されたって彼は言っていたから」


「ふむ、夜か。それなら、寝てるから知らん!」


「「えー!」」


 ホーマーの言葉を聞いて、アッシュとリシュナは同時に叫んでしまった。2人の声は丘中に響いてしまったようで、それに呼応するように屋敷の豪勢な大扉がバンッと大きな音を立てて開いた。建物の中から、上等な外套を羽織った髭男が出てきた。

 嫌な予感が脳裏を駆け抜け、アッシュはずんずんと近づいてくる男の方へ向き直った。リシュナはフードを深く被り、アッシュの後ろに隠れるように身体を小さくした。


「おい、わしの大事なホーマーちゃんに何をしている!? この薄汚い盗っ人めが」


「待ってください、僕たちは泥棒なんかじゃない。僕たちはランドの――」


 アッシュは言葉を詰まらせた。それは、本能か……それは、根拠など一切ない、勘……いや、違った。アッシュは自身の経験から推測し、言葉を止めたのだ。


「ランドの、何だ。え?」


 屋敷の主人がさらに威圧的な態度で迫る。その時、アッシュの背中に何かがそっと触れた。リシュナの手だ。小さな手はぶるぶると小刻みに震えていて、リシュナが抱える不安な感情がどっと身体の中に流れ込んだようだった。


「……僕たちは、ランドの友達です」


 こぶしを握り締めながら、アッシュが言う。怖気づいてはいけない。


『お前がしっかり守ってやるんだぞ』


 グラトの言葉を改めて胸に刻みつつ、堂々と屋敷の主人と向き合った。視線をぴたりと合わせ、外さなかった。リシュナが手を震わせるほど他人を恐れる理由はわからない。だが、アッシュは何があってもリシュナの味方で居続けると約束したのだ。


「あいつはここで雇っている粉ひき屋だ。友達がいるなんて聞いたこともない。それに、オマエは村の人間ではないだろう? ますます怪しいな」


 誰かと重なるような、嫌な言い回しだ。アッシュは自分が育った西の村のことを思い出していた。この屋敷の主人は、アッシュが世話になっていた屋敷の主人――西の村の村長とそっくりなのだ。


「それと、オマエの後ろでコソコソしてるガキ。顔を隠しやがって、後ろめたいことがあると言っているようなものではないか。やはり、泥棒で間違いないようだな」


 屋敷の主人はアッシュの肩を掴み、邪魔な障害物を排除するように押し退けようとした。しかし、アッシュは岩のようにどっしりと構え、決して動こうとしなかった。


「邪魔だ、退け」


「退かない!」


 アッシュは必死にこらえていた。震えるリシュナに迫り、今にも危害を加えようとしている男を、殴り飛ばしそうになっていたからだ。だが、魔法使いは常に冷静でなければならない。同じ過ちを2度も犯してはいけないのだ。


「領主さま! お待ちください!」


 遠くから大声が飛び込んできた。アッシュと屋敷の主人――領主は、同時に声がした方向に視線を向けた。その先には、こちらへ向かって走ってくるランドの姿があった。


「ランド! どこに行っておったのだ。オマエには水車小屋と厩舎の管理を任せていたはず。だが、オマエがサボっている間に、わしのホーマーちゃんが泥棒の手に――」


「彼らは泥棒ではありません。オレの……友達です」


 そう言って、ランドはアッシュとリシュナの手を握り、力強く引っ張って丘を下っていった。


「待て! ランド! 話はまだ終わっておらんぞ!」


 アッシュもリシュナを安心させるように、手をしっかりと握って離さなかった。





「やっぱり、水車小屋のことを領主には言ってなかったのか」


 アッシュが壁にもたれかかりながら、疲れ切った声で言った。アッシュとリシュナは、東の村の外れにあるランドの家に逃げ込んだのだった。

 気がつけば日は沈みかけており、窓からはオレンジ色の夕焼けが差し込んでいた。じきに夜になり、魔獣が蔓延る闇の世界がやってくる。


「丘の上からだと、小屋の陰になっていて水車は見えないからな。屋敷にこもりっきりの領主にはバレないさ。というか、バレたら何をされるかわからない。言い出せなかったんだよ」


「……まあ、気持ちはわかるよ」


 アッシュは再び故郷の村人たちを思い出した。だが、すぐに首を横に振り払って、そのことを考えないようにした。


「とりあえず、これからオレは屋敷に戻って、領主をなだめてくるよ。2人が泥棒じゃないってわかってもらわないと、犯人捜しにも支障が出るだろうからな」


「ああ、頼むよ」と、アッシュ。


「あ、そうだ。テーブルの上にあるパンは食っていいからな。じゃ、行ってくる」


 ランドが家から出ようとしたとき、ずっと部屋の隅でしゃがみ込んで震えていたリシュナがスッと立ち上がった。


「待って」


 リシュナがフードを被ったまま小さく言った。


「ランド、その、ありがとう」


 視線は下に向けたままだったが、確かにリシュナはランドに向けてしゃべりかけていた。初めてリシュナの言葉を聞いたランドは、鼻の下を指でこすりながら照れた笑顔を溢した。


「おう、帰ったらまたしゃべろうな」


 そう言って、2人を家に残し、ランドは丘を駆け上がっていった。ランドがいなくなった途端、リシュナはフードを外し、腕を大きく伸ばしてストレッチしつつ、ふうと息をついた。


「ランド、良い人だね」


 リシュナがニコニコした笑顔で言う。


「今更気が付いたのか?」


「んー、ちょっとね。あたし、人見知りだからさ」


 アッシュは少し怪訝な表情を浮かべた。人見知り、というレベルではないだろう。警戒心が強いにしても、限度がある。過度な人間不信――その原因を聞きだすのは危険なような気がした。踏み込んではいけない場所は、誰の心にもある。


「そういえば、どうして僕とはすぐに会話してくれたんだ?」


「んー、アッシュが良い人そうだったからじゃないの――」


 そう言ったところで、リシュナは目を泳がせ、言葉を詰まらせた。俯き、唇を噛むようなしぐさを見せた後、静かにしゃがみ込んだ。


「ごめん、また適当なこと言った。最初に会った時、アッシュには動物しか友達がいないってグラトが言ってたよね。それで、アッシュはあたしと同じなんだって思ったんだ。だから、すぐに怖くなくなった」


「そうだ、リシュナはホーマーとも会話できていた。やっぱり君は動物と話せるんだよね?」


「うん、話せるよ。でも、アッシュのとは違う。あたしは古き血の魔法使いじゃないから」


 リシュナが遠い目をして言う。ルビー色の瞳は曇り、夜の闇のようだった。


「魔法を使わないで、普通に動物と話せるのか」


 呆気にとられながら訊ねると、リシュナは顔を上げて、アッシュの目をじっと見つめた。数秒、沈黙があった。2人は見つめ合ったまま動かない。アッシュも視線を外さず、真摯にリシュナの美しい瞳を見続けた。

 すると、リシュナは少し微笑んで、小さく口を開いた。


「そう。あたしは動物と――魔獣に育てられたから」


 リシュナの言葉に、アッシュは凍り付いた。しかし、リシュナの視線は、いつになく真っすぐで、そこにはアッシュに対する厚い信頼が込められていたのだった。

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