第18話 水車小屋の少年


 人が生きるためには、食事が必要不可欠だ。

 

 食事を通してタンパク質、脂質、炭水化物の3大栄養素を摂取せねば、満足に頭や体を動かすことはできない。その中でも、炭水化物は最も重要なエネルギー源だ。

 炭水化物が不足すると、疲労を感じやすくなるだけでなく、注意力や判断力が低下してしまう。魔法使いや衛兵といった、いざとなれば命を懸けて戦わねばならぬ仕事に就く者にとっては、特に重要なものなのだ。


 この地方において、炭水化物といえばパンである。パンを作るために必要な最も重要な材料は小麦粉だ。そして、この小麦粉を作っているのが粉ひき屋なのだ。粉ひき屋は小麦を挽いて粉末にし、小麦粉を生産する専門業者だったのだ。


「で、その粉ひき屋さんがなぜ水車小屋の管理を?」


 きょとんとした顔でアッシュが聞くと、粉ひき屋のランドは呆れたような顔をした。


「なんだよ、小麦粉がどうやって作られているのか知らなかったのか? これだから都会モンはダメなんだ。いいか、オレが管理する水車はな、川の流れを利用して水力を生み出している。そして、その力を利用して小屋の中に設置された杵を上下に動かし、麦を効率的にすりつぶすんだ」


 はぁとため息をつきながら、粉ひき屋のランドが吐き出すように言うと、グラトが首を横に振りながら「無理もない」と言った。ランドの言葉に対し、アッシュは少し笑いながら返した。


「西の村では、磨り臼を使って小麦を粉にしていたんだ。誰も手伝ってくれなかったから、僕が全部やってたんだけどね」


「え、じゃあ、まさか手でやってたってのか?」と、驚くランド。


「水車なんて、うちの村にはなかったからさ。そんな便利で大切なものを管理しているなんて、ランドはすごいんだね」


 アッシュがそう言うと、ランドは不慣れな照れ笑いを見せた。そして、すぐさま「さっきはごめん」と言って手を差し出し、アッシュはそれに応えた。少年たちが固い握手をし終えたのを見て、グラトがパンッと両手を合わせて叩いた。


「さあ、仕事の時間だ。魔獣討伐の仕事から帰ったばかりで悪いが、頼むぞアッシュ。リシュナも気を付けて行ってきなさい」


 グラトが優しく声を掛けると、リシュナは虫の鳴くような小声で「はい」と返した。


「今回はグラトさんの魔法で送ってくれるんですか?」


 アッシュが無邪気に訊ねると、グラトが眉をひそめた。


「今回は徒歩で向かってもらう。心配するな、東の村はそう遠くはない。それと――」


 グラトはずんとアッシュに近づいて、耳元でささやいた。


「空間移動魔法は大きく魔力を消費する。だから、リシュナには極力使わせるなよ」


 いつも優し気なグラトが発した圧のある言葉に対し、アッシュはリシュナと同じくらいの小声で「はい」と返すことしかできなかった。





 ――東の村へ向かう道中。


「じゃあ、ランドは昨日の夕方にはエルレミラへ着いていたんだ?」


 真横を歩くランドにアッシュが訊ねる。2人のすぐ後ろには、フードを深く被ったリシュナが無言でついて来ていた。アッシュはリシュナに何度か話しかけたが、首を縦か横に振るだけで、一言もしゃべってくれなかった。


「昨日の昼には着く予定だったんだけど、東の街道に魔獣が現れたと聞いて、大きく迂回せざるをえなかったんだ。結局、南門から町に入れたけど、日も暮れちまってたから宿を借りて、今日になって魔法屋に顔を出したってわけよ」


「そうか、それは大変だったね」と、アッシュ。


「しかし、もう東の街道を通れるようになったんだな。魔獣はどこに行っちまったんだろう」


 自分が倒したぜ、などとカッコつけて言おうかと思ったが、何だか照れくさくなってしまい、アッシュは恥ずかしそうに小さく笑みをこぼした。それを見たランドは「まさか」と驚いた顔を見せた。


「アッシュがやっちまったのか?」


「まあ、うん。そうだよ」と、アッシュ。


「何か頼りなさそうに見えるけど、ホントに魔法使いなんだな」


 ランドが鼻の下をこすりながら、へへっと笑いながら言う。「ホントだよ」と笑って返すアッシュ。同い年くらいの2人は、すっかり打ち解けた様子だった。


「オレ、村に友達とかいないからさ、あんまこういうの慣れてねぇんだ」


 寂しさが混じったような笑いを浮かべながらランドが言う。それを聞いて、アッシュは少し遠い目をした。


「僕も似たようなものさ。ついこの間まで、年の近い友達なんていなかった。今は魔法屋の仲間――後ろを歩いてるリシュナもいるけど、キミの気持ちはすごくよくわかるよ」


 アッシュがランドを励ますように言ったとき、ふと背中を何かが叩いた。びっくりして後ろを振り向いたが、リシュナが無言で歩いているのみだった。


「ね、何かした?」


「…………」


 相変わらず、リシュナは何も答えなかった。そして、わざとらしく目を逸らすかのような仕草でプイッと顔を横に向けた。


「なぁ、オレが悪かったりするのか?」


 ランドが心配そうに聞く。未だに、リシュナはランドとは一言も口をきいていなかったのだ。それに対し、アッシュは「彼女は人見知りなんだ」と、グラトの言葉を借りて返すことしかできなかった。





 冬が迫る寒い空の下、3人は街道を外れたところに広がる草原の中を歩いていた。草木は茶色かがり、遠くに立ち並ぶ木々の中には葉が落ち始めているものもあった。

 しばらく歩くと、さらさらと水が流れる音が聞こえてきた。東の村の命の源となっている川の流れる音だった。この川の上流にランドの水車小屋があるらしい。


 アッシュとリシュナはランドの案内の元、川に沿って歩き続けた。すると、遠くにずいぶんと立派な造りの小屋が見えてきた。小屋の横には、ランドが言っていた通り水車があった。

 しかし、川の流れを受けているにもかかわらず、水車は回っていないように見えた。それに気づいたランドは、怒りを露わにして叫び散らかした。


「ちくしょう、まただ! やりやがったなクソ野郎! 一体どこのどいつが犯人なんだ。いつも、オレが留守の間を狙って来やがって。水車が壊れたら小麦粉を作れなくなって、みんながパンを食えなくなるってのに」


 どうやら、エルレミラへ行く前に直したはずの水車が、また壊されていたらしい。思っていた以上に、事態は深刻なようだった。


「まだ犯人が近くに居るかもしれない。僕とリシュナが先に行くから、ランドは後からついて来てくれ。もし犯人が魔獣だったら、きっと戦闘になる。だから、異変を感じたらどこかに隠れてくれ。いいな?」


 そう言うと、アッシュは流纏走術で加速し、水車小屋へ向かった。リシュナも無言でそれに続く。あっという間に水車小屋に到着する2人を、ランドは呆然と見ていることしかできなかった。





 水車小屋に着くと、リシュナはおもむろにフードを外し、ふぅーと息を吐いた。そして、首を横に傾けてアッシュの方を見て、ニタッと笑いかけた。


「魔力流纏の応用技“流纏走術”、完璧にできてんじゃん。いいね~若者は。呑み込みが早いっ」


 人が変わったようにしゃべり始めたリシュナに、アッシュは何と言葉を返せばいいかわからずにいた。まるで別人じゃないか、と思わざるを得なかったのだ。


「そんなことより、仕事仕事。ほら、アッシュは水車小屋の中を見てきて。あたしは水車小屋の裏の方を見てくるから」


 そういって、リシュナは水車小屋の裏へすたすたと走っていった。確かに、リシュナの能力的には外を見回る方が適任だとアッシュは思った。それに、水車小屋の中の方が危険は多いだろう。これでいい。アッシュはそう自分に言い聞かせた。


 気を張り詰めて、魔獣の気配を探りつつ水車小屋の中へ入っていく。シオンほどの精度ではないが、多少ならばアッシュも魔力探知ができるようになっていたのだ。

 水車小屋の扉が、ぎいと音を立てて開く。窓から太陽の光が差し込んでいたおかげで、水車小屋の中は思っていたより明るかった。建物の中をぐるりと見渡したが、何者か潜んでいるような様子はない。魔力の痕跡も感じられない。ただひとつ言えることは、水車の一部が破壊されているという事実のみだった。


「外か……?」


 水車小屋の外へ出ようとしたとき、突如、キラキラしたルビー色の瞳を輝かせたリシュナが勢いよく現れて、扉の前でぶつかりそうになった。驚きのあまりアッシュはその場で尻もちをついてしまった。


「もう、危ないなぁ!」


 ゆさゆさと外にハネたクリーム色の髪を揺らしながらニコニコと可愛らしい笑顔を浮かべているリシュナを見上げて、アッシュが文句を漏らす。だが、リシュナはアッシュを見下ろしつつ、全てを無視して自分がしたかった話をし始めた。


「ねぇ、アッシュ! 座ってないでこっち来てよ。大発見だよ」


 誰のせいでこうなってると思ってるんだと胸裏で呟いていると、リシュナは再び外へ走っていってしまった。やれやれと思いながらアッシュも外へ出ると、リシュナが「ほら!」と言って、少し離れたところにある丘を指さした。

 丘の上には、田舎の村には似つかわしくない豪勢な邸宅があった。そして、屋敷の前には立派な造りの厩舎が建っており、そこから馬が顔を出してこちらを見ていたのだ。


「ほら、行くよ。目撃者に事情聴取。どうせ小屋の中には何もなかったんでしょ」


 刹那、リシュナは魔力を足元に集中させる予備動作もなく、一瞬で加速して丘の方へ向かっていった。

 やはり、リシュナはとんでもない力を持つ魔法使いなのだ。そう思いつつ、アッシュもリシュナに続いて丘の上の屋敷を目指した。


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