第34話 真の霊薬


「エルフちゃん、全然目を覚ましませんねェ」


 精霊山の頂上へと続く山道を大股で歩きながら、老衰したティトーノスが眠る大きな箱を背負ったベンドンが退屈そうにボヤいた。


「空間移動魔法は移動距離が長いほど多くの魔力を消費するからね。きっとあの2人を逃がすため、可能な範囲内で最も遠い場所へ移動させたのだろうから、長時間意識を失って当然よ。以前見た時は、てっきり古き血の坊やが使った魔法かと思っていたんだけど、まさかこの子が使っていたとはね」


「しかし、どうしてエルフが魔法を使えるんでしょう? ガキどもにはまんまと逃げられちまいましたし」


「この子が魔法を使える理由はわからない。でも、問題はないわ。こっちにエルフちゃんがいる以上、古き血の坊やとイケメン剣士くんは必ずやってくる」


「そしたら、おれがボコボコにしてやりますぜ」


「油断はしないことね、あの2人はおそらくを倒している。決して弱くはないわよ」


「丸吞み魔法のバタゲコですかい。あいつこそ雑魚じゃありませんか。このおれの怪力にかかれば、あんなガキどもは2人まとめてぺっちゃんこですよ」


「そうね……いや……あなたは古き血の坊やを確実に仕留めなさい。イケメン剣士くんの相手は私がするわ。彼の標的は私だしね」


「グレア様がそう言うのなら、そうしましょう。おれはただ目の前の敵をぶっ潰すだけでございやす」


 ベンドンは誇らしげに言った後、ハッと何かに気づいたような顔をして、不安そうな口調で言葉を続けた。


「もし、もしもですよ? ガキどもがグラトを連れてきていたらどうしましょう?」


「その可能性は十分に考えられるわね。何しろ、守護竜シドラの死が近い。そちらの件に対処するため、すでに精霊山に来ているかもしれない」


「どうするんです? おれらじゃ敵いませんよ」


「大丈夫よ、ベンドン。もう手は打ってある」


 魔女グレアの妖艶な瞳が見つめる先にそびえ立つのは、精霊の王たる守護竜シドラが君臨する精霊山。その頂上から、何か――ぶーんという音が近寄ってきた。

 それを見て、グレアは両腕で抱えていたリシュナの細い身体を、ベンドンに向かって放り投げた。ベンドンはびっくりした顔をしながら、リシュナを乱雑に受け止める。


「ベンドン、ティトーノス様の御箱を足元に起きなさい。このナイフを使ってエルフの血を取り出しなさい。霊薬の調合を始めるわよ」


 そう言って、グレアはドレスをさっと素早く捲り、脚線美を披露した。魔女の美脚にはホルスターが装着されていたのだ。そこから1本のナイフを取り出し、ぽかんと口を開けているベンドンに手渡す。


「え、でも、シドラの血はどこにあるんですかい?」と、ナイフを受け取ったベンドン。


「ふふ、よ。さあ、早く作ってしまいましょう」


 魔女が宙に手をかざした時、ブーンという音を鳴らす何かの正体が姿を現した。蚊の魔獣――透明化魔法を使う吸血虫の魔獣。グレアは魔獣召喚魔法で蚊の魔獣を召喚し、夢と現の狭間で揺れるシドラの元へ密かに送り込んでいたのだ。


「シドラの対魔獣結界は強力――だが、同時に大雑把でもある。精霊山全体を覆う結界は外部からの侵入に強いが、内部で発生した魔獣には弱い」


「それでも、魔力を消して侵入したとはいえ、おれたちが結界内に入ったことには気づいているでしょう?」


「普通の精霊ならともかく、守護竜シドラならば気づいているでしょうね。私たちの存在を察知しているからこそ、内側で発生した微力な魔力しか持たない透明な魔獣には意識が向きにくくなる」


「なるほどそういうことか! さすがグレア様だ。それじゃあ、おれもひと仕事すっかぁ」


 ベンドンはナイフを逆手に持つと、リシュナの太ももめがけて深々と刃を刺し込み、猟奇的な笑い声を上げながら傷口をかき混ぜ始めた。刹那、眠っていたリシュナが目を覚まし、悲痛な叫び声をあげた。


「ぅぁああ! 痛い、熱い、いやだ……いや……ああァァ!」


 太ももに開いた痛々しい傷穴から、どろりと赤黒い血液が滴り落ちる。ベンドンは痛みに悶えるリシュナを左腕でがっしりと掴んで抑えつけながら、右手を器のように使ってリシュナの血を受け止めた。


「へへ、これがエルフの血か……へへへ……」


 そう言うと、ベンドンはぺろりとリシュナの血をひと舐めし、満足げな笑みを浮かべながら怯えるリシュナの瞳を見つめた。目が合った瞬間、あまりのおぞましさにリシュナは身を凍らせそうになった。必死に抵抗を試みたが、ベンドンの力はあまりに強かった。

 その脇で、魔女グレアは蚊の魔獣の腹から守護竜シドラの血液を採取し、小瓶に移し替えていた。血を取った後、蚊の魔獣は霧状の魔力と化し、グレアの体内へと帰っていった。


「さあ、この小瓶の中にエルフの血を」


 グレアの指示の下、ベンドンはリシュナの血まみれの太ももを雑巾のように搾り上げ、新鮮な血液を小瓶の中に注ぎ込んだ。リシュナが苦痛に悶える中で、小瓶が一瞬だけカッと光った。ついに、真の霊薬が完成したのだ。


「完成……したのかしら。でも、試してみるしかないわ。ベンドン、霊薬を早くティトーノス様のお口へ」


 深い傷を負ったリシュナを乱暴に投げ捨て、ベンドンが霊薬を受け取った。その時のことだった。地に臥せっていたリシュナが、いつの間にかいなくなっていたのだ。残っていたのは、地面に黒く染み込んだエルフの血のみ。

 慌てて魔女グレアが周囲の魔力を探った時、背後から強烈な憤怒の感情が込められた魔力を感じた。彼女はわざわざ振り返って顔を見ずとも、既にその正体を突き止め終えていた。


「おやおや、ようやく来たようだね。妖刀使いのイケメンくん」


 リシュナを奪い返し、魔女グレアに対し怨念の如き負の魔力を向けていたのは、どこからともなく現れた長身黒髪の魔法剣士。怒れる青年は妖しく輝く魔力の刀を携え、颯爽と駆け付けたのだ。


「大丈夫か? リシュナ。クソ……血ィ取られちまったか」


 シオンが魔女グレアと睨み合いながら、リシュナに優しく声を掛ける。


「遅いぞ、シオン……アッシュは? 一緒じゃないの?」


「アッシュは……大丈夫、きっとすぐに来るさ」





 精霊シディアの空間移動魔法で弾き飛ばされ、アッシュは一瞬にして精霊山の頂上に到着した。乱暴な着地で頭を打って、思わず叫びをあげる。


「いってぇーーーー!」


 後頭部をこすりながら周囲に目をやると、ぽかんと口を開けてこちらを見ているグラトと、見たこともないほど巨大で光り輝く美しい竜がいた。竜の表情には覇気がなく、今にも眠ってしまいそうな顔をしているようにも見えた。


「アッシュ!? どこから飛んできたんだ」


 驚くグラトがアッシュの元へ駆け寄る。


「グラトさん! 大変だ、リシュナが聖血魔導会に捕まった。このままじゃティトーノスが……」


 その時、山の中腹の方から、身の毛もよだつような禍々しい魔力が漂ってきた。魔力の持ち主は、おそらく聖血魔導会――近くにシオンとリシュナもいるようだ。だが、リシュナの魔力がひどく弱っているのも感じる。このままではまずい。


「アッシュ、ゆっくりと話している時間はなさそうだ。今すぐ精霊山の中腹へ行き、シオンとリシュナを助けろ。ティトーノスが復活するのも時間の問題だ」


「……クソ、間に合わなかったのか! グラトさんは? 貴方が来てくれればあんな奴ら……」


「いいや、悪いが私はこの場所から離れることができない。お前がシオンとリシュナを助けるんだ。そして、聖血魔導会を……ティトーノスを倒すのだ」


「……? グラトさんには他にやらねばならないことがあるってのは精霊シディアから聞いたけど、リシュナとシオンを助けること以上に大事なことなんてないでしょう?」


「そうか、精霊シディアに会いに行っていたのか……とにかく、私はこの場所から遠隔で支援する。必ず、必ずだ! だから、お前は今すぐ2人のところへ行ってやってくれ」


「……わかった、行ってくるよ」


「…………アッシュ」


「?」


「本当に強くなったな、アッシュ。お前の母も強い人だった」


 力なく笑みをこぼすグラトを見て、アッシュは何か胸がざわつくような感覚に陥った。だが、同時に胸にぽっかりと開いていた穴が急速に満たされていったような気分にもなった。


「……僕を見つけてくれてありがとう、グラトさん。それじゃあ、行ってくるよ」


 アッシュは流纏走術で山を駆け下りていった。目指すは中腹、シオンとリシュナ、そして2人の聖血魔導会の残党がいる場所。

 そこにはもう1つ、強大で邪悪な魔力もあった。その魔力は徐々に強さを増していき、濃くなっていっていた。


 霊薬を得た不死のティトーノスが、いよいよ力を取り戻し始めていたのだ。


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