第35話 新たな守護者

 剛腕の怪力男ベンドンがしゃがみ込み、背負っていた箱を下ろしてふたを開けた。中から溢れてくるのは、めまいがするほど強大で邪悪な気配。空を飛ぶ鳥が失神して墜落してしまうほど、悪意がこもった魔力だった。


「さあ、いよいよティトーノス様が復活する時だ」


 ベンドンが赤ん坊ほどのサイズにまで縮んだ老人をそっとすくい上げるようにして抱え、小さな口の中に霊薬を一気に流し込んだ。

 その間、魔女グレアはかつてアッシュがグラトと共に対峙した目玉の魔獣を4体同時召喚し、シオンとの境界線を敷くように配置して防備を固めていた。


「くそっ……動けないリシュナを置いて魔獣と戦うのは危険だ。だが、このままではティトーノスが蘇る……北の村を滅ぼし俺の両親を殺した、史上最悪の魔法使い……!」


 シオンは震えるリシュナを抱えながら、じりじりと迫る4体の目玉の魔獣と睨み合っていた。幸い、空は明るく、夜はまだ遠い。複数の魔獣を同時に相手しても、容易に勝つことはできるだろう。

 だが、真に倒すべき敵は自分と同じ魔法使い。魔法使いの魔力量に昼夜は関係ない。シオン1人で2人……いや、3人の魔法使いを相手取れば、きっと無事では済まないだろう。


 シオンとリシュナは、絶望的な状況に追い込まれていた。


 その時、山の中腹にいる全員の体温が数度上昇した。刹那、山頂の方から爆発的な魔力が飛来する。


「――不死鳥獄炎爆裂ヘルフレイムバースト


 燃え盛る地獄の炎の柱が炸裂し、4体の目玉の魔獣が一瞬にして黒い灰と化して消滅した。だが、地獄の業火は消えることなく、シオンたちと聖血魔導会の間にそびえ立つ巨大な壁となって両者を一時的に分断した。


「遅いぞ、アッシュ!」


 シオンが抑えきれない笑みをこぼしながら叫んだ。


「リシュナは無事か!?」

 

 脚を刺されたリシュナと寄り添うシオンの元へ駆け寄ったアッシュは怒りに震えた。リシュナは身体だけでなく心にまで深い傷を負わされたのだろう。とても怖い思いをしたのだろう。


「リシュナのことは僕に任せてくれ。シオンは因縁の相手と決着をつけて来るといい」


 アッシュはリシュナを抱きかかえ、不死鳥治癒ヒーリングで傷を癒し始めた。みるみるうちにリシュナの血が止まり、傷が塞がっていく。


「ああ、わかった。それと……さっきは悪かった。俺はお前の過去を知って、冷静ではいられなくなってしまっていたんだ。北の村での出来事についても、グラト先生がお前の叔父だってことも」と、シオン。


「……僕だって驚いたさ」


「もうひとつだけ、伝えなければならないことがある」


 シオンが真剣な眼差しでアッシュの目をじっと見つめた。その目からは、強い意志――覚悟のようなものがじんわりと感じられた。


「俺の妹――アオイを呪ったのは魔女グレアで間違いない。ヤツは俺が必ず殺す。だが、もう1人、今この場で絶対に倒さねばならない敵がいる」


「不死のティトーノスか」


「北の村を魔力の波動で理不尽に吹き飛ばしたのはティトーノスだ。村全体が一撃で壊滅した。大勢が死んで、俺の両親も即死した。俺とアオイは別の場所にいたから奇跡的に助かったが、じゃあお前は一体どこにいたんだ?」


「僕は……あまり覚えていないけど、たぶん家族と一緒に……」


「村の中にいたのならば、きっとティトーノスの攻撃を受けているはずだ。無事で済んでいるはずがない」


「何が言いたいんだよ」


「もうわかっているだろう? お前が……いや、俺たちがティトーノスを倒さねばならない理由。お前の母親は、お前の父親と息子――アッシュを何らかの魔法で守った。だが、きっとその反動で死の病を受けてしまったのだろう」


「………………」


「この炎が止まった時が合図だ。俺は魔女グレアを殺す。お前はお前の務めを果たせ」


 シオンがそう言った瞬間、アッシュが生み出した炎壁が徐々に鎮まり始めた。小さく揺れる陽炎の先に見えるのは、妖しく微笑む魔女グレア。彼女の周りには、これまでアッシュたちが倒してきた魔獣たち――犬、目玉、サメの他、様々な種類の魔獣が召喚されていた。


「――全員切り刻んでやる」


 音もなく大地を蹴り上げ、シオンが駆け出す。聖血魔導会を打ち倒すため、大切な妹を助けるため、シオンは因縁の敵である魔女グレアとの最終決戦の幕を開けたのだった。




「さあ、もう時間がない。継承の儀式を始めるぞ」


「構わん、やってくれ」と、グラト。


「何も死ぬわけではない。むしろ、貴殿は精霊となり、今後数千年間は生きることになるのだ。精霊山から動くことはできなくなるが、子どもたちを見守ることはできるだろう」


「…………」


「精霊の王が果たすべき役割は、各地域に配置された精霊が張る、対魔獣用結界魔法を強化することにある。我々は人々を魔獣から守るために存在しているのだ」


「ああ、わかっている」


「私も元々は人間の魔法使い――貴殿らの呼称を用いれば、古き血の魔法使いなのだ。我らは人類を守護するために精霊となることを選んだ。数千年に一度、月の魔力が暴走し、温厚だった魔獣が獰猛化する。同時に、潜在的に魔法使いの素質を持っていた人間たちも呼応して覚醒する。我ら精霊は結界を張り、一般市民を守護する。我ら人類の長い歴史は、この周期を何度も何度も繰り返してきたのだ。だが、この循環を破壊しようとするものが現れた」


「ティトーノスか」


「そうだ。古の魔法使いの血族を絶やしてしまえば、今後新たな精霊が生まれることもなくなる。それは、魔獣が人類を蹂躙する世界が到来することを意味している」


「新しき血――月の魔力で覚醒した魔法使いによる排他的な絶滅戦争の行く末は、魔力を持たぬ全人類の滅亡か」


「全く、愚かなものよ。だが、貴殿が精霊の力を獲得し、有望な若者たちの支援をすれば、きっと悪夢のような未来は消し去ることができるだろう」


「当然、私は精霊と化した後も彼らを助ける。だが、私も悪しきサイクルを断ち切る術を、数千年かけて探そうと思う。もちろん、魔力を持つ者も持たざる者も、全員が助かる道をな」


 グラトが微笑みながらそう言うと、守護竜シドラは小さく頷くようなしぐさをとった。そして、少し苦しそうに、ふうと牙の隙間から息を漏らした。


「少し話過ぎたな。それではそろそろ、私は眠るとしよう――」


 守護竜シドラの巨体が放つ輝きは次第に増して行き、やがて小さな球体となった。淡く光る球体――シドラの魂はふわふわと浮かびながらゆっくりとグラトの方へと向かっていく。

 静かに目を瞑ったグラトはシドラの魂を全身で受け止め、胸の中にゆっくりと抱え込んだ。守護竜の魂が体内に入り込んだ瞬間、閃光のようにグラトの強大な魔力が爆発した。


 ゆっくりと目を開いた時、グラトは精霊山の頂上に見えない鎖で縛られていた。そして、淡く光り輝く肉体は、魂のようにあやふやな存在と化していたのだった。




 シオンが戦いを始めた、まさにその瞬間だった。


 頂上の方で、膨大な魔力が突如として発生したのだ。その魔力には覚えがあった。


「グラトさん……?」と、アッシュ。


 そして、次の瞬間には爆発的な魔力は急速に収縮していき、消滅した。グラトの魔力が一切感じられなくなったのだ。

 優れた魔力探知能力を持つシオンも気が付いていた。行く手を阻む魔獣を蹴散らしながら、目元にしずくを浮かべている。

 

「シオンが涙を……? グラトさん、一体頂上で何をしているんだ……?」


 その時、まぶたを閉じていたリシュナが、急に目を覚ました。アッシュの治癒魔法によって、傷はすっかり治っていた。だが、なぜか魔力まで全回復していたのだった。そのルビー色の瞳には、美しい輝きが戻っていた。


「アッシュ……と、グラト? あれ、今グラトがいなかった?」


「よかった、目を覚ましたんだね。グラトさんはここにはいないよ。頂上にいるはずだけど……」


 その瞬間、アッシュは何か凄まじい力が胸の奥底から湧き上がってくるのを感じた。まるで、休みの日にゆっくりと睡眠をとった翌日の朝のような――


「あれ、魔力が回復している……?」


「あたしもだよ。グラトが何かしてくれたんだ、きっとそうだよ」


 そう言って、リシュナはさっと立ち上がり、頬をぺちぺちと叩いて奮起した。


「あのベンドンっていう怪力男、あいつは絶対に許さない。あたしはあのにたっぷりお礼をしてくるから、アッシュは奥にいるちっちゃいジイさんの相手を頼んだよ」


「……ああ、わかっている」


「気を付けてね、たぶん一番強いのはジイさんだから」


「リシュナも気を付けて。皆でエルレミラへ帰るんだ」


 そう言って、アッシュとリシュナは目も合わさずに息の合ったハイタッチをし、それぞれ自分の使命を果たすために走り始めた。

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