第36話 エルフの意地、魔法使いの誇り


「ゴリラの魔獣だァ?」


 超重量級の腰を上げ、聖血魔導会随一の怪力男ベンドンがドシドシと大きな足音を立てながらリシュナの方へ向かって歩いてきた。すっかり頭に血が上っている様子で、ティトーノスのことなど一瞬にして忘れしまったようだった。


「さっきは随分と楽しそうだったね。眠っている女の子の脚をぐちゃぐちゃにして……本当に趣味の悪いバケモノだ」


 淡々とした口調でリシュナが罵る。彼女の手の中には、既に魔力で生成した弓があった。だが、少しいつもと違う。ベンドンとの戦闘に際してリシュナが顕現させたのは、普段よりも一回り小さな弓だった。


「おれはゴリラの魔獣じゃない。誇り高き新しき血の魔法使い、聖血魔導会のベンドン様だ!」


「なんだっていい。あたしの綺麗な脚に傷をつけたのもムカつくけど、それ以上に、アッシュとシオンを苦しめたことに腹が立ってる。あたしはあんたらを絶対に許さない」


 魔力を流纏させ、リシュナが加速する。弓を一回り小さくする作戦には、機動力重視の展開に持ち込みたいという意図があったのだ。軽快なステップで立ち回り、大柄な怪力男を翻弄するような動きを見せた。


「なんだってよくない。おれはゴリラではないのだ! 古き血のガキをおびき寄せるために生かしておいてやったが、お前はもう用なしだ。肉を引き裂き血を吸って、骨すら残らぬほど、粉々になるまで叩き潰し――」

 

 怒りに震えながら零れ落ちていくベンドンの独り言を、鋭利な魔力の矢が切り裂いた。いつの間にか背後に回り込んでいたリシュナが、魔力を込めた矢を力強く撃ち放ったのだ。

 小さな弓から放たれた強靭な魔力の矢は、ベンドンの大きな背中の左部に命中した。そのまま肉体を貫き、心臓を打ち抜く算段だった。


「ふんぬっ!」


 カアンッという音と共に、矢が弾かれる。力なく落下する魔力の矢は、地に触れる前に跡形もなく消滅した。


「な、どうして……いや、もっと撃ち込む!」


 すぐさま気を引き締め、近づかれないよう一定の距離を保ちつつ、再び魔力の矢を弓につがえて引き絞る。リシュナは頑強な背中への攻撃は避けて、今度は首筋を狙って矢を放った。


 だが再び、カアンッという音と共に、魔力の矢は弾かれてしまった。


「おかしいな。防御に特化した魔法……かな」


 リシュナは足を止めないよう機敏に動きつつ、次の策を練り始めた。きっと、身体の一部に結界のような防御魔法を張っているのだろう。いくら常識外れの筋肉で身を固めていようとも、魔力で造られた矢を生身で弾くことは不可能なはず。

 ベンドンが意識して防御魔法を繰り出しているのか、狙われた部位を反射的に防御しているのか……どちらにせよ、どこかに隙はあるはずだ。


「今度はこっちからイク!!!」

 

 素足で流纏走術を繰り出したベンドンは、体格に似合わない猛スピードでリシュナに接近した。丸太のように太い剛腕がリシュナの小さな顔に向けて飛んでくる。


 間一髪、柔軟な体躯を持つリシュナは上体を逸らし、暴風を巻き起こすようなベンドンのラリアットを回避した。一直線に突っ込んできたベンドンはそのまま通過し、背後にあった大岩に衝突した。大岩は粉々に砕け散り、ベンドンが悔しそうな表情を浮かべながら立ち上がる


「よけるなよ! おれはお前の攻撃を食らったんだから、よけるなよ!」


 意味不明な叫び声に呆れ顔を浮かべながら、リシュナはぴょんぴょん跳ねるようにして逃げ回る。その間も、足を動かしながら思考を重ねた。ヤツは守備力だけじゃなく、攻撃力もすさまじい。意外とスピードもある。でも――


「ふんぬっ!」


 再び、ベンドンが殴り掛かる。しかし、リシュナはベンドンの拳の動きを完璧に目で捉えつつ、さっきよりも余裕をもって回避した。


「動きが単純すぎるね」


 その時、リシュナの手がぱぁっと光った。一時的なものだが、リシュナは魔力で生成したを体内に貯めておくことができるのだ。


魔力矢の雨アローレイン!」


 体内に貯め込んでいた10本の魔力の矢を、空に向かって一斉に撃ち出した。リシュナが矢を放った瞬間、ベンドンは一歩後退して硬直し、正面を防御するような姿勢をとった。リシュナの矢が正面から飛んでくると思ったのだろうか。

 

 刹那、鋼鉄の如き魔獣の皮膚すら貫く魔力の矢がベンドンの頭上へ降り注ぐ。天空から落下してくる魔力の雨は、一発一発がズシリと重かった。


「ぐおおおおおおおおおおおお」


 咄嗟に両手を頭上に上げ、降り注ぐ魔力矢の雨アローレインに全神経を集中させている隙を見て、リシュナはベンドンの背後に回り込んだ。そして、小弓を消して新たに巨大な弓を作り直した。


「……これで決める」


 小さく囁きながら、リシュナは大弓にふさわしい巨大な魔力の矢を生み出し、力いっぱい引き絞った。その魔法は、まるで神話に登場する巨人が使ったとされる伝説の弓矢のようだった。


巨人の魔力矢タイタンアロー!」


 それは、エルフの血に刻まれた最強の奥義。光のごとき速さで敵を貫く巨大な弓矢。リシュナの全力を込めた一撃は、魔力矢の雨アローレインの防御で手一杯なベンドンの隙だらけの背中に向かって飛んでいく。


 ガチンっ!


 膨大な魔力がこもった巨人の魔力矢タイタンアローは、ベンドンの肉体に衝突した。ベンドンは頭上に手を上げたまま硬直している。だが、その顔には満面の笑みが浮かび上がっていた。


「うそ……まさか、全身?」


 巨人の魔力矢タイタンアローも、他の魔力の矢と同じように弾かれてしまったのだ。巨大な矢は霧散し、キラキラと輝く粒子を残して消滅してしまった。


「なるほどね。いくら動きが単純でも、倒れることがなければいつかは勝てるってわけだ」


「痛い……今の大きいのは痛かった。強いな、エルフの子。やはり殺さねば。おれたち新しき血の魔法使いが最も尊い存在なのだ! 古き血も、エルフの血も、皆殺しだ!」


 額に汗を垂らし始めたリシュナは、再び距離を保って魔力と作戦を練り直す。実は――もうひとつだけ案がある。正直、あまり気は進まなかった。でも、もうやるしかないだろう。

 敵は全身を防御する魔法を使って、こちらの魔力喪失を待っている。リシュナは決意した。次の攻撃で決着をつける。


「エルフにも意地があるんだよ。でも、あんたはひとつだけ勘違いしている――」


 リシュナの魔力が爆発的に膨れ上がる。さっきまで軽快に逃げ回っていたリシュナが、一転して、ベンドンの懐へ向かって走り込んでいく。

 待ってましたとばかりにベンドンがにやりと笑う。ベンドンは自慢の防御魔法――否、硬質化魔法を全身に付与し、全身全霊を込めたタックルを繰り出し、正面から突っ込んでくるリシュナを迎え撃った。


「あたしはエルフの子。でも、新しき血――魔法使いの子でもあるんだよ!」


 全身岩石のような肉体と接触する直前で、リシュナは地面を蹴って高く飛び上がった。その時、ベンドンの頭上すぐ近くに深緑色の大穴が突如開いた。気が付いた時には、ベンドンは先ほど砕けた大岩の上に移動していた。


「ア、アレ???」


 困惑した大男の視線の先には、クリーム色の滑らかな髪とルビーのごとき紅く輝く美しい瞳を持った、魔法使いの血を引くエルフの子――リシュナが立っていた。リシュナの足元には、血みどろの池と、誰かの下半身。


「エ、何で……?」


 あの下半身には見覚えがある。でも、誰のだったっけ?


 上半身と下半身を分離された大柄な怪力男は、そのまま意識を失い、ピクリとも動かなくなった。その後、ベンドンが再び目を覚ますことはなかった。


 大量の魔力を失ったリシュナは、ぐったりとした表情を浮かべながら膝をついた。大きく息を吐いて、小さく吸った。


「あたしの魔法は、みんなの命を守る魔法。お父さんから受け継いだ魔法。本当はこういう使い方しちゃダメなんだ。ダメなんだよ――」


 ほとんど無傷で勝利したリシュナの紅い瞳に浮かんだしずくは、まるで宝石のように、美しく儚く輝いていたのだった。

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