第10話 消えた羊たち
どこまでも広がる黄金色の荒野を30分ほど歩き続け、アッシュとシオンとリックの3人はようやく南の村に到着した。村に隣接する広大な牧場には柵が張られており、その中で羊たちはのんびりと暮らしているのだ。
そこで、3人は衝撃的な報告を受けた。
リックが留守の間、代理で別の村人が羊の世話を任されていた。彼が今朝方に確認したところ、羊の数が90頭まで減っていたのだ。
「そんな……」
強いショックを受けたリックは言葉を失い、その場でがくっと膝をつき、首を垂れたまま動かなくなってしまった。まるで暗く物悲しい深海に沈められたかのように、呼吸も忘れて打ちひしがれている。
アッシュは何とか勇気づけられないものかと思ったが、上手く言葉を出せずにいた。そんな中、シオンがアッシュに小さな声で語りかけてきた。
「状況を考えれば、おそらく相手は魔獣だ。お前、魔法で何ができる」
「目くらましにも使える閃光。あと、動物と会話できる」
「……良くてサポートだな。魔獣が出たら俺を呼べ、わかったな」
そう言って、シオンはアッシュとリックを残して、牧場周辺の調査に出た。アッシュは、せめてリックに何かしら声を掛けてから行こうと思った。
「リックさん、大丈夫です。僕らが必ず羊さんたちの行方を突き止めます。だから、安全な所で待っていてください」
それだけ伝え、アッシュも牧場周辺を調べるため、シオンを追って走り出す。自分に何ができるのか考えながら、とにかく足を動かすことにしたのだった。
☆
今回の仕事をする上で、グラトはアッシュの魔法が役に立つと言っていた。当初、あれはリップサービスか、シオンを納得させるためのウソであるとアッシュは捉えていた。
しかし、そうではなかったと気づいたのだ。今こそ、己の持って生まれた魔法の力を使う時が来たのだ!
「こんにちは、羊さんたち。僕の名前はアッシュ。実は、君たちに聞きたいことがあるんだ」
アッシュは90頭の羊の群れを前に立ち、大きな声で語り掛けた。少し離れている場所からシオンの視線を感じた。あいつは何をやっているんだ、とでも思っているのだろう。
シオンは「あいつは何をやっているんだ」と、本当に思っていた。だが、すぐに気が付いて、ハッとしたのだ。羊たちに話を聞ければ、重要な手掛かりが手に入る可能性が格段に高まるに違いない。
快足を飛ばし、シオンはあっという間にアッシュの下へ駆け付けた。それはまるで光のような速さだったのだが、何よりも注目すべきはそのあまりに静かな足取りだった。90頭もいる羊たちが驚いたり怯えることも一切なかったのだ。
「なにそれ、静かに速く走る魔法?」
「魔法とは違う。頑張れば、魔法使いならば誰でもできる」
そんなわけないだろうと思いつつ、アッシュは本来の目的に意識を戻した。羊たちから情報を引き出さねば、自分の存在価値はないようなものではないか。
その時、1頭の羊が前に出て、めぇと鳴きながらしゃべり始めた。
「何だ、君たちは。リックの友人かね?」と、羊。
アッシュが「そうさ」と頷いているのを横目に、シオンは怪訝そうな顔をしていた。羊の声は、シオンには「めぇ~めぇ~」としか聞こえていないのだ。
「リックの友人と言うのなら、何でも聞いてくれたまえ。我々はリックの友人だ。君たちがリックの友人というのならば、君たちは我々の友人でもある。私の名前はメルルポンだ、めぇ~」
「じゃあ、さっそく聞かせてくれメルルポン。リックがいない間――例えば夜とかに、何か変わったことが起きてはいないかい?」
そう言った途端、シオンがぐいとアッシュの袖を引っ張って、静かに耳打ちした。
「何故そんなまわりくどい訊き方をするんだ。魔獣を見なかったか、と聞けばいいだろう。その、メルルポンに」
「いきなり魔獣の話なんかできるわけないだろ。もし彼らが何も知らなかったら、パニックになってしまうかもしれないだろ?」
アッシュが羊たちに聞こえないくらいの声量で返すと、シオンは袖から手を離し、気まずそうに目を逸らした。アッシュの言う通りだと理解したのだろう。
すると、アッシュとシオンのひそひそ話が終わったのを見計らったかのように、メルルポンの隣にいた別の羊が口を開いた。
「ワシらは1日の間に、何度も寝て起きてを繰り返している。だから、夜に何かあっても、誰かが起きていている可能性はあるだろう。でも、仮に何かあったとして、それを覚えていられるかは別の話なのだ」
「おい、何と言ったんだ。メルルポンは」と、シオン。
「今のはメルルポンじゃないよ」と、アッシュ。
「どっちだっていいだろ」
「よくないね、動物たちにだってちゃんと名前はあるんだ」
そう言われると言葉に詰まり、シオンは少し悔しそうに口を閉じた。
「僕は羊たちが消えた時間――夜中に起きていた羊を地道に探す。何かを目撃しているかもしれないからね。シオンはどうする?」
「俺は野生の獣か魔獣の仕業だと仮定し、調査を進める。もし羊たちが何者かに捕食されたのならば、血や骨といった残骸がどこかに残っているはずだろう。それと、リックさんや村人たちに、魔獣が潜んでいそうな場所がないか聞くつもりだ。俺はメルルポンとは会話できないからな」
「了解。そっちは任せたよ」
「当然だ。それと、刻限は日没までだからな。夜になると魔獣との戦闘リスクが跳ね上がる」
「わかっているさ」
わずかな間だったが、シオンはアッシュと目を合わせられた気がした。しかし、すぐに視線を外され、シオンはリックの元へ無音で駆けて行った。
「よし、それじゃあ聞き込み開始だ」
アッシュは羊たち1頭1頭と向き合い、ジョークや雑談を交えながら、昨夜の出来事についての情報を集め始めたのだった。
☆
「リックさん、聞きたいことがあるのですが大丈夫ですか」
牧場の脇に建てられた粗末な小屋に着いたシオンがリックに聞く。
「もちろんですよ。何でも聞いてください」
既にリックの心はひどく傷つき荒れ果てていた。しかし、このまま自分が腐っていたら、残りの羊たちまで失ってしまうかもしれない。己を奮い立たせ、何とかギリギリのところで耐えたのだ。
「今、アッシュが羊たち1頭1頭と会話し、目撃情報を集めています。その間、俺は魔獣の仕業であるという仮定のもと、調査を進めようと考えています」
「アッシュくんが羊たちと……そんな夢のような魔法があるのですね。羨ましいです」
「……そうですね、彼はきっと凄い魔法使いになりますよ」
小さく消えるような声でシオンが言う。
「大丈夫、私はシオンくんのことも信頼しています。さあ、聞きたいことがあるならどうぞ」
リックのあたたかい言葉を受け、少し笑みをこぼす。直後、一転してより真剣な眼差しを取り戻し、シオンははきはきとした声で聞き込みを再開した。
「この辺に、魔獣が潜んでいそうな場所はありませんか? 例えば鬱蒼とした森のような、真っ暗な場所です」
「そうですね……ああ、そういえばここから西へ少し歩いたところの岩山のふもとに洞穴のようなものがあったような。あそこならば、十分な暗さがあると思います。ここは荒野のど真ん中なので、他に暗い場所なんて村の隅にある井戸くらいしかありませんよ」
「西の岩山ですね。ご協力、感謝します」
井戸は村の人間が毎日使うものだ。万が一という可能性もあるが、魔獣が潜んでいるとは考えにくい。もし水の中に潜んでいるとしたら、井戸の水は魔獣が帯びる魔力で冒され、有害な毒水となっているはずだ。
しかし、村人たちにも羊たちにも、特におかしなところは見受けられない。やはり、西の岩山にあるという洞穴に魔獣が潜んでいると見て間違いないだろう。
シオンは腰に下げた刀を強く握り、独り西の岩山のもとへと向かった。
☆
――同時刻。
既に、アッシュは30頭もの羊と会話した。こんなに多くの他人――人ではなく羊だが――と話すのは初めてで、既に疲弊し始めていた。魔力の消耗などは未だわからなかったが、おそらく精神的な摩耗であった。
羊たちは皆楽しく会話してくれたのだが、誰一人として何も知らないのだ。夜に起きていたけど、何も見ていない。覚えていない。そんな羊ばかりだったのだ。そろそろ、何か手掛かりを掴まねば……そう思い始めていた時のことだった。
「やあ、僕はリックの友人のアッシュだ。君に聞きたいことがあるんだ。昨日の夜、何か不思議な出来事が起きなかったかい?」
アッシュは31頭目の羊に語り掛けた。その羊は、力なくめぇ~……と鳴くと、弱々しい口調で語り始めた。
「あたいはメグーナってんだ。昨夜、あたいはとんでもないものを見ちゃったんだ。信じられないかもしれないけど、本当のことなんだよ」
ついに来た。アッシュは真剣に羊のメグーナの証言に耳を傾けた。
「あたいの目の前で、何かが動いたんだよ。世闇にまぎれていて、何がそこにいたのかまではわからなかった。でも、確かに言えることが1つだけあるのさ。そこにいた何かは、あたいらの仲間を、何頭もの羊を丸呑みしちまったのさ!」
メグーナの証言を聞き、アッシュは息をのんだ。本当に魔獣の仕業だったのだ。
「ありがとう、メグーナ。それじゃあ、僕は急ぐから」
そう言って、アッシュはシオンとリックがいる小屋へ向かって走り出した。
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