第11話 対話か敵対か
黄金色に輝く美しい荒野の中を太陽と並走するように黒髪の剣士シオンが駆けていると、巨大な岩山が見えてきた。確かに、岩山のふもとには穴のようなものが開いており、そこそこ大きな魔力の存在も感じ取ることができた。
闇よりも深い真っ黒な洞穴の入口は、まるで大きな口を開けて道行く旅人を呑み込もうと企むバケモノのようだった。バケモノは怪しい気配を漂わせながら、ただひたすらに、自らエサになろうとする愚か者を待ち続けているのだ。
「……思っていたより深そうだな。そこまで強くはないが、洞穴中に魔力が充満している。魔獣も1匹くらいはいるだろう」
シオンは魔力探知能力に長けていた。人や獣に宿った魔力量とその位置を、高度なレベルで感じ取ることができるのだ。しかし、空気中に魔力が溶け込んでいるような場所では、探知能力も鈍ってしまう。
「地道に探すしかないか……」
シオンは魔力の満ちた洞穴の中へと消えていった。洞穴の中に点在する魔力の痕跡を頼りに、暗闇の中を慎重に突き進んでいったのだった。
☆
「シオンくんなら、西の岩山のふもとにある洞穴へ向かいましたよ」
リックの言葉を受け、アッシュは急ぎ西の岩山へと向かった。日が沈むまでは、まだ時間がある。「そういえば、朝から動きっぱなしだな」などと思いながら、美しい荒野を駆け抜けていく。
岩山へ着くと、まるで腹をすかせた不気味な怪物が大口を開けているような洞穴に出迎えられた。洞穴の中は真っ暗で、何も見えない。
既にシオンは中に入ったのだろうか。周囲を観察してみると、最近できたらしい足跡を発見した。洞穴が醸し出す嫌な空気感を想えば、普通の人間が安易に近づける場所とは思えない。十中八九、シオンの足跡だろう。
勇気を出し、いざ洞穴の中へ入ろう。その時、アッシュはあることに気が付いた。仮に洞穴の中に羊たちを襲った魔獣がいたとして、シオンと合流する前に魔獣と遭遇してしまった時、自分に何ができるのだろう。
目くらましで時間稼ぎくらいはできるかもしれない。しかし、それが何になるというのだろう。ミルゴを殴った時のように魔力を乗せた拳でぶん殴ることも考えたが、あれは無意識にやったことであり、意識して魔力を拳に乗せる方法などみじんも理解していなかった。
『……良くてサポートだな』
ふと、シオンの言葉が浮かぶ。そうだ、洞穴の外にいてもできることがあるじゃないか。アッシュは昼に目玉の魔獣と戦った際のことを思い出し、手のひらの先に意識を集中させた。
すると、驚くほどうまくいき、光り輝く球体を生み出すことができたのだ。確証はなかったが、アッシュは自分の直感を信じた。
光り輝く球体を右手で鷲掴みにし、弓のつるのように肘を後方へ引き絞った後、勢いよく腕を振り下ろし、前方へ投げ出したのだ。指先を離れた光の球は、まるで光のような速さで真っ直ぐ飛んでいき、洞穴の内部で弾けた。
その瞬間、暗闇に包まれていた洞穴中に光が行き届き、全てを照らし出した。洞穴には無数の岩柱が乱立しており、思っていた以上に複雑な構造をしていた。1度でも入ってしまえば、2度と出てこれなくなるのではないかと思わせられる。
しかし、これでシオンの視界も開けるだろう。アッシュがそう思っていた時、洞穴の入口の辺りからうめき声が聞こえてきた。
「ううううう、まぶしい……まぶしいよお……」
「シオン……? じゃないよな。そこにいるのは誰だ?」
不審なうめき声に警戒しつつ、アッシュが慎重に語り掛けた。すると、すぐ近くの岩柱の陰から、2mくらいはありそうな大男がぬっと顔を出した。いや……大男の姿かたちは、どこからどう見ても人間のものではなかった。
ごく自然な二足歩行に一瞬騙されかけたが、全身が緑色の鱗のような皮膚で覆われており、トカゲのように前に突き出た大きな口の中からは、長い舌がちらちらと見え隠れしている。
よく見ると、口内には無数の歯が生えそろっている。ぎょろりとした大きな黒い目玉は、顔の両脇に備え付けられていた。
ワニの魔獣だ。
瞬間、アッシュの脳内にはいくつかの選択肢が浮かんでいた。今すぐ逃げるか、大声でシオンを呼ぶか、イチかバチか戦うか……。どの選択肢をとっても、無事では済まないだろう。勢いで村を出た結果が“死”なのか。
じりじりと間合いを詰めてくるワニの魔獣を前に、アッシュが考えを巡らせていると、ワニの魔獣が大きく口を開いた。
「あんた、この辺の村の人間か? ここに何か用でもあるのか? おれは眩しいのが苦手だからよ、できればそっとしておいて欲しいんだが」
ワニの魔獣と会話できていることに気が付き、アッシュは唖然とした。会話魔法が通用する魔獣もいるという発見と、意外と穏やかな魔獣の口ぶりへの衝撃だった。二足歩行しているくらいだし、きっと目玉の魔獣とは知性のレベルが違うのだろう。
もしかすると、対話を通して友好的に場を収めることができるかもしれない。もっとも、羊たちを襲った犯人であれば、到底許すことはできないが。
「いやぁ、申し訳なかった。実は、僕の知り合いがこの辺で落とし物をしてしまってね。小さな袋で、中には安物のナイフと薬草が入っているらしいんだ。どこかで見なかったかい?」
アッシュは適当な話をでっちあげつつ、探りを入れることにした。
「小さな袋ねぇ。この辺では見ていないな。まさか、おれが盗ったとか思ってねぇよな?」
「そんなこと思っていないよ。この辺にないってことは、風に乗ってどこかへ飛んでいったのかもしれないね」
「人間にとって、薬草は貴重なモンだからな。今度からは気を付けろって、持ち主に伝えときな」
ワニの魔獣は鼻を緑色の太い指でこすって、くすっと笑いながら言った。この魔獣は本当に羊を食った犯人なのだろうか。正直、とてもそうには思えないが……疑念を抱くアッシュは、もう少し踏み込んだ質問をする決意をした。
「そうだ、もう1つだけ頼まれごとをしていてね。近くの村で羊の脱走事件が起きたんだ。見つけたら連れて帰ってきて欲しい、そう頼まれているんだ。見かけなかったかい?」
そう言った途端、ワニの魔獣の目がぎらりと光ったように感じた。やはり、ワニの魔獣が夜な夜な牧場を訪れて襲っていたのだろうか。
「羊、ねぇ。そういや、しばらく食っていないな。昔は野生の羊も多くてな、たまに食っていたんだが……ああ、あの味を久しぶりに味わいたい。いや、この際なんでもいい。とにかく肉が食いたいな」
ワニの魔獣は溢れ出すよだれを飲み込んで、ごくりと喉を鳴らした。そして、はぁ~と息を漏らすと、ぐおおおおと唸るような音が洞穴内に鳴り響いた。ワニの魔獣のお腹の虫が鳴いたのだ。
どうも嫌な予感がして、思わずアッシュは後ずさりをする。しかし、その動きをワニの魔獣は一瞬たりとも見逃さなかった。恐怖で心臓が止まりそうになる。
「おいおい、どこ行くんだよ。せっかく来たんだから、おれんちに上がって行けよ。実はな、おれは料理が得意なんだ。こんがりと焼いた肉にたっぷりのソースをかけるんだ。そして、それをがぶりと……あがっ」
気持ちよさそうに肉料理の話をしていたワニの魔獣は、言葉半ばに突然動かなくなった。少しの沈黙を置いた後、大柄なワニの魔獣の肉体が縦に真っ二つに割れ、間から刀を振り下ろしたシオンの冷ややかな視線が飛び込んできた。
斬撃により引き裂かれたワニの魔獣の肉塊が地に触れると、あっという間に黒い灰と化し、空気中へ霧散していった。ワニの魔獣は死んだのだ。
「何してんだ、お前」
いつになく、シオンの口調は重く鋭かった。
「羊のメグーナが証言したんだ。何者かが羊たちを食っていた、と。シオンに報告しようと思ったら、この洞穴へ向かったとリックから聞いた」
「それで俺を追って来て、魔法で洞穴を照らし、バッタリ出くわした魔獣と仲良くお喋りしてたら食われそうになってましたってわけか。まったくふざけてやがる」
「途中までは調子良かったんだ。会話魔法が通じていたし、受け答えもハッキリとしていた。対話できそうだったんだ」
アッシュが言うと、シオンは少し怒気の籠ったような声色で「バカが」と言い、静かに続けた。
「お前らの会話は洞穴中に響いていて、全て聞こえていた。いいか、俺は2人の会話をしっかりとこの耳で聞いていたんだよ」
シオンが自分の耳を指さしながら言う。
「……どういうこと?」
「ワニの魔獣の言葉が俺にも理解できていたって言ってんだ。お前は会話魔法で魔獣と対話できていたわけじゃない。あの魔獣は人語を操り、お前を騙そうとしていたんだ」
ハッとして、言葉を失う。てっきり、自分の魔法で会話できているものだと思い込んでいたからだ。アッシュは己の知識不足と経験不足を恥じた。
「まあ……閃光魔法で洞穴を照らしてくれたのは、俺としてもありがたかった。それに、そうしなければ、お前はあの魔獣に騙し討ちされて、暗い洞穴の中に引きずり込まれていただろうからな」
初めて、シオンが優し気な言葉をアッシュにかけた。視線は明後日の方を向いていたが、一瞬だけ穏やかな表情を浮かべていたようにも見えた。
「羊たちを食った犯人も、ワニの魔獣で間違いないだろう。村の近辺で魔獣が日中を過ごせる場所など、ここ以外にはなさそうだからな」
「洞穴の中に、他の仲間はいないのか?」
「ワニの魔獣が死んだ瞬間、洞穴に充満していた魔力が消え去った。今この洞窟内で、俺とお前以外の生物が放つ魔力は感じられない。つまり、もう洞穴内に魔獣はいないと断言できる」
「とりあえず、これでもう羊たちの犠牲は増えなくて済むってことだよな」
「ああ。もう日が沈みそうだ。さっさとリックさんに報告しに行くぞ」
そう言って、そそくさと洞穴から抜け出したシオンは村へ向かって歩き出した。「待ってくれよ」と言いながら、アッシュも後を追う。
どこまでも続く雄大な荒野はオレンジ色の夕日で照らされ、美しく輝いている。荒野の真ん中を突き進むのは、横並びで歩く2人の若き魔法使いだ。
彼らの数奇な運命の交錯は、ここから始まったのだった――
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