第2章 魔法屋の仕事
第7話 可憐な美少女
白く輝く太陽が天まで昇り、秋の澄んだ青空は遥か高く感じられた。心地よい涼しい風が吹き抜ける中、アッシュはとグラトの2人は東の山地を越えるため、道なき道を突き進み、エルレミラの町を目指していた。
山のふもとに着いた頃、アッシュは足元に何か妙な気配を感じた。反射的に「何かいる!」と叫び、飛び上がるように驚く。さっきまで踏んでいたところに目をやると、何やら地面がモゴモゴと蠢いていたことがわかった。
すると、丸っこくてぶよぶよとした巨大な単眼のバケモノが、地中から生えるようにして現れた。全身が目玉のような姿をした不気味な魔獣だ。目玉の下部にはひらひらとしたスカートのような皮膚があり、その中におぞましい口腔があるのが見えた。
「ほう、珍しいな。しかし、好都合でもある。闇を好む魔獣は太陽の下へ出てくると、動きが鈍るのだ」
そう言いながら、グラトはアッシュの背中をバンッと叩いて「倒して見せろ」と言った。
「そんないきなり……手を光らせることと、動物と会話することしかできないのに……あ!」
アッシュはあることに気が付いた。魔獣と会話できれば、戦わずに済むのではないか。魔法を意識して使ったことはないが、やってみるしかない。
「やあ、こんにちは。僕の名前はアッシュ。君の名前は何だい?」
「ウェピェウメポウエア、ウエエエアムホウン」
……わからない。おそらく、通じていない。グラトなら魔獣の言葉も理解できているかもしれないと思い、アッシュはちらりと顔を横に向けたが、グラトは口をぽかんと開けながら首をかしげていた。魔獣の言葉は、彼にもさっぱりわからなかったようだった。
その刹那、アッシュが僅かな隙を見せた瞬間のことだった。目玉の魔獣はアッシュのよそ見を一瞬たりとも見逃さず、ぶよぶよとした見た目からは想像もつかないほどの速度で体当たりを繰り出した。目玉の下に足でも隠れているのだろうか? とにかく、物凄いスピードで飛び跳ねてきたのだ。
間一髪で、アッシュは攻撃をかわした。しかし、目玉の魔獣は着地するや否や、ぴょんと跳ねて回って体勢を立て直しつつ、ぎょろりとアッシュを睨みつけ、再び体当たりしてきたのだった。魔獣の目玉は大きく見開いている。
「そうだ……これなら!」
アッシュは手のひらに意識を集中させた。魔法なんか、どうやって使うのかもわからないが、とにかく直感的にやってみるしかない。強く、強く光輝けと、全身全霊をささげて手のひらに意識を集中させた。
迫りくる目玉の魔獣。シンプルな攻撃だが、まともに喰らえばひとたまりもないだろう。魔獣は大きな目玉を見開いてアッシュを凝視しながら、猛スピードで突っ込んでくる。
すると、アッシュの手がパァッと光始めた。光はさらに輝きを強めると、手のひらからするりと抜けていった。アッシュの身体から離れた光は、胸の前にかざした両手の先に留まり、小さな光る球体として浮かびあがったのだ。
「これでどうだっ!」
咄嗟の思い付きだった。アッシュは叫びながら目を瞑り、両の手のひらを勢いよくパンッと合わせ、光る球体を叩き潰した。その瞬間、球体が放つ光は強く四方八方へ弾け飛び、鋭い閃光を魔獣に浴びせたのだ。魔獣は大きな目玉を強く刺激され、音もなく気絶したように地面へ転げ落ち、ピクリとも動かなくなった。
「や、やったのか……?」
恐る恐る、魔獣に近づいてみる。しかし、アッシュには魔獣が死んでいるのか気絶しているのかの見分けがつかなかった。
「死んではいない。魔獣は死を迎えると肉体が黒い灰と化し、空中へ霧散するのだ」
グラトが魔獣の様子を覗き込もうとするアッシュを制止しながら言う。そして、「ひとまず合格だな」と小さく呟きながら、左手を前へ突き出した。
直後、グラトの左手の先から鋭い風が飛び出して、ひゅんひゅんと音を立てながら旋回し、空を切り裂いた。次の瞬間には、目玉の魔獣の肉体はバラバラに引き裂かれ、断末魔を上げる暇もなく、そのまま灰と化して消えていった。
ただ茫然と見ていることしかできなかったアッシュを横目に、グラトはにやりと笑った。
「これくらいはできるようになってもらいたい。精進し、強くならねばな?」
「あ、あはは……これくらい、ね……」
力なく笑うことしかできなかった。だが、経験をひとつ積んだ。アッシュは魔法を使う感覚を、何となく理解したのだった。
☆
整備の行き届いていない歩きづらい山道を1時間ほど進んだ頃、グラトが何かに気が付いた様子で急に立ち止まった。そして、おもむろに杖を取り出すと、何やらぶつぶつと呟き始めた。
「一体どうしたんですか。まさか、またどこかに魔獣の気配が?」
警戒し、アッシュは周囲を見渡す。
「いいや、魔獣ではない。我々は“届く距離”まで来たのだ」
「?」
「これは、先ほど君にかけた魔法だ。ゆっくりと目を瞑りなさい」
アッシュは神の棲む山で自分の身に起きた不思議な出来事を思い出した。山頂にいたはずなのに、なぜか一瞬で村の外れに移動していたのだ。アッシュは言われるままに目を瞑る。すると、再び何だか身体が軽くなったような気がした。
不思議な感覚に包まれている時間は、神の棲む山のときよりもずっと長かった。ふわふわと水の上に浮かんでいるような感覚が数分続き、脳みそがぐるぐると回転したように感じた。思わず、吐き気を感じて顔を歪める。
「さあ、もう目を開けて大丈夫だ」
身体の感覚は戻っていなかったが、どうやら着いたらしい。アッシュはグラトの声を信用して、少しずつ目を開いた。
アッシュの目の前に広がっていたのは、西の村とは比べ物にならないくらい巨大な町だった。町の入口らしい堅牢そうな大きな門の両脇には、神秘的な雰囲気を纏った彫像が置かれている。
「こ、ここがエルレミラ?」
地方都市エルレミラは対魔獣用の防壁に囲まれていた。グラト曰く、東西南北に設置された4つの大きな門をくぐらねば、中に入ることができないらしい。
大きな門の先には街道が伸びていて、それぞれの方角への往来ができるようになっている。また、魔獣が現れた際の対策として、別の街道と繋がる迂回路も用意されている。時間はかかるが、死ぬよりはマシだということなのだろう。
アッシュは門を見上げると、自分がまるでありんこになってしまったかのように感じた。
上空から見下ろさなくても、かなり大きな町であることがわかり、アッシュは胸を躍らせた。だが、1つ疑問に思ったことがあった。
「最初から移動の魔法を使えばよかったんじゃ……」
ぼそりと呟いたのを、グラトは聞き逃さなかった。
「空間移動の魔法は、発動するだけでも膨大な魔力を消費する。その上で、魔力残量に応じた分だけの距離を移動することができるのだ。いくら私でも無尽蔵の魔力を保有しているわけではないのでな、あそこまで歩いた意味はあったのだよ」
アッシュは納得したような、でも何だか釈然としないような微妙な表情を浮かべた。魔法というのは、なんて複雑なものなのだろう、と。
「そういえば、魔力は人体に有害みたいだけど、魔法は人にかけても大丈夫なんですか?」
「悪意ある攻撃でなければ、基本的には問題ないだろう。だが、あまり長く魔法を受け続ければ、体調を崩すことくらいはあるかもしれんな」
「そういうものなのか……」
グラトの魔法講義も半ばに、大きな門の扉が音を立てて開いた。すると、大扉の隙間から門番らしき兵士がちらりと顔を覗かせ、さわやかな笑顔でグラトとアッシュを出迎えた。
「グラトさん! おかえりなさい!」
「ああ、ただいま。町は変わりないかな?」
「もちろんです。グラトさんが留守の間、何も異常事態はありませんでした」
衛兵はビシッと敬礼しながら報告を終えると、そそくさと自分の持ち場へ戻っていった。アッシュとグラトも町の中に入り、門の大扉はごうと音を立てながらゆっくりと閉まった。
「グラトさんって、町長か何かなのですか?」
民家がずらりと建ち並ぶ町の中を歩きながら、アッシュが訊ねる。
「そんな偉いものではないさ。ただの魔法屋だ」
「そういえば、魔法屋って言いますけど、何かを売っている店なのですか?」
「別にモノを売っているわけではない。魔法屋は、魔法でしか対処できない諸問題を解決する、いわゆる何でも屋だ。この世の中には、人間の力ではどうすることもできない理不尽な出来事が山ほどある。それを少しでも手助けするのが、我々魔法屋の仕事だ」
「それって、魔獣退治とか……?」
アッシュは少し不安げな表情を浮かべながら訊ねた。現状、アッシュには魔獣を退治できる力はない。だからこそ、自分が働いていけるかどうか心配になったのだ。
「もちろん魔獣退治を依頼されることもある。それこそ、魔法使いにしかできぬ仕事だからな。だが、簡単で地味な仕事だってたくさんあるぞ。例えば、馬車にも積めぬ大荷物を運搬したり、道を埋め尽くして通行の邪魔になっている羊の群れをどかしたり、といった仕事だ」
「はあ、全然簡単じゃないよ……」
大きなため息をついてしまったが、実のところ、アッシュの心の内は穏やかだった。なぜなら、村での生活と比べれば、窮屈さも退屈さも感じなかったからだ。ラッチと会えなくなったのは心細いが、それでも、希望に満ちた新生活が始まろうとしていると感じさせる何か予感のようなものがあったのだ。
「さあ、着いたぞ。ここが私の魔法屋だ」
グラトが指を差す方を見ると、何の変哲もない平凡な建物があった。よく見ると、扉の取っ手に“準備中”と書かれたボードが下げてあった。確かにお店のようだが、魔法使いを想起させるような変わった装飾などは一切見当たらない。イメージと少し違ったからか、アッシュは頭を少しだけ横に傾けた。
グラトは扉の前に立ち、杖でとんとんと地面を叩いた。すると、ガチャリという音がした。扉の鍵が開いたのだ。この世の中に、グラトが使えない魔法なんか存在しないのではないかとすら、アッシュは思い始めていた。
「今、帰ったぞ」と言いながら、グラトは建物の中へ入っていった。アッシュはグラトの後に続いて扉をくぐった。
その瞬間、アッシュの目には、それはそれは不思議な世界が飛び込んできたのだった。壁に飾られた神秘的な雰囲気を纏った武器や盾、装飾品、宝石の数々。暖炉の中では紫色の炎がめらめらと燃えていて、その上に置かれた不気味なツボには、緑色の液体が入っており、ごぼごぼと音を立てて湯気を漂わせていた。
暖炉の近くにはカウンターテーブルが置いてあり、双子の山のように本が大量に積まれていた。双子山の谷間に目をやると、誰かが顔を伏せてすやすやと寝ているのが見えた。魔法屋の従業員だろうか――
「おお、リシュナ。こんなところで寝ていたのか。風邪をひいてしまうぞ」
グラトが優しく声を掛けると、リシュナと呼ばれた人物がゆっくりと顔を上げて、か細い人差し指で目をこすった。はぁ~と大きなあくびをした後、自分のほっぺたをぺちぺちと叩いている。
「同じだ……」
そう呟いたアッシュが目にしたのは、これまで出会った誰よりも可憐な、クリーム色の滑らかな髪とルビーのごとき紅く輝く美しい瞳、そして少し変わった形の耳をした、可愛らしい少女だった。
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