第8話 若き魔法使いたち

「やあ、僕はアッシュ。よろしくねリシュナ」

 

 意気揚々と少女に挨拶したが、ピクリとも反応がなかった。それどころか、目を合わせることもなく、わざと無視するかのように店の奥の別の部屋に行ってしまったのだ。


「あの、僕、彼女に何かしちゃいましたか」


「そう気を落とすことはない、彼女は少々人見知りでな。警戒心が強いのだ」


 グラトの慰めるように言った時、ギイと音を立てて扉が開いた。店に入ってきたのは、青みがかった黒髪をした青年だった。青年は背が高く細身で、腰には刀を帯びている。

 青年が近くまで来た時、アッシュはあることに気が付いた。青年はパッと見た印象よりも、ずっとたくましい体つきをしていたのだ。衣服の上からでもわかるくらい腕の筋肉も足の筋肉も引き締まっていて、非常に洗練されている。


「グラト先生、やっぱり帰っていましたか」と、青年。


「ああ、さっき戻ったばかりだ。シオンも仕事帰りかね」


「あと1件残ってるので、またすぐに出ます」


 シオンと呼ばれた青年も、リシュナと同じこの店の従業員なのだろうか。クールで知的な印象を受けるが、どことなく暗い影も背負っているような雰囲気もあり、正直近寄りがたいなとアッシュは感じていた。

 その時、シオンが一瞬だけ首を傾け、アッシュのことをギロリと鋭いまなざしで睨み、再び視線をグラトの方へ戻した。


「グラト先生、彼は客……ではなさそうだ。まさか、新入りじゃないでしょうね」と、シオン。


「そのまさかだよ。今日からここで働く新米魔法使いだ」


 そう言うと、グラトは「自己紹介しなさい」とアッシュの背中を軽く叩いた。シオンの凍てつくような視線がアッシュに突き刺さる。


「今日からここで働かせてもらうアッシュです。よろしく――」

 

 そう言ってアッシュは握手をするべく、手のひらを前に突き出して、シオンの顔色を窺った。しかし、シオンはそっと腕を組んだまま、大きくため息をついたのだった。


「お前、いくつだ」と、シオン。


「……15歳だけど」


「これまでどこで何やってたんだよ」


「西にある田舎の村で、村長一家のメシ作ったり、ヤギの世話したり……」


「……もういい、黙っとけ」


 シオンは呆れたような口調でアッシュの言葉を制止した。あまりの乱暴さに、アッシュは怒りよりも哀しみを抱いた。やはり、自分は変人なのだろうかと、自己嫌悪に陥りそうだった。


「グラト先生、一体何なんですかこいつは。どうしてこんな……」


 そう言ったところで、シオンは口を閉ざして下を向いてしまった。すると、グラトは優しくシオンの頭の上に手を置き、まるで子供の相手をするかのようにぽんぽんと撫でた。


「アッシュは私と同じ“古き血の継承者”だ。お前が理解に苦しむのも無理はない」


 グラトがそう言った瞬間、シオンは即座に顔を上げた。彼は雷に打たれたような表情を浮かべながら、ぎょろりとアッシュの方へ視線を移した。そして、頭からつま先まで、全身をまじまじと観察し、奥歯をギシリと噛み締めた。

 その直後、チッと舌打ちをして、勢いよく扉を開けて店の外へ出て行ってしまった。嵐のような出来事の連続に、アッシュの頭は全く追いついていなかった。


「すまないな……この店の従業員は曲者ばかりなんだ。まあ、何とかうまくやってくれ」


 「あはは」と笑うことしかできなかった。彼らとうまくやっていくことなどできるのだろうか。大きな不安を抱えたまま、アッシュの新たな人生が始まろうとしていた。その時のことだった。


「シオンー、まだいるー?」


 突如、部屋の中に響いてきたのは陽気な女の子の声だった。ふと店の奥に目をやると、先ほどの少女がぴょっこりと可愛らしい顔を覗かせていた。


「シオンなら出ていったよ」


 それとなく自然な口調で、アッシュが答えた。すると、リシュナはあんぐりと口を開けたまま、逃げるように顔を引っ込めてしまった。その直後「あああああ~~~~~~~~~!」と叫ぶ声が聞こえた。

  グラトは一連のやり取りを深刻そうな表情で見つめていた。しばらくして、ようやく動き出したかと思えば、リシュナが隠れた部屋の前でとんでもないことを口にした。


「リシュナ、彼は新人のアッシュだ。彼にはカラスとヤギしか友達がいないんだ。仲良くしてやってくれないか」


 アッシュは顔がカッと熱くなったのを感じた。喉の奥から耳の先まですごく熱い。本当に、驚きのあまり目玉が飛び出して転げ落ちるかと思った。自分もリシュナと同じように今すぐどこかに隠れたい。そんな思いを抑えつけながら声を上げた。


「ちょっと! なんでそんなことを言うんだ!」


「本当のことだろう?」


 グラトは悪戯っぽい顔でアッシュを一瞥した後、視線をリシュナの方へ戻した。すると、そーっとゆっくりと、リシュナが部屋から出てきた。


「本当にカラスとヤギしか友達がいないの?」


 なぜそうやって傷を抉るようなことを言うんだ。そう言いたい気持ちを必死でこらえた。きっと、グラトに何か考えがあるのだろう。実際に、リシュナは出てきてくれたじゃないか。そう捉えて、アッシュは話を合わせるしかなかった。


「……そうだよ。カラスの名前はラッチっていうんだ。ヤギはメイサーとか、他にも何頭かいるけど、友達はそれだけさ」


「あたしも同じだ。ここに来る前に住んでた場所では、動物……しか友達がいなかったよ」


「え、もしかして君も動物と会話できるの?」


 アッシュが驚いた表情で質問を投げかけた時、リシュナは急にほっぺたを膨らませて口を尖らせた。そして、質問をあえて無視するかのように、強引に話題を変えられた。


「さっきの会話をちょっと聞いてたんだけどさ、キミ、シオンには敬語使ってたよねぇ。どうしてあたしにはタメ口なの?」


 急変したリシュナの態度に困惑しつつ、アッシュはシオンに対して敬語を使った理由を考えた。彼が怖い顔をしていたからというのは……ちょっとはある。


「えっと、シオンは年上かなって思ったから」


「ふうん」


 そう言うと、リシュナはにやりと笑って綺麗な白い歯を輝かせた。


「アッシュは15歳なんだよね?」


「うん」


「シオンは19歳だから、せいかいー」


「そ、そっか……」


「それでは問題です。あたしは何歳でしょうか!」


 最悪だ。最悪の質問だと、アッシュは直感で悟った。ふと、助けを求めるようにグラトの方に視線を動かしたが、目をそらされた。アッシュは自分がピンチに陥っていることを改めて理解した。

 正直、最初は14歳くらいだろうと思っていた。しかし、この会話の流れからして、おそらくアッシュより年下ではないのだろう。同い年か、少し上……それくらいが、最も厄介ごとから遠い解答になるだろう。アッシュは意を決して、答えを出した。


「17歳?」


「ぶっぶー。無難な答えを用意してきたねー、わかりやすいよ、キミ」


 リシュナは悪戯顔をしながら、人差し指を左右に揺らした。


「正解は~、18歳でした! どう? わからなかったでしょ?」


「大して変わらないじゃないか!」


 思わず、アッシュは叫んでしまった。それを聞いて、笑い出すリシュナとグラト。つられて、アッシュも笑ってしまった。

 心の底から笑ったのはいつぶりだろう。この和んだ空気感にアッシュは浸っていた。ずっとこうしていたいと思えるくらい、既に十分な幸せを感じてしまっていたのだ。


「まあ、敬語とか嫌いだし、本当はどうだっていいんだけどね。あたしがグラトとタメ口で喋ってるの見ると、シオンは機嫌悪くなるけど」


「はは、そうだろうね」


 アッシュとリシュナが楽しげに会話を楽しんでいた時、コンコンと店の扉をノックする音が聞こえた。途端、リシュナは隠れるようにカウンターテーブルの横の椅子に座って小さくなった。


「おや、来客かな。アッシュ、いきなりで悪いが出迎えてくれ」


 言われるがままに、アッシュは扉を開けてお客を出迎えた。ぺたぺたという足音と共に店に入ってきたのは、ぼろぼろの布を羽織い、フックのように曲がった長い杖を持った男性だった。


「私は羊飼いのリック。南の村の牧場からやって来ました。魔法使い様、お願いです。どうか可愛い羊たちを魔獣の手からお救いください」

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