第6話 魔法を使える者として
「ついに旅立つんだな、アッシュ」
寂しそうにカアと鳴くのは、カラスのラッチだ。
「ミルゴの坊やは、ちゃんとおれらのご飯を持ってきてくれるのかねぇ」
心配そうにつぶやいたのは、ヤギのメイサーだった。それに続いて、他のヤギたちも同じようにめえめえと不安そうな声を上げた。
「ごめんな、僕はもうここにはいられないんだ。みんな、これからも元気で過ごしてくれよな」
別れの挨拶を済ませて、アッシュはグラトの元へ向かおうとした。その時、ラッチが地面をぴょこぴょこと跳ねながら近づいてきた。
「離れていても友達だ。お前はひとりじゃねえから、それを忘れんなよ」
カアと鳴く。
「ああ、わかっているさ。本当にありがとう。ラッチは僕の親友だ」
いつの間にか、アッシュの目には大粒のしずくが浮かんでいた。それが落ちないように上を向いて、さっと袖で拭った。そして、もう振り返らないと心の中で誓い、駆け出したのだった。
☆
半ば追放されたような形で村を出て、2人は東のエルレミラを目指して歩き始めた。アッシュはグラトに聞きたいことが山ほどあったが、最初に質問をしたのはグラトの方だった。
「君はいつからあのカラスと――ラッチくんと喋れるようになったんだい?」
「ええと、8年前……母さんが死んだ時です」
アッシュはグラトと2人きりになった途端、口調が敬語に戻ってしまった。なんだかんだでアッシュも村の人間であり、外部の人間との距離感をうまく掴めずにいたのだ。
「そうか……それ以外に、何か不思議な体験をしたことはないかい?」
「実は、ついさっきありました。神の棲む山へ向かう途中、暗い森の中で突然両手が光ったんです。そのおかげで、道を照らすことができ、迷わずに山の入口へ辿りつくことができました」
「手が光っただけ、か?」
「そうですね……まあ、それのせいで犬の魔獣をおびき寄せてしまったみたいなんですけどね。あれは一体何だったのでしょうか」
アッシュが苦笑いしながら言う。それを聞いたグラトは「ふむ……」と言ったまま黙ってしまった。しばらく沈黙が続いて、耐えきれなくなったアッシュが次の質問を投げかけた。
「もしかして、僕も魔法使いだったってことですか?」
「もしかしても何も、君はペラペラとカラスと喋っていたじゃないか。あれは立派な“動物会話魔法”だ。まさか気が付いていなかったのか?」
「いや……気が付いていなかったわけではないけど、まさか本当に自分がそうとは思わないじゃないですか。それに、魔獣を倒せるような魔法は使えないし」
「魔獣を倒せるような魔法を、まだ使えていないだけだ。きっとこれから使えるようになる」
「でも、魔法を使える者は1種類の魔法しか使えないのではないのですか? 村の先生からはそう教わりました」
アッシュがきょとんとした顔で言う。アッシュが育った西の村では、比較的学のある大人が教師として立ち振る舞い、子どもたちに世の物事を教え聞かせる風習があるのだ。といっても、教師自身も村から出たことがないため、村の掟や、外の世界がいかに危険であるかなど、狭い世界についてしか知ることはできないのだが。
「いいか、アッシュ。大人の言うことは、必ずしも全て真実とは限らないものだ」
そう前置きして、ふうと息を吐いた後、グラトは再び口を開いた。
「確かに、今の世の中にいる魔法使いのほとんどは1種類の魔法しか使えない。彼らは生まれ持った唯一の魔法を育て上げていくことでしか強くなれないのだ。しかし、ごく少数ではあるが、後天的にいくつもの魔法を習得できる者たちがいる。彼らは“古き血の継承者”と呼ばれている」
「!」
アッシュは神の棲む山で出会った精霊の言葉を思い出した。彼女はアッシュのことを『古き血を継承する貴方』と呼んでいたのだ。
「アッシュ、お前は既に2つの魔法を習得している“古き血の継承者”なのだ。そして、それは私も同じだ」
奇跡だとか、母の力だとか、偶然の産物だと思い込んでいた。アッシュは自分の力を低く見積もりすぎていたのだ。アッシュはただの人間ではない、特別な力を持つことを許された古き血の魔法使いだったのだ!
しかし、仮にそうだとして、やはり引っ掛かるのは精霊の言葉だった。
『再度言っておきますが、私は彼に警告しました。祠に霊薬はない。危険だから止まりなさいとはっきり伝えたのです。それでも彼が止まらなかった理由は、古き血を継承する貴方ならば、いつかわかる時が来るでしょう』
自分が古き血の魔法使いであることを自覚してさえいれば、父が信憑性皆無な霊薬の噂に飛びつかねばならなかった理由がわかるとでもいうのだろうか。ミルゴとよく似た病で死んだ母。母の病を治すため、在りもしない薬を取りに行き死んだ父。ただの水で完治したミルゴ。
あの病は一体何だったのか、アッシュはグラトに聞かないではいられなかった。
「結局、ミルゴは何の病だったのですか?」
母の名を出して聞くのは恐ろしかった。それに、ミルゴの名を出す方が自然だろうと、アッシュは思ったのだった。
「……辛い話になるが、覚悟して聞いてもらうぞ」
「もちろん、わかっている」
「ミルゴ少年の病の原因は、アッシュ。君の魔力だ」
「…………」
思わず足を止めてしまった。返事もできなかった。呼吸も止まりそうだった。あの病の原因が、自分だったというのか。それでは、まさか、母さんの死因も……
「念のために言っておくが、君の母親の死に君自身は関わっていない。だから、そう思い詰めた顔をするな」
グラトはまるで心を読んだように、優しく適切な言葉をかけた。ひとまずほっとしたが、それでもまだ頭の中はこんがらがっていた。
「これは自分の魔力について理解が足りていない、未熟な魔法使いにはよくあることなのだ。魔法使いとして生まれた者は、生来“魔力”を持っている。この“魔力”を消費して、我々は魔法を使っているのだ」
「普通の人間に魔力はないのですか?」
「そうだ。それどころか、魔法使いではない普通の人間が素の魔力に触れれば、身体に悪影響を及ぼすことがあるのだ。より強い魔力に当てられれば、人体は容易に破壊されるだろう」
「……つまり、僕が無意識に拳に宿してしまった魔力がミルゴを苦しめた、と」
「いや、決して無意識などではない。君はミルゴに対し、強い負の感情を抱いていただろう? 己の内にあった害意が魔力として具現化し、毒となってミルゴの身体を蝕んだのだ。しかし、最終的に君は自分自身の意思で、彼の完治を願った。負の感情は正の感情によって中和され、彼の体内に深く入り込んだ負の魔力は綺麗に取り払われたのだ」
「感情の中和……」
「そうだ。それ以外の方法だと、毒を付与した魔法使いの命を絶つしかない」
「なるほど……そういえば、ミルゴに飲ませたのは本当にただの水だったのですか?」
「ああ、あれは本当にただの水なのだ」
どうも釈然としないなと思いながらも、アッシュはグラトの話を静かに聞き続けた。
「古き血を継承する者が持つ魔力は特殊なもので、普通の人間どころか、魔法使いを病に至らしめることすら可能なのだ。あと一歩でも対処が遅れれていれば、普通の人間であるミルゴは死んでいたかもしれん」
己の内に潜む悪魔のような力に恐れを抱き、アッシュは表情をこわばらせた。それを、グラトは真剣な眼差しで見ていたのだった。
「魔法使いの力は使い方を誤れば、ひどく恐ろしい凶器となりうる。故に、魔法使いは常に冷静でなくてはならんのだ。君には才能がある。力の使い方を学べば、きっと偉大な魔法使いになれるだろう」
アッシュはその言葉に救われたような気がした。力は使い様なのだ。自在に使いこなせるようになれば、人を救うことだってできるだろう、と。
ただ、アッシュの胸中には、まだ気になることがたくさん残っていた。グラトの話が全て真実ならば、きっと母は魔法使いだったのだろう。だが、母の病も何者かの魔力が原因なのではないか。
仮にそうだとすれば、母に向けられた悪意ある魔力の持ち主もきっと“古き血の継承者”なのだろう。その人物は今も生きているのだろうか。いや、きっと生きているに違いない。なぜだかわからないが、アッシュはそう確信できたのだ。
アッシュの腹の底では、どす黒い負の感情がうっすらと渦巻き始めていた。
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