第40話 不死のティトーノス

「せっかくだ、少しくらいは遊びに付き合ってやってもいい」 


 ティトーノスが右の掌を前方へ突き出し、身の毛もよだつ恐ろしい魔力の波動を撃ち放った。轟音とともに飛来する魔力波が、大地を抉りながらアッシュの元へと向かってくる。

 直感的に回避不能であると悟ったアッシュは、咄嗟に閃光迅剣フラッシュブレードを発動した。しかし、それは剣の形ではなく、まるで巨大な盾のような魔力防壁だった。


 凄まじい威力を誇るティトーノスの魔力波と魔力防壁が接触した瞬間、大きな爆発が起こり、アッシュは後方へ大きく吹き飛ばされた。もくもくと土煙が立ち上り、静寂が場を支配した。

 その時、土煙の中から、肩で息をするアッシュが姿を現した。ギリギリだったが、ティトーノスの攻撃を防ぎ切ったのだ。


「……危なかった」


 もし閃光迅剣フラッシュブレードを応用した魔力防壁を思いつくことができていなかったら、今頃息をすることすらできていなかっただろう。アッシュは安堵の息をつきつつ、次の手を打つべく再び思考を巡らせる。


「剣だけでなく、盾も作るか。否、結界魔法と言った方がふさわしいな。何にせよ、忌々しいことこの上ない」


 すると、ティトーノスが右手を突き出し、続けざまに二撃目の魔力波を撃ち放った。


「僕だって、同じ手は何度も喰らわない」


 すぐさま、アッシュはさらに分厚い魔力防壁を正面に顕現させた。ティトーノスの魔力波は、威力任せの大雑把な攻撃だ。しかし、敵は史上最悪の魔法使い。念のため、正面の魔力防壁とは別に小さな魔力防壁の小盾を複数生成し、あらゆる方向からの不意打ちに対応する。

 数秒も経たず、強烈な魔力波が到達した。厚みが増した魔力防壁は有効に機能し、今度こそティトーノスの巨大な魔力波を完璧に防ぎ切った。同時に、予想通り左右から鋭く伸びる矢のような魔力波が飛来する。


「大丈夫、防げる」


 両手に装着した魔力の小盾で、左右の攻撃を弾く。直後、頭上からも魔力波が強襲。だが、アッシュは瞬時に新たな魔力防壁を出現させ、上からの攻撃すら無効化してみせたのだ。


「うっ……!」


 ずどんという音と共に、アッシュの全身に衝撃が走る。鳩尾を殴られたときのような苦しみに襲われ、思わず膝をつく。その時、アッシュはあることに気が付いた。いつの間にか、足元に小さな穴と爆発痕のようなものができていたのだ。


「何だよ、何でもありかよ……」


 膝をついて苦しそうに呼吸を繰り返しながら、アッシュが文句を溢す。


「何でもあり……? そのような無粋な言葉は、古き血にこそ似合うというもの。私は溢れんばかりの魔力を放っているだけだ」

 

 その時、アッシュの身体があたたかなオレンジ色の光に包まれた。不死鳥治癒ヒーリングで自らの肉体を癒し始めたのだ。グラトによる魔力供給の影響は大きく、たった数秒の治癒魔法で大部分の痛みが消え去った。


「……何でもありってこういうことか?」


 アッシュが悪戯顔で微笑む。だが、内心は決して穏やかなものではなかった。ティトーノスの強さを肌で感じ取ってしまったからだ。

 一方で、ティトーノスは驚いたような表情を見せていた。少し狼狽えるように仰け反りながら、口をあんぐりとさせていたのだ。


「貴様、その治癒魔法は……!」


「まさか卑怯だとでも言うつもりか?」と、挑発口調のアッシュ。


「今更卑怯とまでは言うまい。いや、少しな、10年前に殺し損ねた憎き魔女を思い出したのだ。北の村に逃げ込んだ、ラースという女。ヤツは防御魔法と回復魔法に特化した古き血の魔法使いでな、老体だった私には少し厳しい相手だったのだよ」


 思わぬタイミングで母の名を聞き、アッシュの鼓動が加速する。


「ラースは厄介な相手だったのだが、戦争の半ばで突如責務を放棄して逃げ出したのだ。後でわかったことだが、ラースには子がいたようだった。自分の子を守るために前線から逃亡したことで、優勢だった古き血の戦陣が乱れた。あの魔女の生死がわからぬままなのは心底腹が立つが、おかげで多くの古き血をこの手で殺すことができたわい」


「何が言いたい!」


 アッシュが叫び上げる。首を斜めに傾けながら腕を組んだティトーノスは、まじまじとアッシュの顔を見ながら不敵に笑っている。すると、ふと何かに納得したように、うんうんと頷く仕草を見せた。


「貴様、あの魔女の子だな?」


「……違うと言ったら?」と、険しい表情のアッシュ。


「隠さなくてもよい、私は臭いでわかるのだ。同じ古き血の臭い……ひどい悪臭だ。どうだ、あの女はまだ生きているのか? さすがにもう死んだか。ハッハッハッハ」


 無意識に、アッシュの右手が前へ出る。その瞬間、怒れる魔力が暴発し、波動となってティトーノスに襲い掛かった。しかし、ティトーノスは手刀一振りでいともたやすくアッシュの波動攻撃を地へ弾いた。


『挑発に乗るな、アッシュ。お前はティトーノスではない。そのような魔力の使い方をしてはいけない』


 グラトが諌めると、アッシュは少しだけ落ち着きを取り戻した。


「お前の腑抜けた母親が前線から逃亡していなければ、きっと我ら聖血魔導会は早々に壊滅していただろう。それだけではない、多くの古き血の魔法使いたちも死なずに済んだだろうな。忌まわしき子よ。お前がいなければ、貴様の母親もその家族も、グラトの友人も、見知らぬ同胞も、皆死なずに済んだのだよ」


 嘲り笑いながら、ティトーノスが挑発的な言動を繰り返す。


『アッシュ、揺れるなよ。ラースが素晴らしい魔法使いであったことは事実だ。しかし、お前には何の責任もない。アッシュがいなければ、ラッチくんやシオ……リシュ……って……』


「大丈夫だよ、あんな挑発には乗らない。それより、山の方はどうなっている? シオンとリシュナは無事?」


『……ああ、ひ……段落し……よ……だ。彼らは……分の仕事を……り遂げた』


「……なんだか聞き取りづらいな。でも、わかった。後は僕が役割を全うすればいいだけだね」


 アッシュは再び両の手のひらに魔力を集中させ、大火球――不死鳥獄炎ヘルフレイムを生み出した。同時に、にも魔力を溜め込んでいく。

 渾身の不死鳥獄炎ヘルフレイムが猛スピードでティトーノスに接近する。だが、ティトーノスは軽やかな身のこなしで、あざ笑うように大火球攻撃を回避した。


「甘い!」


 アッシュの叫びと共に、不死鳥獄炎ヘルフレイムがティトーノスを追尾する。予想だにしない攻撃を受けたティトーノスは、地獄の炎を正面から受け止めようとした。

 その時、アッシュの両腕にストックされていた魔力が――まるでリシュナの魔力矢の雨アローレインのように――手のひらへと移動した。


 そして、次の大火球……よりもっと大きい。特大火球――不死鳥獄炎爆裂ヘルフレイムバーストを発現させ、畳みかけるように撃ち放った。追撃となる特大火球がティトーノスに直撃し、激しく燃え盛る炎の柱が若き肉体を包み込んだ。


「燃え尽きろ……!」


 これが、現時点の手札の中では最高火力の魔法だ。不死のティトーノスとはいえ、無事で済むわけがない。アッシュはそう思いたくて仕方がなかった。


「ぬおおおおおおお!」


 痛みに苦しむ呻き声とともに不死の魔力が溢れ出す。ティトーノスが体内に溜め込んでいた魔力を一気に放出し、外部から攻め来る炎に対抗しようとしたのだ。

 一瞬、しんと静まり返った後、猛烈な魔力波が吹き荒れ、炎の柱が吹き飛ばされた。姿を現したのは、肩を上下させて息をするティトーノス。


「まだ立つか……でも、効いてる!」


 喜びも束の間、アッシュは次の攻撃を仕掛けるべく魔力を練る。このまま攻撃を続けていればきっと……


 ズン、と重い衝撃が右半身に走った。


 無意識に身体が反応したおかげで急所への直撃は免れた。そのおかげで、すぐさま死に至ることはなかった。だが、溜めていた膨大な魔力と共に、アッシュはこれまでずっと大事にしてきたものを一瞬にして失ったのだ。

 これまでに一度たりとも経験したことがないほどの激痛が全身を駆け巡る。光のごとき速さで放たれた憤怒の魔力波が、アッシュの右腕を消し飛ばしたのだ。


「はぁ……はぁ……、、ない……ない?」


 このままでは、多量に失血して――死ぬ。咄嗟に治癒魔法を発動し、止血を急ぐ。しかし、腕を吹き飛ばされた時点で、既に想像を超える痛みと共に過剰な出血をしており、足元には血の池ができていた。めまいと同時に、膝の力が抜けていく。


「古き血の継承者よ、私と貴様との間にある力の差は、想定以上に大きかったようだな」


 ティトーノスの表情からは、余裕や嘲りによる笑みが消えていた。そこにあるのは、ただひたすらに古き血の者に対する怨念のみ。一歩、また一歩とアッシュへと近寄りながら、怒りに震える拳にどす黒い魔力を溜め込んでいる。


「お、お前は……なぜ古き血の魔法使いを恨むんだ……?」


 必死に声を絞り出す。何でもよかったのだ。何としても、アッシュは治癒魔法で傷を回復する時間を稼ぎたかった。このままでは――


「治癒魔法の時間稼ぎのつもりか。まあ、いいだろう。どの道、お前は死ぬ運命にある。そして、私には無限の力と時間があるのだから」


 ティトーノスは腕を組み、少し視線を落として語り出す。


「およそ300年前の満月夜、辺境の村に住む一青年でしかなかった私は、突如として魔法使いとして覚醒した。いいや、私だけではなかったのだ。私の村に住む人間たちは――当然、私の家族も――皆魔法使いの素養があったらしく、全員が一夜にして魔法の力を得たのだ。しかし、そこへ古き血の一族がやってきた。我ら新しき血の魔法使いの力を恐れていた彼奴らは、我らを皆殺しにしようとしたのだ!」


 語気が強まると共に、ティトーノスの全身から毒々しい魔力が溢れ出る。


「結局、生き残ったのは私のみ。いいや、不死魔法の力によって死ぬことができなかったというべきか。その時、憎むべき古き血の一族を根絶やしにしてやると、私は誓ったのだ」


 怒りに震え、憎しみで顔を歪めるティトーノスの目に映るものは、古き血の末裔アッシュのみ。怨念に溢れた殺意の念が魔力に上乗せされていく。


「仮にその話が真実だとして……お前は自分たちが苦しめられた、古き血――僕らの先祖による愚かな行為と同じことをしているんだぞ」


「それが復讐というものだ。二度と愚かな行為をせぬように、罪深き古き血の一族は絶滅させねばならん」


「僕とグラトはそんなことしない!」


「信じろとでもいうつもりか? だが、現に貴様らは我ら聖血魔導会を抹殺しようとしているではないか。我らには戦う理由があるのだ」


「お前らが……聖血魔導会がシオンの家族やリシュナを傷つけ、グラトさんや僕の命を狙うから、僕らは戦わなければいけなくなっているんだろうが」


「綺麗事ばかり並べるな。それに、貴様の母であるラースは死んだのだろう? ということは、私は貴様にとっての仇敵ということになる」


「……ああ」


「貴様が母のために戦っているのと同じく、私も同胞の恨みを晴らすために戦う。これは、長き時を超えた弔い合戦なのだ」


 クソ……その通りだ。と、アッシュは胸中で叫んでいた。結局、そうなのだ。自分は魔法屋で多くの人に出会い、多くの人を助けてきた。でも、心の奥底に眠る本心では、両親を死に追い込んだ者たちに対する怨念が降り積もっていたのだ。

 

「…………違う」


 いや、違わない。でも、それだけじゃない。アッシュの復讐心は本物だ。でも、それと同じかそれ以上に、居場所を守りたい。シオンやリシュナ、グラトが受け入れてくれた魔法屋を守りたい。その気持ちも本物なのだ。


「もういいだろう。治癒魔法で出血を止めることはできても、腕を元に戻すことはできなかったようだな。次は左半身を粉々にして吹き飛ばしてくれる!」


 全身に纏っていた禍々しい魔力がティトーノスの手のひらの先に集結していく。それは憤怒と怨念のこもった闇の魔力の塊。かつてなく強大な魔力の波動が撃ち放たれようとしているのだ。


 その時、アッシュはあることに気が付いた。それは、ほんの些細な変化でしかなかったが、間違いのないものだった。




 ――まるで乾燥しきった大地のように、ティトーノスの筋骨隆々とした逞しい肉体に、奇妙な亀裂が走っていたのだ。

 


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