第39話 古き血を継ぐ者

 シオンと魔女グレアによる因縁の激戦が勃発し、リシュナが怪力男ベンドンを煽って注意を引き始めた頃、アッシュはティトーノスの元へ向かって走っていた。


「あのデカいやつ、ブチギレてるな……後ろがガラ空きだ」


 その時のことだった。突然、脳内に声が響いてきたのだ。声の主がグラトであることを、アッシュはすぐに理解した。


『アッシュ、アッシュよ、聞こえているな? 時間がない、ティトーノスはすぐに復活する。まだ弱った老人の姿をしているうちに、精霊山から離れた場所へ移動させるのだ。そして、そこでティトーノスとの決着をつけるのだ』


「復活する前に、今この場で倒しきる……というのは無理ってこと?」


『失敗した際のリスクが大き過ぎる。とにかく、精霊山でアッシュとティトーノスが衝突するのは得策ではないのだ。神の棲む山の断崖絶壁を覚えているだろう? あれはティトーノスの仕業なのだ』


 忘れるわけがなかった。父が落下死した、神の棲む山の奇妙な断崖絶壁。アッシュは静かに頷いて答えた。


「……わかった。ここにはシオンもリシュナもいるしね」


 アッシュは手に魔力を込めながら、白目を剥きながらがくがくと震えている老いたティトーノスの細い足首をガシッと掴んだ。そして、くるりと横に回転しながら、力任せに放り投げた。

 ごく平凡な素の腕力に魔力が上乗せされたことで、放り投げられたティトーノスは遥か遠くまで飛んでいった。すぐさま、アッシュは流纏走術で追いかける。見失わないように目で追いながら、猛スピードで駆けていく。


 アッシュに放り投げられた小さな老人は、まるで流れ星のように飛んでいく。10秒程度飛行した後、地が揺れるほどの衝撃が走り、大きな落下音が一帯に響き渡った。そこは、無人の廃墟のようだった。


 数秒遅れて、アッシュが到着した時のことだった。土煙が立ち込める中で、ぞわぞわと蠢く禍々しい魔力が大きく膨れ上がった。そして、煙越しに何か大きな人影のようなものが見えた。

 その正体こそ、不死のティトーノスの真の姿。既に、彼は小さな老人の姿をしていなかった。グラトに匹敵……否、それ以上に強大な魔力を持った史上最悪の魔法使い“不死のティトーノス”は、霊薬の力により強靭で若々しい肉体を得ていたのだった。


「ふむ……慣れぬな。若い肉体など、300年ぶりだろうか」


 2m近くありそうな脚長の超高身長。引き締まった美しい筋肉。まつ毛の長い美形顔。さらさらと靡く金色の髪。官能的な重低音の声色。そして、全てを飲み込んでしまいそうな深淵の闇を思わせる暗い瞳。

 霊薬の力により、“不死のティトーノス”は300年溜め込んだ魔力を持ったまま若返り、最も強く最も美しかった時代の肉体を取り戻してしまったのだ。


「お前が……ティトーノス」


 対峙するのは、魔法を覚えて僅か半年程度ながら、恐るべき速度で成長した少年アッシュ。明らかに実力も経験も不足していたが、彼には新たな精霊の王である守護賢者グラトの加護があった。


『ティトーノスは不死だ。誰であろうと、ヤツの命を奪うことはできない。だが、全く勝ち筋がないわけではない』


「何か方法が……?」


『不死魔法は万能の力ではない。能力というより、能力と言った方がいいかもしれん。ヤツは一切の傷がつかない無敵の肉体を持っているわけではないし、回復能力が特別優れているというわけでもないのだ』


「殺せないけど、倒せると?」


『そうだ。だが、不死魔法の力によって300年以上かけて溜め込んだ膨大な魔力が脅威であることに変わりはない。その上、今のティトーノスは若き肉体を手にしている。かつて私が対峙した時よりも、遥かに強いだろう』


「へへ、そいつはちょっと重いな……」


 その時、ティトーノスがアッシュの姿を目の端で捉え、不敵に笑った。


「貴様か……忌々しい古き血グラトの弟子。まだ幼いが、魔力量は申し分ない。だが、臭う。貴様の魔力は酷く臭うぞ。やはり、貴様も古き血を継ぐ者だな」


 禍々しい魔力の渦が一帯を支配し、アッシュの心臓をきつく締めあげた。暗闇の森で初めて魔獣に遭遇した時に感じた恐怖とは比べ物にならない。凄まじい絶望感に意識を持っていかれそうになっていた。


『アッシュ、大丈夫だ。古き血であることを隠す必要があった頃とは違う。今のお前なら、きっとティトーノスに通用する。自信を持て、お前は強い』


 アッシュは自分の手のひらをじっと見つめた。右手の中には、熱く燃える小さな炎。ぎゅっと拳を握り締めた瞬間、身体全体が熱気を帯び、体温がグッと上昇したような気がした。


「大丈夫、やれる」


 アッシュが決意を固める。


「随分独り言が多いようだが……まあいい。魔力だけでなくセンスもありそうだが、若さを取り戻した私の敵ではない。さっさと片付けて、グラトに復讐せねば……」


「グラトさんのところへは行かせない! お前の相手は僕だ」


「寛大な私は、幼き子には慈悲を与える。だが、幼き子といえど、古き血を継ぐ者であるならば、決して容赦はせぬ。今さら慈悲を懇願したところで、古き血を生かしておくわけにはいかぬのだ」


「誰がするかよ!」


 瞬時に魔力を練ったアッシュは、左右それぞれの手に巨大な火球を出現させた。そして、2つの巨大火球を押し出し、ティトーノスめがけて同時に放ったのだ。

 火球がひとつ、激しく燃えながら悪しき魔法使いに襲い掛かる。しかし、ティトーノスは禍々しい魔力を込めた手刀で火球を切り裂き、アッシュの魔法攻撃を一瞬で無へと還した。


「ほう……」


 ティトーノスが視線を右へ向けた瞬間、灼熱の火炎が炸裂し、身体が激しく燃え上がった。徐々に威力を増しながら遅れてやってきた、もう一方の火球がティトーノスの右半身に直撃したのだ。

 今のアッシュが放つ魔法攻撃ならば、半端な魔獣や魔法使いでは、一瞬たりとも耐えることなく消し炭になっていただろう。しかし、黒煙が立ち昇り火柱に包まれる中で、ティトーノスは余裕の笑みを浮かべながら驚愕と興奮の混じった激しくうねる感情を滾らせていたのだった。


「フハハハハ! そう来るか、なかなか面白い」


 ティトーノスが右腕を振るって横一文字を斬る。その瞬間、灼熱火球が生み出した炎の柱が、びゅうという轟音と共に消え去った。魔力を込めたティトーノスの一振りで、アッシュの魔法は完全にかき消されてしまったのだ。

 だが、それはアッシュにとっては想定内の出来事だった。既に魔力を練り終わり、次の一撃を放つ準備が終わっていたのだ。


千本の閃光迅剣サウザンドフラッシュブレード


 精霊の王となったグラトによるは、閃光迅剣フラッシュブレードを長時間にわたって顕現させることすら可能にした。アッシュは小さな閃光迅剣フラッシュブレードを無数に生み出し、自らの周囲に浮かべた。


「今度は何だ。何を見せてくれるのだ、古き血の小僧!」


 あざけり笑うようにティトーノスが言う。


「刺せ!」


 アッシュが右手を前へ突き出し号令をかける。刹那、無数の光の刃がティトーノスを取り囲み、鍛え上げられた若々しい肉体に傷を付けようと一斉に飛び掛かったのだ。

 ほぼ同時に、アッシュは巨大な閃光迅剣フラッシュブレードを具現化させた。そして、流纏走術でティトーノスに急接近し、まるでシオンの居合切りのような構えをしながら、全身全霊の一太刀を浴びせようと試みたのだ。


 しかし、無数の光の刃が飛び交う中で、ティトーノスの手が動いた。アッシュが放った渾身の一撃は、軽々と片手で止められてしまったのだ。


「一撃目で注意を誘い、二撃目で本命の攻撃。同じ手は何度も喰らわんぞ」


 すぐさま、アッシュは後方へジャンプして距離をとった。不死どころの話ではない。


 この男は――若い肉体を得たティトーノスは、これまでにアッシュが出会ったどの魔獣よりも、どの魔法使いよりも……考えたくはないが、グラトよりも――圧倒的に強い。

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