第2話 不思議な来訪者
走っても、走っても、走っても、走っても、走っても、前に進んでいる気がしない。以前にも、この感覚を味わったことがあるような気がする。後ろから、何かに追いかけられているような気もしてくる。
ふと恐ろしくなり、立ち止まって周囲を見渡した。まだ森には入っていない。ここは村の外れで、だれも住んでいない小屋と草木以外は何もない。アッシュは深呼吸し、目を瞑って心を落ち着かせようとした。冷たい風が吹きこんで、木々を揺らす音が聞こえる。他には何もない。
「大丈夫、大丈夫だ」
そう自分に言い聞かせていると、何やら聞き慣れぬ音がアッシュの元へ近づいてきていることに気が付いた。不安定な間隔で、ざっざっざっと鳴り響き、少しずつ近づいてくる。注意深く耳を澄ませていると、村に隣接する薄暗い森の中から聞こえてくる音であることがわかった。きっと、何者かが村を目指して近づいてきているに違いない。
緊張で喉がカラカラに乾き、思わずごくりと唾を飲み込もうとした。村に近づいてきているのが獰猛な獣であれば、一大事だ。しかし、最悪なのは、それが魔獣だった場合だ。
魔獣は身に魔力を宿しており、普通の人間の力では傷をつけることすら叶わない。しかし、選ばれし力を持つ魔法使いであれば話は別だ。魔法ならば、魔獣に対し有効打を加えることができるのだ。
本来、魔獣は暗い場所を好む。それゆえ、奴らが太陽の下にある人里へ現れることは考えにくい。しかし、今のアッシュは少々ネガティブで、魔獣が本当に森の中から出てくるんじゃないかという気がしていた。
いざという時のために、近くにあった木の裏に身体を隠して様子をうかがう。一体、何が何の目的で村へ近づいてきているのだろうか。
しばらく見ていると、ついに暗い森の中から、何者かが姿を現した。
アッシュの目が捉えたのは、変わった杖をつきながら歩く、奇妙なローブを纏った背の高い人間だった。顔はフードで隠されていて、いかにも怪しい風体だが、とりあえず魔獣でないことがわかり、安堵の息が漏れた。
「君はこの村の住人かね? 夜通し歩き続けて、疲れ果ててしまったのだ。どこか休める場所があれば、案内していただきたい」
アッシュの肩がびくっと上下に動いた。杖をついた怪しい旅人は、木の裏に隠れていて見えていないはずのアッシュに最初から気付いていたような素振りでいきなり話しかけてきたのだ。
「おお、驚かせてすまなかった。そう警戒しなくてもいい。私はただの旅人だ」
そう言いながら、旅人が被っていたフードを外すと、さわやかな茶色の短髪と綺麗に整えられた髭がよく似合う、堂々とした立派な大人の顔が姿を現した。
男は数々の経験に裏付けられたような自信に満ちた表情をしていて、身長も180cmくらいはありそうだったが、どこか人懐こさも感じさせる物腰柔らかな印象も受けた。
「旅人さんでしたか、それはお疲れでしょう……ですが、この村に宿はありません。困っているなら、村長の家を訪ねてみてください。それに、僕はもうこの村には……」
アッシュが言葉を詰まらせていると、背後からカアカアと鳴く声が聞こえた。後ろを振り向くと、懸命に黒く大きな羽根をはばたかせながら、アッシュの元へ向かってくるラッチの姿があった。
「どうした、ラッチ?」
「やばいぜ、ミルゴのクソガキが目を覚まさねぇんだ。それどころか、何やら高熱でうなされ始めたらしくて、まるで重い病にかかったみたいだった。身体も震えていて、とにかく様子がおかしいんだ。お前、あいつ殴った時に何したんだよ?」
「べ、別に何も、ただ殴っただけで……」
アッシュは動揺を隠せないでいた。人が人を殴った程度で、病のような症状が出るはずがない。
「とにかく、このままじゃまずい。こんなこと言いたくはないが、この状況じゃ、アッシュの仕業だと疑われちまうだろ。オレはそんなの嫌だぜ? どっかに逃げるか、何とか治す方法を探すんだ」
それだけ言い残し、ラッチは空へ向かってすいーっと飛んでいった。
確かに、アッシュはミルゴのことが大嫌いだった。正直な話、今の話を聞いても、ざまあみやがれという思いがないと言えばウソになる。だが、自分のせいで死なれると、流石に寝覚めが悪い。
それに、このまま犯人扱いされれば、本当にこの村にいられなくなってしまうじゃないか。それどころか、追放程度では済まない可能性もある。
「何やら、大変な時に村へ立ち寄ってしまったみたいだな」
黙って会話を聞いていた旅人が口を開く。
「年の功か、多少ならば病に関する知恵もあってな。もしかすると、私なら力になれるかもしれん。そのミルゴという少年の元へ、私を連れて行ってくれないかね?」
旅人の意外な提案に驚き、思わず口をぽかんと開けてしまった。
「どうかね? 迷っている時間はないようだが」
今一度訊ねられ、アッシュはハッとした。すぐさま「こちらへ」と言い、旅人を連れて村長の屋敷へと向かった。
同時に、旅人に対して、ある違和感を覚えていた。彼の素性や旅の目的が未だ知れないからだろうか。いや、違う。どう見ても、医者とは思えないからだろうか。それも違う。
これまで、自分以外の人間はみんなラッチの言葉を理解できていなかった。それでは、なぜ旅人はラッチの言葉がわかったのだろう?
アッシュは首を傾げながら、不思議な来訪者を連れてミルゴの元へ向かったのだった。
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