第3話 呪いと霊薬


「目を覚まして、ミルゴちゃん。ミルゴちゃん!」


 けたたましい奇声を上げながら熱を帯びたミルゴの身体を揺するのは、目に涙を浮かべたミルゴの母だった。その横には、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて立つミルゴの父がいて、それを取り囲むように、ミルゴの様子が心配で屋敷の庭までわざわざ集まった村人たちがいた。


「ついさっきまで、ミルゴは元気いっぱいに朝飯を食っていたのだ。これは何者かの仕業に決まっている!」


 ミルゴの父は憤慨して叫び、血管がはち切れそうなほど顔を真っ赤に染め上げた。


「朝食よ……きっと朝食に毒を盛られたのだわ。あの憎いよそ者はどこにいったの、アッシュはどこよ!?」


 ミルゴの母が声を荒げる。


「あのクソガキめ……わしらが面倒を見てやらなかったら、今頃は野垂れ死んでいたというのに、なんという恩知らずだ!」


 ミルゴの両親が犯人捜しで躍起になっていた横で、彼の容体はさらに悪化していった。湯を沸かせそうなほど体は熱くなり、呼吸は大きく乱れている。

 症状が出始めてから30分ほど経った頃には、ミルゴの皮膚の一部が不気味な緑色に変色していた。周りを囲む村人たちは、だんだんと症状そのものに対して恐怖を覚え始めていた。


「ちょっとどいてくれ、通してくれるかな」


 そう言って群衆をかき分けて現れたのは、見慣れぬローブ姿の男だった。村人たちは怪訝な表情を浮かべて、男をまじまじと観察する。こつんこつんと杖をつきながら現れた男が旅人であることは一目瞭然だったが、どう見ても医者とは思えず、村人たちは不信感を抱かざるを得なかった。


「貴様は誰だ? この村のものではないな。今、よそ者の相手をしている場合ではないのだ。さっさと消え失せろ」


 苛立ちを隠そうともしないミルゴの父は男の前に立ちはだかり、迷惑そうに言い放った。彼に同調し、村人の数人が「そうだそうだ!」と続けた。


「見ての通り、私は旅の者だ。傷病の治癒には少しの覚えがある。アッシュという少年から事情を聞き、この場に駆け付けたのだ」


 旅人は怒れる村長に対し冷静に言葉を返したが、むしろ逆効果だった。


「アッシュだと、どこであのガキを見た? あいつのせいで、愛しいミルゴは死にかけているのだ。朝飯に毒を混ぜるなど、あのクズガキめが……」


「貴方はミルゴ少年のご家族であろう。ならば、アッシュ少年が作った料理を一緒に食べていたのではないのかね?」


 旅人の鋭い指摘にハッとして、思わず気まずい表情を浮かべた。ミルゴの父は、アッシュがトウモロコシのスープをひとつの鍋から丁寧に皿に盛るまでの一部始終を、全てを見ていたからだ。


「では、ミルゴの症状の原因は、一体何だというのだ……」


 その時、「きゃあ!」という女性の叫び声が上がった。声の主は、ミルゴの看病をしていた彼の母だった。その場にいた全員の視線がミルゴの元へと集まると、辺りは騒然とした。ミルゴの左腕全体が毒々しい緑色に変色していたのだ。


「むう……やはりこの症状は……間違いない」


 そう呟きながら、旅人は後ろを振り向き、遠くをじっと見つめた。視線の先には、気まずくて群衆に近づけないでいるアッシュの姿があった。しかし、何が起きたのか全く掴めていないアッシュは、うーんと首をかしげることしかできなかった。

 その時、村人の誰かが「呪いだ」とこぼした。その一言はあっという間に伝染し、人々は恐怖のどん底に叩き落された。それについては、村長であるミルゴの父も例外ではなかった。


「貴様、わしの息子に何をした?」


 村長は全身をぶるぶると震わせて怒りをあらわにしながら、旅人との距離を詰めた。これにはさすがの旅人も驚いたようで、一歩後ずさりした。すると、村人たちが動き出し、一瞬で旅人を取り囲んだ。


「今まで平和に暮らしていたんだ。よそ者が来た途端に、それが崩れた」


「お前が来なければ、村長の息子さんは元気でいられたんだ」


「きっと悪魔の手先に違いない!」


 村人たちは旅人を囲い込み、好き放題に罵り尽くした。


「悪魔? 呪いだと? お前たちは本気でそう思っているのか。正気な者は誰もいないのか」


 旅人は心底がっかりしたような表情で訴えたが、誰も聞く耳を持たない。


「縛り上げちまえ!」


 誰かの号令がかかると、村人たちは一斉に旅人へ掴みかかり、タコ殴りにして拘束してしまった。そして、村の奥にある倉庫へ拘束した旅人を連行し、閉じ込めて鍵をかけてしまった。その後、村長がゆっくりと倉庫の前へやってきた。


「山の守り神のご加護があるこの村で悪さを働こうなど、随分と舐められたものだ。今すぐにでも殺してやりたいところだが、わしはお前と違って悪魔ではないのでな。夕方まで時間をやろう。それまでに貴様がミルゴにかけた呪いを解かねば、その命はないものと思え」


 そう言うと、村長は苦しむ息子の元へ戻っていった。他の村人も、ほとんどが各自の仕事に戻ったが、何人かは倉庫の前に残って見張りを務めることになった。

 その時、何か黒いものが倉庫の上から空へ飛び立った。ここでの一連のやり取りをすべて見聞きしていたラッチが、アッシュの元へ慌てて飛んでいったのだった。



 村長らが旅人を倉庫へ閉じ込めている頃――アッシュはそっと近づいて、ミルゴの様子を視認することができた。

 高熱で震える身体。緑に変色した身体。今にも消え去りそうな命の灯――その光景を見て、アッシュの呼吸が浅く早くなった。ミルゴの容態に、既視感があったのだ。思い出したくないが忘れられない、鮮明な記憶。


「ミルゴの症状……8年前に母さんが死んだ時とよく似ている……!」





 ――8年前。


 まだ7歳だったアッシュは、両親と共に辺境の村へやって来た。この村の近くにある山には神が棲んでおり、そこにはどんな病も治す霊薬が隠されているという噂があったのだ。商人であり冒険家でもあった父は、霊薬を求めて家族と共に村を訪れた。


 しかし、父が霊薬を欲した理由は商売のためでも、冒険心を満たすためでもなかった。母が抱えていた不治の病を治すためであった。母には何か不思議な力があり、病に冒されようとも寝たきりになるようなことはなかったが、命の期限はじわじわと確実に迫っていたのだった。


「それじゃあ、行ってくるよ。君たちはここで待っていないさい」


 幼いアッシュと死期が迫る母を残して、父は神の棲む山へ霊薬を手に入れる冒険に出たのだった。





「あれから8年か――」


 結局、父は霊薬を取りに行ったまま山から戻らず、そのまま母も死んだ。幼いアッシュはすべてを失い、天涯孤独となった。不幸中の幸いか、村で一番裕福な村長の屋敷に住み込みで働くことを許され、15歳まで何とか生きながらえることができたのだ。


 それと、ちょうどひとりぼっちになった頃にカラスのラッチと出会えたのが、アッシュにとっては数少ない心の救いだった。喋るカラスを初めて見た時は驚いたし、何より自分以外の人間にはラッチの言葉が理解できていないと分かった時は、恐ろしい気持ちでいっぱいになった。

 だが、そのおかげで孤独を紛らわすことができた。きっと、不思議な力を持っていた母が残した最後のプレゼントなのだろうと思い、何だかあたたかい気持ちにもなったのだった。


「まずいぜ、このままじゃあのオッサンが殺される」と、倉庫から戻ったラッチが言う。


「……あの村長のことだ。やりかねないな」


「そんなことしたって、ミルゴの野郎が良くなるわけねぇのにな」


 ラッチがそう言った時、アッシュは何か閃いたように目を見開いた。そして、何かを探すように周囲を見渡しながら、小さな声でラッチに語り掛けた。


「ラッチ、倉庫の上部に小さな隙間があるだろう? あそこから中へ入って、旅人さんに伝えてほしいことがあるんだ」


 アッシュは近くに落ちていた薪割り用の斧を拾い上げながら言った。おそらく、この付近で薪割りをしていた村人が、放り出していったものだろう。斧の持ち主が戻る前に、持ち去ってやろうとアッシュは企んでいた。


「斧なんか持って、一体何しようってんだ?」


 ラッチが不安そうにカアと鳴く。


「僕は今から神の棲む山へ向かう。そこで霊薬を探し出し、ミルゴの病を治す。だから、無実の旅人さんが殺されることはない、と。そう伝えてくれ」


 それだけ言うと、アッシュはラッチの返事も待たずに走り出した。ラッチがカアカアと鳴いていたが、無視して走り去った。

 ミルゴを治すため、旅人を救うため、霊薬を手に入れるため、そして、父の行方の手掛かりを探すため、アッシュは神の棲む山へ向けて駆け出したのだった。


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