第30話 霊薬の秘密

 シオンに言われるがまま、アッシュとリシュナは物音を立てないよう慎重に奥へと進んでいった。一体誰が、何の目的で洞窟内にいるのだろうか。いや、きっと目的は同じだろう、とアッシュは思った。

 こんな暗い洞窟の中に、“幻の薬”以外が目的で入る人間なんかいるわけがない。そう思いたかったのだった。


「静かに……近いぞ。明かりも見えてきた」


 シオンが小さく囁く。3人は息をひそめつつ魔力を抑えて、少しずつ明かりの方へ近づいていった。すると、何者かの話声が聞こえた。


「……ルフの……さえあれば、ティ……ス様が力を……す……日も近……」


 聞こえづらかったが、女の声のように聞こえた。3人はゆっくりと這い寄るように前進した後、再び耳を傾けた。


「そうですねェ。でも、両方集めるのは難しくないですかい?」


 女の声と対話するのは、野太い男の声だった。2人で会話している様子だったが、何かおかしい。刹那、アッシュとシオン、リシュナの3人がほぼ同時に気が付いた。魔力の反応が3つあったのだ。男と女、それ以外に、もう1人魔法使いがいる――


「そうさ。でも、算段はついているわ。守護竜シドラは弱ってきているし、それにさっき言った通り、もう片方はエルレミラにあるからね」


「でも、あそこに手を出したらグラトの野郎が黙っていないでしょう。おれたちじゃ、あいつには敵わない」


「大丈夫さ。私が10に撒いた種がそろそろ芽吹くはずよ。エルフの少女は必ずこの洞窟にやってくる。エルフと守護竜シドラの血さえ手に入れば、霊薬を作って、憎きグラトに対抗できる魔力を持つティトーノス様の衰えた肉体を蘇らせることができる。我ら聖血魔導会の復活の日は近いのさ」


 困惑。恐怖。憤怒。様々な感情の渦は、若き3人の魔法使いの魔力の波長を混沌とさせるには十分な威力を発揮した。


「ほら、来た」


 女――魔女が小さく呟いた瞬間、一帯を包んでいた暗闇が消え去った。魔女が自らの魔力により召喚した、火の玉のような形をした光り輝く魔獣が、洞窟内を照らし出したのだ。

 

「あらあら、悪い魔女さんに見つかっちゃったわね」


 次の瞬間には、野太い声をした男がアッシュたちの背後に回り込んでいた。流纏走術――アッシュたちは一瞬にして、聖血魔導会の残党による挟撃という、最悪の状況に追い込まれた。

 明るくなった洞窟内を見渡した時、壁際にこびりついた血痕が視界に入った。その下には、血だまりの中に沈む顔の潰れた死体。その手には、アッシュたちがユイマから受け取った地図とよく似た布が握られていた。


「お前が……あの人を殺したのか……?」


 震えた口調でアッシュが訊ねる。すると、魔女は大きく高笑いして見せた。


「私はやってないわよ。あっちの怪力男、名前はベンドン。彼がちょっと遊んであげたらすぐ死んじゃったのよ。人間って脆いわよね」


「あいつを殺せって言ったのはグレアさんだろォ!」


 ベンドンと呼ばれた男が魔女――グレアに向かって叫んだ。よく見ると、ベンドンは何か大きな箱のようなものを背負っている。そして、その箱の中からは、ベンドンよりもグレアよりもずっと恐ろしい邪悪な魔力が感じられたのだ。


「まあ、どっちでもいいわよ。私たちが欲しいのは、そっちのエルフちゃんよ。正確には、エルフの血。協力してくれるわよね?」


「ふざけるな、お前たちに協力なんてするわけないだろう!」


 恐怖ですくむリシュナをかばうようにして、アッシュが叫ぶ。背後を守るシオンは、妖刀を抜いてベンドンと睨み合っている。状況は最悪だった。

 その時、足元に不審な魔力反応を感じた。しかし、気づいた時にはもう遅かった。地中から触手をうねらせた魔獣が顔を出し、リシュナの足に巻き付いた。そして、そのまま地中へ引きずり込んだのだ。


「や、いやああああああ!」


 気づくと、リシュナは魔女グレアの腕の中にいた。両手を掴み上げられ、弓矢も出せない姿勢で拘束されてしまったのだ。


「あらあら、可愛いエルフちゃん。怖いのかしら、身体が震えてるわよ」


 アッシュは怒りと焦りで頭が真っ白になりそうだった。気が付くと、ベンドンがグレアの隣に立っており、睨み合いから解放されたシオンもアッシュの近くへ寄った。


「悪い、しくじった。リシュナを敵に……シオン?」


 アッシュが目を横にやった時、いつもと様子が違うシオンの姿が見えた。シオンはいつになく目をぎらつかせ、怒れる魔力を――人を呪うことができそうなほど強い負の魔力を放出していたのだ。

 ベンドンとの睨み合いから解放され、ようやくシオンが魔女の姿を視界に捉えた瞬間のことだった。


「……ようやく見つけたぞ、両親の仇。そして、妹を……アオイを呪った邪悪な魔女め!」


 シオンが刀を向けた先にいるのは、脚線美を際立たせる深いスリットの入った青いドレスを着こなす美しい魔女だった。魔女は長く艶やかな黒髪をなびかせながら不敵に笑っていた。


「あらあら、私にこんなイケメンの知り合いなんていたかしら?」

 

 魔女がわざとらしく微笑む。


「今すぐ殺してやる」


 怒れる剣士が低い姿勢で刀を構えた時、アッシュが強引に肩を掴んで制止した。


「待つんだ、シオン。リシュナごと斬るつもりか」


「くっ……この卑怯者が……」


 シオンが悔しさと怒りで顔を歪める。


「何言ってんのよ。可愛いガールフレンドを守れなかった古き血の坊やの責任じゃない」と、魔女グレア。


「古き血のことまで……お前は一体……!?」と、アッシュ。


 その時、再び魔女グレアが妖しく高笑いをして見せた。


「それにしても、あなたたちは仲が良さそうね。よく一緒に居られるものだわ」


「どういう意味だ」と、シオン。


「イケメンくん、あなたは私のことを両親の仇と言っていたけど、それは少し違うわ。あなたの両親が死んだのはね、そこの古き血の坊やの家族のせいなのよ」


 アッシュとシオンは揃って怪訝な顔を浮かべつつも、魔女の流言になど騙されまいと首を横に振った。しかし、その時にふと、洞窟へ入る前に感じた漠然とした不安感が再びアッシュを襲った。今度は、もっと具体的な直感だった。何か、大切なものが壊れてしまいそうな予感がしたのだ。


「まだわからないの? 10年前、古き血の坊や……いや、坊やの母親、であるラースは家族と共に北の村に隠れ住んでいた」


「な、何が言いたいんだ……」


 蚊の鳴くような声で呟くアッシュの横で、シオンの口が小さく動いた。


「……やめろ」


 ぼそりと呟くシオンは肩を震わせて拳を強く握りしめていた。爪が手のひらに食い込み、血が滴って地に落ちる。ぽたぽたと流れ落ちる鮮血は、まるで悲しみに暮れた人が流す涙のようだった。


「古き血の坊やの家族が北の村に隠れたりしなければ、あなたの両親も妹も傷つくことはなかった。北の村が滅びることはなかった。シオンくん、あなたの家族は古き血の魔法使いに殺されたようなものなのよ」

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