第31話 魔女の呪い

 ――10年前。


 北の村で生まれ育ったシオンは、生まれつき強い魔力を持っていたが、魔法を使うことができなかった。その代わりに、身体能力と器用さに恵まれていて、幼い頃より両親の仕事を手伝ったりしてよく褒められていた。

 彼には5つ離れた妹――アオイがいた。シオンとそっくりな綺麗な黒髪を二つに結んだ可愛らしい少女。シオンと違って、アオイは魔法どころか魔力すら持っていない普通の人間だった。


 北の村で農家を営む普通の人間である父と穏健な新しき血の魔法使いである母、魔力を持つが魔法を使えないシオン、魔力も魔法も持たないアオイ。4人の家族は、平穏で幸せな日常を過ごしていた。


 しかし、平和は突如として崩壊した。排他的で過激な“新しき血”至上主義の思想を持つ魔法使い集団『聖血魔導会』が北の村を襲撃したのだ。村は焼かれ、北の村は壊滅状態に陥った。


「この村に、忌々しい古き血の継承者が逃げ込んだと聞いた。今すぐ出頭せよ! さもなくば、我々聖血魔導会は村を全て破壊し尽くすであろう」


 そう言ったのは、聖血魔導会を名乗るヨボヨボの老人だった。すっかり腰が曲がっていて、背も1mあるかないかくらいの小柄で老齢の魔法使いは、彼を背後を取り巻く無骨な大男や妖艶な魔女よりも、ずっと強大な魔力を漂わせていた。

 

「ティトーノス様、時間がありません。ヤツが来る前に動かねば危険です」


 そう進言したのは、妖艶な魔女グレアだった。すると、ティトーノスと呼ばれた老人は小さく頷いて、両手を前に突き出した。


「さらば、北の村の子らよ。この村へ逃げ込んだ古き血の継承者ラースを恨むがよい」


 刹那、想像を絶する魔力の波動が北の村を呑み込んだ。村人たちに逃げ出す暇など一瞬たりとも与えない、人体に毒を付与する無慈悲な魔力攻撃。ティトーノスの凄まじい魔力波は、北の村の住民の約半数を即死させ、もう半数を死の呪いに至らしめた。

 ティトーノスの魔力に当てられた者たちは、数日以内に全員が死亡した。北の村の住民のほとんどが死に絶えたのだ。そして、その中にはシオンとアオイの両親も含まれていたのだった。


 生き残ったのは5人だけ。そのうちの2人がシオンとアオイだった。


 襲撃があった日、シオンはアオイと一緒に野山を駆けまわって遊んでいた。北の村の結界内にはいくつかの山があり、子供たちの遊び場となっていたのだ。

 兄妹が遊び疲れて村に戻った時、既に北の村は襲撃された後だった。幼い兄妹は、聖血魔導会と古き血を継ぐ者たちの間で長く続いていた抗争のことなど知るはずもなかった。


 当然のことながら、故郷が消滅し両親が死亡したという事実を簡単に受け入れることはできなかった。特に、まだ小さなアオイは、兄にしがみつきながらむせび泣くことしかできなかった。

 絶望に支配されていた2人の前に、妖しい影が忍び寄った。姿を現したのは、古き血の継承者ラースの行方を追って単独行動していた魔女グレア。村を吹き飛ばすほどの魔力を浴びせたにもかかわらず、ラースとその家族の死体がどこにも見つからなかったのだ。


「あらあら、可愛い子供たち。この辺で、誰か大人の人を見かけなかったかしら? 旦那と子供を連れた、憎らしい女なのだけど」


 魔女が半笑いで訊ねる。対峙するシオンは、アオイを守り隠すように両手を大きく広げ、小さな身体を震わせながら声を荒げた。

 

「お、俺たちが……父さんや母さんが、お前たちに何をしたっていうんだ!」


「あら~、恨むならラースって女を恨みなさい。彼女が北の村に来なければ、私たちがこの村を消すことも無かったんだから」


「父さんと母さんを返せ!」


「しつこいね。悪い子にはお仕置きしないといけないわね」


 すると、魔女グレアがゆっくりとシオンとアオイの元へ近づき始めた。カツカツとヒールの音を鳴らしながら迫り、妖艶な目つきで幼い兄妹を舐め回すように見つめる。

 そして、魔女は右手をシオンの額に、左手をアオイの額にかざしたのだ。シオンもアオイも、恐怖のあまり一歩も動くことができなかった。


「私の魔力はティトーノス様のものほど強力じゃないから、即死するほどの毒にはならないわ。ゆっくりと苦しんでちょうだいね」


「や、やめ……」


 刹那、魔女の邪悪な魔力が兄妹の肉体に流し込まれる。アオイは膝を地に付け、横たわって動かなくなった。一方で、シオンは膝をつきはしたものの、ギリギリのところで意識を保っていた。


「あら、坊やの方は耐えるのね。でも残念。お嬢ちゃんの方はきっと目を覚まさない。じわじわと毒が廻って、5年……いや、10年くらいは生きられるかな」


「なんだと……」


「妹ちゃんを助けたければ、私を殺しに来なさい。その時が来たら、また遊んであげるわ」


 魔女グレアは動けぬシオンの頬に妖しい口づけをし、そのままどこかへ消えた。崩壊した村に残されたのは、呪われし少女と孤独な少年のみ。その後、シオンは気を失い、しばらく目を覚まさなかった。

 




「あの時の坊やが、“妖刀使い”なんて呼ばれたりして恐れられているのを知った時はゾクゾクしたわ。ああ、本当に私を殺しに来てくれるのね、って。しかも、憎き古き血の女の子供、そしてエルフのかわいこちゃんと仲良しときた。こんなに嬉しいことはないわよ」


 シオンもアッシュも、動揺と困惑で手が震えていた。複雑に絡まった過去が紐解かれ、残酷な事実が姿を現していく。不条理な真実の大波が2人を呑み込み、大きな音を立てながら絆を抉っていく。


「妹ちゃんを助けたいわよねぇ? もう10年経つものね。喉から手が出るほど、都合の良い薬が欲しくてたまらなくなってくる頃合よねぇ」


「まさか、幻の薬の噂はお前が……!?」と、アッシュ。


「その通りよ。雑魚もいくつか引っかかったけど、最終的にはうまくいったわ。まんまと釣られて、エルフの子と古き血の坊やを私の元へ連れてきてくれた。ふふ、ありがとね、イケメンくん」


 シオンは絶望の淵に叩き落とされていた。復讐、憤怒、憎悪、愛情、友情、尊敬。まるで自分を構成する全ての感情が否定されたかのように、自分自身の存在理由が儚く消え去ったかのように、シオンの心は地中の奥底にまで堕ちていった。


 そして、それはアッシュの胸裏でも起こっていた。まだ幼かったアッシュは、10年前に自分の家族の身に何が起きたのかについてはあまり覚えていなかった。だが、それくらいの頃に家族で旅に出て、西の村へ流れ着いたのはよく覚えていたのだ。

 自分の母親――ラースは古き血の魔法使いで、彼女を狙った聖血魔導会の攻撃を受けて、北の村は滅びた。そして、シオンは家族を失ったのだ。


「エルフの血を手に入れて霊薬を作り、ティトーノス様の肉体を甦らせれば、もう大賢者グラトも怖くない。今ここで君を――アッシュくんを殺せば、古き血の淘汰はすぐ目の前だ。ああ、なんて完璧な計画!」


 グレアがそう叫んだ瞬間、アッシュとシオンの周囲に邪悪な魔力を帯びた魔法陣が出現した。そして、魔法陣から無数の魔獣が姿を現したのだ。魔獣たちはダラダラとよだれを垂らしながら、忠実に主人の命令を待っている。

 アッシュは瞬時に炎の翼を身に纏い、臨戦態勢を整えた。だが、シオンは違った。いつもならば、すぐにでも妖刀を振るえるよう低い姿勢で構えている頃なのだ。しかし、今のシオンは完全に戦意を喪失した様子で、刀を片手に持ったままじっと地面を見つめている。


「シオン、何をぼけっとしてるんだ! 僕だけじゃ防ぎきれない」


「俺は……俺は……アオイを……」


 アッシュは絶望を悟った。敵は複数の魔獣を召喚し使役する魔法を使う魔女。狭い空間で戦うのは圧倒的に不利だ。しかも、魔女グレアの横には、能力不明の大男ベンドンも控えている。

 リシュナは奪われた。シオンは戦意喪失。敵は2人の魔法使い、そして大勢の魔獣に囲まれている。一体、どうすればいいのか――


 その時、アッシュとシオンの真上に何か影のようなものが現れた。


「こ、これは……ダメだ、リシュナ!」


「2人だけでも……助ける!」


 リシュナの力強い声と共に、アッシュとシオンの頭上に現れた大穴――空間移動魔法が降りてきて、2人の身体を包み込み、どこか別の場所へと移動させた。魔力の分だけありったけ、できるだけ遠くに出ろと念じたリシュナは、大量の魔力を喪失し、そのまま意識を失ったのだった。


「空間移動魔法……!? どうしてエルフが魔法を?」と、驚くベンドン。


「まさか自分を犠牲にして男どもを守るなんてね。意外とやるじゃない」


「ガキどもを追いかけますかい?」と、ベンドン。


「いや、放っておきなさい。あの子たちはきっと、エルフを――リシュナちゃんを取り返しにやってくる。この子を餌に、古き血の坊や――憎きラースの息子をおびき寄せ、殺す」


「素晴らしい案ですな」


「当然よ。それじゃあ、私がリシュナちゃんを抱えて行くから、ベンドンは背中の御箱を慎重に丁重に運びなさい」


「わかってますよ。それじゃあ、時間もかかりそうだし、さっそく出発しましょうか。守護竜シドラの元へ」


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