最終話 帰るべき場所

 聖血魔導会との激闘を終え、シオンとリシュナはエルレミラへ戻った。いつになく物静かな2人を出迎えた衛兵らは、彼らにかける気の利いた言葉を見つけられなかったという。


 町へ入ると、シオンは療養施設に預けられていた5つ下の妹アオイの元へ向かった。なにしろ、10年も眠り続けていたのだ。すぐに会話をすることはできなかった。だが、これからゆっくりと失った時間を取り戻していけばいい。

 聖血魔導会との決戦で失ったものは大きかったが、かけがえのない家族が戻ってきたのだ。10年ぶりに、シオンは兄としての幸せな笑顔を浮かべることができたのだった。


 一方で、リシュナは独り魔法屋へと戻っていた。そして、すぐに自分の部屋へ引きこもり、頭に布団をかぶせた。全部が夢であって欲しい。全部が夢ならば、目が覚めた時にはきっと元の日常が帰ってくるに違いない。


「朝が来て、目が覚めたらいい匂いがして、台所に行ったら、アッシュがシチューを作ってくれてるんだ。それで、シオンがお茶入れてくれて、それを見てグラトが笑っている……」


 なんだか眼元が熱い。リシュナは布団から顔を出し、仰向けになって寝っ転がった。視界がぼやけてる。天井の木目が曖昧だ。昔、誤って天井に刺してしまった魔力の矢の跡が、2つ……いや、3つに見える。


「あれ……おかしいな……なんか、よく見えないや」


 



 ――数週間後。


 対魔獣用の防壁に囲まれたエルレミラの町は、平穏な空気に包まれていた。守護賢者グラトの誕生を境に、精霊による結界がさらに強力なものとなったのだ。

 魔獣の被害は格段に減り、人々は町から村へ、村から村へ、安全に行き来できるようになった。交易が盛んになり、エルレミラを中心とした地域全体が一気に豊かになっていったのだった。


 だが、暗く沈んだ空気が一掃されたわけではなかった。まるで時が止まったかのように、魔法屋の扉には“準備中”と書かれた看板が出されたままだった。

 

 毎日、魔法屋の重苦しい扉が開く時間がある。シオンがアオイの元へ行く時と、彼が魔法屋へ帰ってきた時だった。それ以外のことで、今の魔法屋の扉が開くことはない。


「……お、おに、おにいちゃ……?」


 懸命にシオンが通い詰めた成果が出たのか、アオイは少しずつ喋れるようになっていった。アオイのそばにいる時だけ、シオンは笑顔でいることができた。せめて、妹といる時だけは、そうしていたかったのだ。


 魔法屋に帰ると、シオンは一言も喋らない。というよりも、喋る相手がいないと言った方が正しい。あの日以降、リシュナは部屋から出てこなくなったのだ。

 飲まず食わずというわけにもいかないだろう、とシオンが声を掛けたこともあったが、無駄だった。怒る気力もわかなかった。

 シオンは毎日、リシュナの部屋の前に食事を置くようにした。時間が経つと、食事を乗せた皿が綺麗になっていて、シオンは少し安心した。


「食欲があるならいいが……このままじゃ、さすがに良くないよな」


 シオンは大きくため息をつき、床に就く。朝起きて、アオイの元へ行く。帰ってきて、リシュナの食事を用意する。ため息をつく。寝る。起きる。行く。帰る。ため息。寝る。毎日、毎日、その繰り返し。


 ある日、いつものように療養施設から帰る途中のことだった。その日は、今年5度目の満月夜。この日は、グラトの誕生日だった。

 シオンは町内の店を巡って、肉と野菜を買った。グラトの誕生日には、皆でシチューを食べる。そう決めていたのだ。


 その帰路、エルレミラの家々の間を通って、突風が吹き抜けたのだ。思わず、シオンは目を閉じつつ、手で顔を覆った。その時、何か懐かしい気配がふわっと浮かび上がったような気がした。


「…………今のは……いや、気のせいか」


 その時、商人トッドの店の方から何やら賑やかな声が聞こえたような気がしたが、シオンはこれも気のせいだと思い、帰り道を急いだ。


 同刻。魔法屋の自室で閉じこもっていたリシュナが布団を蹴り上げ、立ち上がった。僅かな魔力の気配を悟ったのだ。

 数週間ぶりに、リシュナは部屋から出た。勢いよく扉を開け、ドタバタと階段を駆け下りる。その表情には、期待と不安、悲哀、祈り、様々な感情が込められていて、くしゃくしゃになっていた。


 ボサボサ髪のリシュナが階段を下り切った時、魔法屋の扉が開いた。


「アッシュ!?」


 リシュナが叫ぶ。ルビー色の視線が扉の方へ向く。


「………リシュナ」


 扉の前に立っていたのは、買い物帰りのシオンだった。シオンは少し驚いたような顔をした後、精一杯笑って見せた。


「今日、シチューを作るんだ。手伝ってくれよ」


 シオンが問いかけると、リシュナは気まずそうに視線を落とした。しかし、すぐに上を向き、シオンの目を見て小さく開口した。


「うん、今日はグラトの誕生日だもんね」


 2人は台所へ向かい、シチューを作った。野菜と肉を切り、炒めて、東の村のランドが挽いた小麦粉を投入する。そこへ、南の村のリックが育てた羊のミルクを混ぜて、ひたすら煮込んでいくのだ。

 次第に、魔法屋は幸せいっぱいなシチューの芳醇な香りで満たされていった。シチューが完成し、深めの皿に盛った後、2人はあることに気が付いた。


「シチュー、作りすぎちゃったね」


 4人分の食事を任されていた大鍋を指さしてリシュナが言う。


「明日も食えば無くなるだろ」


 シオンが淡々と言った、その時のことだった。再び、突風が吹いたのだ。魔法屋が揺れるほどの大きく強い風。同時に、懐かしい思い出が詰まった、優しくあたたかい魔力の気配がした。


「カァーカァー!」


 裏庭の方から、カラスの鳴き声が聞こえた。


「……シチューだ、って言ってるよ」


 台所の勝手口をじっと見つめながら言うと、リシュナは震える足で立ち上がった。


「この魔力、まさか本当に……」


 浅い呼吸を繰り返しながら、シオンが静かに言った。


「……………………」


 勇気が湧かない。カギのかかった勝手口の扉に触れようとしたリシュナの手が止まる。しかし、勝手口のカギは、ガチャリと音を立てて開いた。誰も触っていないのに、開いたのだ。


 扉が開くと、そこには1人の男が立っていた。たった数週間しか経ってないのに、ひどく懐かしさを感じてしまう。

 黒く美しい羽根を輝かせたカラスを右腕に乗せたその人は、にこりと微笑んで、彼にとって大切な人たちに、大切な場所で、ずっと伝えたかった言葉を口にしたのだった。



「――――ただいま!」
















 ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆





 最後までお読みいただき、誠にありがとうございました!


 昨年の12月半ば頃にカクヨムコンが開催されていることを知り、急遽参戦を決意し、2か月間に及ぶ執筆を経て、ようやく完結となりました。


 数年前にカクヨムさんへの登録はしていたものの、力及ばず1作も長編を書き切れていませんでした。でも、何か書きたかった。作品を書き上げたかった。その想いがようやく叶いました。


 レビューやコメントなどから本作への意見や感想などのお声を聞かせてくださると大変嬉しいです。今後の活動をしていく上で参考とさせていただきます。


 これからも執筆に励んでいきたいと思いますので、よろしくお願いいたします!


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不死鳥のアッシュは空を舞うー小さな魔法屋で始まる新たな人生ー 玖蘭サツキ @yusagi_s

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