第25話 進化―不死鳥


「よくもランドを――!」


 2匹目のサメの魔獣が再びランドに接近する。生死不明のまま崩れ落ちたランドの頭を粉々に噛み砕こうというのだ。

 だが、腹を空かせた魔獣の野望は、魔力流纏で急速に迫りくるアッシュによって食い止められた。雨が止んだ今、アッシュの魔法は何の制約も受け付けない。アッシュは最高速度に乗ったまま、光り輝く炎の翼を右腕に纏わせた。


不死鳥炎舞フレイムダンス!」


 魔力流纏のスピードが上乗せされた炎の翼の前では、サメの魔獣の堅牢な皮膚はまるで柔らかな布のようだった。サメの魔獣の肉体は一瞬にして、真っ二つに引き裂かれたのだ。 

 その直後、切断された部位が爆発するように発火し始めた。そして、魔獣特有の死に際など感じさせないほどの瞬く間に、魔獣の肉塊は消し炭となったのだった。


 ひとまず勝利を収めたが、サメの魔獣を倒したところで脇腹を食い千切られたランドの傷が元に戻るわけではない。その時、横たわるランドに誰かが声をかけているのが聞こえた。


「粉ひき屋! 起きろ、おい!」


 すぐさま、アッシュはランドの元へ駆け寄った。何とかまだ生きているようだったが、意識を失っている。失血も激しく、このまま放置すればすぐに死んでしまうであろうことは、素人目に見ても明らかだった。

 ランドを救うためには、アッシュの魔法の中で最も魔力消耗が激しい治癒魔法を使うほかなかった。だが、すでにアッシュの魔力は尽き欠けていた。否、そんなことは関係ない。アッシュは何としてもランドを救いたかったのだ。


「――不死鳥治癒ヒーリング


 アッシュの右腕に生えた炎の翼が変色し、あたたかな黄色い光が放たれた。さらに、左腕からも黄色く光る炎の翼が発現し始めた。アッシュは両腕の翼から放出される柔らかな光でランドを包み込んだ。

 いつの間にか、リシュナが屋根の上から降りてきてアッシュの横に立っていた。ふらつくアッシュの身体を小さな手で支える。アッシュは魔力の炎を燃やし続けていたが、なぜかすぐそばで触れているはずのリシュナに炎が燃え移ることはなかった。むしろ、優しいあたたかな光はリシュナの傷ついた心まで癒すようだった。


 その時、アッシュの身に起きていた異変にリシュナだけが気が付いた。


「アッシュ、目から血が出てる……鼻からも、耳からも……!」


 ランドの傷を癒すことのみに集中していたアッシュは、近くにいたリシュナの言葉すら耳に入らない。アッシュの身体は炎に包まれているにもかかわらず、みるみるうちに顔は青くなり、生気が失われていった。魔法の過剰使用による反動は、アッシュ自身の血の代償によって支払われようとしていたのだ。


「ダメだよ、死んじゃうよ。アッシュが死んじゃったら、あたしはどうしたらいいの」


 リシュナが肩を揺さぶりながら、必死に叫ぶ。


「はぁ……はぁ……うあああああああああ!」


 村中に轟く咆哮と共に、アッシュの両腕の翼が凄まじい閃光を放った。リシュナや近くにいた村人たちが一斉に目を瞑る。何も見えない中で、ごほごほと咳き込む声が響いた。

 ようやく目を開くことができたとき、リシュナたちの目がとらえたのは、力なく横たわった2人の少年の姿だった。さっきまで燃え盛っていたはずの黄金の炎は消えて、アッシュは血だまりの上で静かに寝息を立てている。


 何より驚くべきことは、ランドの容態が安定していたことだった。食い千切られたはずのランドのわき腹が元に戻っていたのだ。


 リシュナが2人の元に駆け寄る。


「……よかった、2人とも生きている」


 リシュナの言葉を聞いて、村人たちは大いに喜んだ。涙を流している者もいた。魔獣の奇襲攻撃を受けた東の村は、アッシュとリシュナ、そしてランド。3人の英雄によって救われたのであった。





 ――数日後。


 気温は一気に下がり、ようやく冬らしい気候が訪れた。村人たちは早々に目を覚ましたランドの元に駆け付け、根拠もなく盗人と罵ったことや水車小屋を破壊したことについて深く謝罪した。その中には、マルケルスとリラ、そしてリエルの姿もあった。

 2匹のサメの魔獣が暴れた影響で村の家や畑は荒らされたが、村人たちは水車小屋の修復作業を優先させた。ランドの体調も順調に良くなっていき、何とか歩けるくらいまで回復したのだった。


 だが、依然としてアッシュは眠ったままだった。


 出血は止まり、魔力の回復に必要な睡眠もしっかりとったはずだった。しかし、一向に目を覚まそうとしないのだ。すぐそばで看病し続けていたリシュナも、すっかり疲弊してしまっていた。

 健気にアッシュの目覚めを待つリシュナを支えたのは、エルフである彼女に対して罵詈雑言を浴びせていたはずの村人たちだった。彼らはリシュナの心の美しさを目の当たりにし、偏見を拭う覚悟を決めたのだ。


 リシュナとランド、村人たちの献身的な介抱の末、アッシュはついに目を覚ました。ゆっくりと目を開いたアッシュは、ランドの顔を見た途端、驚いたような顔をしてこう言った。


「あれ……僕は死んだのか?」


「あいにく、お前のせいで死ねなかったよ」と、涙ぐむランドが言う。


「そうか、それは良かった」


 アッシュはそう言うと、ちらりとリシュナの方を見た。そして、「ありがと」と小さく囁いて、再び目を閉じた。安堵したからか、リシュナのルビー色の瞳からは光り輝くしずくが流れ落ちたのだった。


 さらに数日後。アッシュは体力も魔力も完全に回復させていた。既にエルレミラへ帰る準備をしていたリシュナの表情は自信に満ちていて、最初に東の村へ来た時とはまるで別人のようだった。


「ありがとうな、アッシュ。リシュナ。お前たちのおかげで、世界がひっくり返ったみたいだぜ」


 ランドが2人の手をぎゅっと握りながら言った。アッシュは照れて笑みをこぼし、リシュナはハキハキとした口調で「あたしもだよ」と笑顔で返した。

 続いて、マルケルスが2人の元へゆっくりと、少し気まずそうな顔を浮かべながら近づいてきた。


「……君たちがいなければ、私たちは愚かな過ちに気が付くことができなかった。これからは、何か不満があれば領主に直接物申す。立場が弱い人間に八つ当たりして、無意味に苦しめるようなことは、もう2度とせんよ」


 マルケルスがランドの方をちらりと見ながら言った。続けて、リシュナの方に視線を移すと、思わずリシュナは目を下に向けてしまった。強がってはいるが、やはり人の目が怖いのだろう。


「エルフ――いや、リシュナさん。私たち人間は弱くて、怖がりで、愚かだ。これまでの無礼を許してくれとは言わない。だが、私たち東の村の民は、みんな貴方に感謝している。貴方がいなければ、きっと今頃、あの魔獣に喰われていただろう。本当にありがとう」


 マルケルスが深々と頭を下げると、近くに居た村人たちがみんな一斉に同じように感謝の意を表した。


「……まだ、人間のことは好きにはなれない。でも、目の前で人が苦しむのは嫌だからさ、みんなのことを助けられてよかったよ」


 そう言って、リシュナは少しだけ笑って見せた。


「じゃあ、エルレミラへ帰ろうか」


 東の村で起きていた水車小屋破壊事件を見事解決し、突如現れた魔獣の退治までこなしたアッシュとリシュナ。2人は空間移動魔法を使い、エルレミラへ一瞬で移動した。深緑色の大穴の中をくぐり、外へ出る。


 空間移動魔法は移動距離が長くなればなるほど、正確な位置に出口を設定しづらくなる。2人が移動した先は――シオンの私室だった。ちょうどシオンは部屋にいて、魔力を高める訓練の1つである瞑想の真っ最中だった。


「あ、シオンの部屋だ。ただいまー! シーオーンー!」


 リシュナが無邪気に騒ぎ始めたことで、ようやく帰って来たんだという安心感がアッシュの胸いっぱいに広がった。ちらりとシオンの顔を見ると、眉毛を上下にぴくつかせていた。誰がどうみても、ブチギレ寸前だった。


「た、ただいま……」


 アッシュの一言で、シオンの集中力は完全に途切れた。


「お前ら、さっさと部屋から出ていけ!」





 ――アッシュとリシュナがエルレミラへ帰ったのとほぼ同時刻。


 東の村で信仰される精霊が張った結界の。結界内の中心から最も離れたところの空中に、1人の怪しい女の影があった。宙を浮く女の両足には、円盤のような形をした小さな魔獣が2匹いて、女が浮くのを支えていた。

 女は――魔獣を自在に操る魔女は、不敵に笑う。長く艶やかな黒髪をなびかせた、脚線美を際立たせる深いスリットの入った青いドレスを着こなす美しい魔女は、真っ赤な唇に細長い指を当てながら、小さく呟いたのだった。


「ついに見つけたわ、エルフの血。そして、古き血の継承者」


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