第4章 運命の交錯

第26話 祝福

 数週間の時が流れ、いよいよ本格的な冬が訪れた。人々は厳しい寒さを乗り越えるべく、様々な知恵を出し合い、生活に工夫を凝らしていた。比較的温暖なエルレミラで雪が降る日ことはあまりないが、今年に限っては嫌と言うほど雪が降り積もっていたのだ。


 エルレミラの住人にとって、冬はただ厳しいだけの季節ではなかった。エルレミラの暦における1年のうち、12度目の満月の夜に聖なる夜が訪れるのだ。


 この日は“シドラ祝祭日”と呼ばれていた。数百年前の満月の夜、精霊の王である守護竜シドラが出現したと言われている日で、現代を生きる人々にとっては、年に一度の伝統的な祭典なのである。

 あの日、宙に浮いた輝く満月が突如として大量の魔力を放出した。月の魔力に当てられた魔獣たちは獰猛化し、世に混沌が生まれたのだ。これに対抗すべく、守護竜シドラがどこからともなく現れて、結界魔法を操る守護精霊を世界へ解き放った。同時に、守護竜シドラは数多の人間の中に眠っていた潜在能力を刺激し、ひ弱な人間族の一部に魔法の力を与えた。


 これによって目覚めたのが、“新しき血の魔法使い”だった。かくして、古き伝統的な魔法使いの血筋以外の者も強大な力を持つようになり、世界の秩序は大きな変化の時を迎えたのだった。

 もし守護竜シドラが人類に魔法の祝福を与えなければ、今頃は人類は絶滅し、魔獣が世界を支配していたことだろう。現在、エルレミラとその周辺の人々が生きていられるのは、全て守護竜シドラの力のおかげなのである





 魔法屋での新生活は順調で、アッシュはリシュナとシオンという年の近い仲間と共にわいわいがやがやと忙しくも楽しい日々を送っていた。彼らの間には、ほとんど家族と言っても良いくらいの信頼関係が結ばれつつあったのだ。


 さて、そんな祝祭日の朝のことだった。


「アッシュ、今日は久しぶりに西の村へ行ってもらう」


 リシュナとシオンが既に仕事へ出た後、遅めの朝食――もう昼食と言っても良いかもしれない――をとっていたアッシュは、グラトの一言で凍り付いた。熱々のスープを口へ運ぼうという真っ最中、スプーンを持った手が宙でぴたりと止まり、動かなくなったのだ。


「え、今なんて……?」


「西の村へ行けと言ったのだ」


 あからさまに、アッシュは嫌そうな顔をした。それもそのはず。ようやくエルレミラでの新生活が軌道に乗ってきたところで、悪夢を見ていた時代を思い出したくなかったからだ。

 幼馴染であるカラスのラッチやヤギのメイサーたちには会いたかったが、村に入ればきっとろくなことが起きないだろう。アッシュはそう確信していたのだ。


「何も故郷へ帰れと言っているのではない。西の村から神の棲む山へ行く途中に、真っ暗な森があったのを覚えているだろう」


「忘れるわけない。思い出すだけでも頭が痛くなってきますよ」


「アッシュには、あの森の主を倒してきてもらいたい。獰猛な犬の魔獣だ」


 アッシュは本当に頭が痛くなってきた。まだ魔法をろくに扱えていなかった頃、巨大な犬の魔獣に殺されかけたからだ。アッシュは茶色い髪の毛を掻きむしりながら大きなため息をついた。


「大丈夫だ、今のお前なら負けはしない。食事を終えたら裏庭に来なさい」


 そう言って、グラトは勝手口から外へ出た。アッシュは何度も憂鬱なため息を溢しながら、皿に盛られた食事をガツガツとかき込む。食器を片付けると、すぐに勝手口から裏庭へ出た。


「さあ、そこに立って目を瞑りなさい。行きは空間移動魔法で送るが、帰りは徒歩だ。今のお前ならば、夕方には帰ってこれるだろう」と、グラト。


「さっさと倒して、さっさと帰ってきますよ」


「では、送るぞ」


 アッシュが静かに目を閉じると、身体がふわりと浮かぶような感覚に包まれた。初めて空間移動魔法を経験した時のことが、アッシュには遠い昔のことのように感じられた。それだけ、エルレミラで充実した日々を送っていたのだ。

 しばらくすると身体の感覚が元に戻り、地に足が着いた。空気や草のにおい、肌に触れる風、全てが懐かしい。目を開けると、アッシュは西の村の外れ――暗闇の森の前に立っていた。


「誰かに見られる前に行こう。すぐ終わらせてすぐに帰る」


 アッシュはためらうことなく森の中へ足を踏み入れた。何もできずにただただ恐怖し、奇跡を祈るだけだったあの頃とは何もかもが違う。アッシュは心身ともに大きく成長していたのだ。

 

 相変わらず真っ暗で足元も見えない森の中を、ずんずんと進んでいく。閃光魔法で森全体を明るく照らす方が効率は良かったが、目立つことをすれば村の人たちに見つかってしまうかもしれない。アッシュはそう考えたのだった。

 森中にぼんやりと魔力が充満しているため、魔力探知による索敵は難しかったが、今回の標的である“犬の魔獣”の特徴を考慮すれば、索敵の必要はないと判断した。あの魔獣は、周囲に酷い臭いをまき散らしながら移動している。近づかれれば、嫌でも気が付くだろう。それに、彼奴は光に吸い寄せられる。


「この辺りでいいかな。さあ、犬の魔獣よ。姿を現せ」


 アッシュは空間閃光魔法フラッシュライトを発動し、自身を中心点とした半径15mくらいの範囲を強く照らした。暗闇に包まれていた森の中心部のみが瞬時に光の世界と化し、アッシュの視野が一気に開けた。

 その瞬間、遠くない場所でグオオオオオという咆哮が上がった。ヤツが来る――アッシュは目を瞑り、嗅覚と聴覚に神経を集中させた。速く重い足音が加速してくる。それとほぼ同刻。何かがじゅわっと溶けるような音が聞こえた瞬間、アッシュの鼻を強烈な異臭が刺した。


「来やがったな」


 振り向くと、牙を剥き出しにした巨大な犬の魔獣がよだれを滝のように流しながら立っていた。だが、それ以上近寄ってこない。それどころか、アッシュの顔を見るや否や、警戒するようにグルルルと低い唸り声を上げ始めたのだ。


「もう逃げない。逃がしもしない」


 刹那、アッシュは流纏走術を発動し、目にも止まらぬ速度で犬の魔獣の背後に回り込んだ。そして、溜め込んだ魔力を一気に放出した。顕現した時間はわずか0.2秒。アッシュは魔力の大剣で犬の魔獣の肉体に直径1mに及ぶ大穴を開けたのだ。


「――閃光迅魔剣フラッシュブレード

 

 あまりにもあっけなく、巨大な犬の魔獣は黒い灰と化して消えた。犬の魔獣が死んだ途端、暗闇の森を包んでいたぼんやりとした魔力が消え去り、森全体にうっすらと太陽の光が届くようになった。

 森が真っ暗だったのは、犬の魔獣が住みついてしまったことが原因だったのだ。森の上部に魔力の層ができてしまい、闇が増幅されていたのだろう。だが、アッシュが魔獣を倒したことにより、森は再び光を取り戻したのだった。


「さて、帰るか――」


 その時、上空からカアカアという懐かしい鳴き声が聞こえてきた。天を見上げると、黒く大きな羽根を広げた美しいカラスがアッシュの胸の中に飛び込んできた!


「アッシュ! いつの間に帰ってきてたんだよ。すぐにオレのところへ来てくれても良かったんだぜ?」


 懐かしい顔が――カラスのラッチが、歓喜と感涙の混ざった調子でカアカアと鳴いた。


「ラッチ! ああ、会いたかったよ。真っ先に声を掛けてやれなくてごめんな……」


 申し訳なさと再会の感動が入り混じる。アッシュは目から雫がこぼれ落ちそうになり、思わず上を向いた。ラッチはアッシュの足元でぴょんぴょんと跳ねていて、まるで喜びのダンスを披露しているようだった。


「まあ、ミルゴや村長とは顔を合わせられないもんな。それくらいわかってるつもりだから、あんま気遣わなくていいぜ。なんたってオレはアッシュの親友だからな」


 決め顔を作り込んだラッチがふさふさの胸を張って言う。アッシュは服の袖で目と頬を濡らした涙を拭い、ラッチの方に顔を向けて笑って見せた。


「ありがとうな、ラッチ。そういえば、どうして僕がここにいると分かったんだ?」


「お前よ、あんな強い光が見えたら誰だって確認しに行くだろ。暗闇の森が光ってんだぜ? 異常事態だろ」と、ラッチ。


「ん~、村からは見えないようにしたつもりだったんだけどな」


「何言ってんだ。オレが空を飛べるのを忘れたのか? なんてったってオレはカラスだからな」


 そう言って、ラッチはカアと鳴いた。「確かにそうだ」と返し、アッシュも声を出して笑った。まるで昔に戻ったみたいだ。窮屈で息苦しかったが、懐かしい日々。ラッチと過ごしたかけがえのない少年時代。思い出がいっぱい詰まっている。


「そうだ、ラッチ。これからはエルレミラで一緒に暮らさないか? 今、魔法屋ってところで働いてんだけど、みんな良い人なんだよ」


「あの旅人の店か。そうか……ついにアッシュは自分の居場所を見つけたんだな。森のバケモンを倒しちまうくらい強くなってるし、お前は本当にすごいぜアッシュ。でもな、オレには役目があるからさ、村に残るよ」


「え、どうして……役目ってなんだい?」


「オレさ、毎日ミルゴのクソガキの目覚まし時計係をやってんのさ。こいつが面白くってよ、毎朝、違った方法で驚かせて、叩き起こしてやってんだ。そんで、メイサーたちの小屋の掃除とエサやりをやらせてる。やりがいのある仕事だぜ?」


「あのミルゴが毎朝早くに起きて、メイサーたちの世話をしてるって? 信じられないなあ」


 アッシュが腕を組んで、首をかしげながら言う。


「アッシュみたいにオレと会話はできないけどな。意外と人は変わるもんでよ、前よりだいぶ素直になったぜ、あいつ。ミルゴもアッシュも成長してんだ。 でも、変わらないもんだってある。オレとお前はずっと親友だし、ミルゴの両親は相変わらずクソを煮詰めたような性格してんぜ」


「はは、できればもう会いたくないな」


 アッシュとラッチが笑い合う。その時、ラッチが何かを思い出したようにカアと鳴いた。


「そういやお前、今日誕生日じゃないか? 今日は12度目の満月夜だろ。おめでとうアッシュ!」


 ラッチに言われるまですっかり忘れていた。今日、アッシュは16歳の誕生日を迎えたのだった。毎日忙しく仕事に振り回されていて、自分の誕生日のことなど完全に失念してしまっていたのだ。


「そういえばそうだったね。祝ってくれるのはラッチくらいだから、すっかり忘れていたよ」


「ふぅん……ああ、まあそうだよな」と言いながら、ラッチは大きな黒い翼を広げ、地に足を着けたままバサバサと羽ばたいて見せた。


「じゃあ、僕はエルレミラへ帰るよ。いつか遊びに来てくれよな、紹介したい仲間もいるからさ」


「もう行っちまうのか……ああ、そんときは、うんと旨いもんを用意しといてくれよな」


 ラッチは人が手を振るように片翼を上げ、振り子のように左右へ動かした。そして「また会おうぜ」と呟き、村の方へ向かって飛んで行った。


 飛び去るラッチの羽ばたく姿を見上げるアッシュの目頭は、まるで夏の夜のような熱気を帯びていたのだった。





 西の山の向こうに日が沈もうとしていた頃、既にアッシュはエルレミラに到着していた。流纏走術をすっかり使いこなし、たった数時間で西の村から山を越えてエルレミラへ帰ってくることができるようになっていたのだ。

 馴染みの衛兵とあいさつを交わし、魔法屋に向かう。その途中、アッシュは町の雰囲気がいつもと違うことに気が付いた。


「そうか、今日はシドラ祝祭日でもあるのか」


 自分の誕生日が祝祭日と被っていたせいで、アッシュは自分の誕生日を他人に祝われる機会を何度も失っていた。そのため、アッシュは誕生日も祝祭日もあまり好きではなかった。


「ただいま~」


 ご機嫌な口調で魔法屋の扉を開き中へ入ると、おいしそうな香りが部屋いっぱいに広がっていた。きっと台所で夕食を準備しているのだろう。アッシュは何か手伝おうと思い、そそくさと台所へ向かう。

 その時、リシュナが台所からひょこっと顔を出し、慌てた様子ですぐに顔を引っ込めた。


「え~! もう帰ってきたよ!」


 リシュナの声が聞こえる。「帰ってきて悪いのかよ」と口をとがらせながら、アッシュも台所へ入っていく。


「やれやれ、こんなに早いとは思わなかった」


 グラトまで言う。アッシュは何だか寂しい気持ちになっていた。台所にはシオンもいて、大きくため息をついている。


「え、何この雰囲気。帰って来たらまずかった……?」


 少し自信なさげにアッシュが訊ねると、「いいや」と言ってグラトがアッシュの頭をぽんと叩いた。


「お前の成長はすさまじい。魔力の使い方がどんどん上手になっている」


「え……」


「早く帰ってき過ぎだ。準備が間に合わなかったろうが」と、シオン。


 すると、グラトの両脇にリシュナとシオンが並び、みんな少し照れくさそうに笑ってこう言った。



「「「アッシュ、誕生日おめでとう!」」」



 その夜、アッシュはグラトとシオンとリシュナと4人で――まるで家族のように、幸せな誕生日を過ごした。毎年魔法屋で祝っていたシドラ祝祭日は、新たな仲間アッシュの誕生日として、今まで以上に大切な日となったのだった。


 アッシュは初めて、いや、両親が健在だったあの頃以来の、幸せな誕生日を過ごしたのだった。

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