第21話 人の業

「君は水車小屋で何をしていたんだい?」


 呆れつつも、できるだけ柔らかい口調で少年に問いかける。隣にいるリシュナは、気の抜けたような表情で突っ立っていた。魔獣との戦闘を意識してずっと気を張り詰めていたのが、一気に途切れてしまったのだろう。


「リシュナ、ぼーっとしてないでランドを連れてきてくれないか」


「えー、あたしが?」


「じゃあ、トンカチ坊やの相手をするか?」


「……わかったよ、すぐ連れてくる」


 リシュナは不満げに言葉を吐いて、拗ねた態度で外へ出ていった。


「さ、今度こそ君の番だ。質問に答えてくれ」


 アッシュが小さな男の子の両肩にそっと手を置いて、優しく訊ねた。すると、男の子はボロボロと大粒のしずくを頬に流し始めた。


「う、うう、えぐっ……やれって、水車小屋を壊せって言われたんだ」


「誰に言われたんだ?」


「お隣の、マルケルスおじさんとリラおばさん。水車小屋を壊したら、りんごを分けてあげるよって言われた」


「君のお父さんとお母さんは?」


「……お父さんは何日か帰ってきてない。お母さんはずっと寝てる」


 アッシュの顔がこわばる。思わず両手に力が入り、男の子の肩を強く掴んでしまったが、男の子は相変わらず同じように涙を流し続けていた。


「お父さんはいつも酔っぱらっていて、たまに帰ってくる。お母さんはずっと家で寝ていて、起きてるときはいつも怒ってる」


 男の子が続けて言ったのを聞いて、少しばかりアッシュの力が抜けた。だが、同時にふつふつと怒りが沸いてきた。


「君は近くの村に住んでいるんだよね?」


「うん」


「名前はなんていうんだい?」


「えっとね、ぼくは――」


 その時、水車小屋の扉がドォンという轟音と共に開かれ、鬼のような形相を浮かべたランドがドシドシと足音を立ててアッシュと男の子の元へ近づいてきた。


「このクソガキ……なんてことをしてくれたんだ!」


 凄まじい怒声に、アッシュは思わず耳を塞いだ。だが、ランドが怒るのも無理はない。あの性悪領主から管理を任された水車が壊されて、心身共に疲弊していたのだから。


「待ってくれ、ランド。この子は自分の意思で水車を壊したわけじゃないんだ」


「どけよ、アッシュ。今すぐそいつをぶん殴らねぇと気がすまねぇ」


「駄目だ。怒りに任せて暴力をふるえば、自分が後悔することになるぞ」


 ランドは言葉を詰まらせた。アッシュの言葉にはどことなく重みがあり、胸の奥底にずどんと響いたのだ。そして、振り上げた拳をそっと降ろし、ふうと息を吐いて気を静めた。


「わかった、話くらいは聞いてやるよ」


 アッシュはランドに事情を説明した。彼は食料で釣らされて、今回の犯行に及んだのだ、と。それを聞いたランドは、腕を組んで首を捻り、考え込んでしまった。


「他人の大事なもんを壊していい理由にはならねぇが、ガキにメシを与えねぇ親は論外だし、よその子を食いもので釣って迷惑行為をさせるヤツも許せねぇ」と、ランドがいう。


「ああ、その通りだ。だからこそ、まずはそのマルケルスおじさんとリラおばさんという人の元へ行ってみるべきだ」


 アッシュが提案すると、何故かランドは顔を曇らせた。


「……違ったら悪いんだが、村の人とあまり関わりたくないのか?」


 そう訊ねると、ランドはハッとしたような表情を浮かべ、首を横にぶんぶんと振った。


「そ、そんなことねぇ。さっさと村に行くぞ。ガキ、お前の名前は?」


 ランドのぶっきらぼうな問いかけに、男の子はビクッと肩をすくませた。しかし、すぐに顔を上げて、ランドと目を合わせて「リエル」とはっきりとした口調で言った。


「よし、リエル。お前の家まで案内してくれ」


 そう言って、ランドはリエルと共に水車小屋から出ていった。しかし、強気な態度とは裏腹に、ランドの指先は小刻みに震えているように見えたのだった。





 アッシュとリシュナは、ランドとリエルから少し距離をとった後方を歩いていた。外気温はさらに上昇し、初夏を思わせるような日照りが身体の水分を奪う。


「リシュナは水車小屋で待っていても良かったんだぞ?」


 アッシュが小声で言った。だが、リシュナはそっぽを向いて「やだ」とだけ呟いた。きっと、手を震わせていたランドのことが気がかりなのだろう。


「もうすぐ村に入る。何かあったら、僕の後ろに隠れてくれ」


「何それ、カッコつけてんの?」


 リシュナは少し悪戯っぽい笑みをフードの中から覗かせた。そう言われると何だか急に恥ずかしくなってきて、アッシュは頭をぽりぽりとかきむしった。その横で、正面に向き直ったリシュナは小さく「ありがと」と溢したのだった。


 村の端にあるランドの家の横目に見ながら、東の村の中心へと向かう。その途中で何軒が民家の横を通り過ぎた時、何者かに見られているような気配をアッシュは感じていた。おそらく、見慣れぬアッシュとリシュナを警戒している村人たちの視線だろう。


「ここだよ、おじさんとおばさんち」と、リエル。


「ありがとな、リエル。ちょっと離れて待っていてくれ」


 リエルの頭をぽんぽんと軽く撫でるように叩き、ランドはマルケルスおじさんの家の扉の前に立った。リエルはランドのことを心配そうに見つめながら、少し距離をとった。

 季節外れの暑さによるものか、緊張による冷や汗かわからないが、ランドの額からはどっと汗が流れ出ている。硬い表情のまま、ランドは家の扉を手の甲で叩いた。アッシュとリシュナはランドの様子を固唾を吞んで見守っていた。すると、家の扉が静かに開き、苦虫を噛み潰したような形相をした中年の夫婦が顔を覗かせた。


「汚らわしい粉ひきが、うちに一体何のようだね?」


 中年夫婦の旦那の方――おそらくマルケルスおじさんだろう――が、ランドを睨みつけながら威圧的に言った。途端に、ランドは委縮してしまい、目を伏せてしまっていた。


「おい、なぜそんな失礼なことが言える!?」


 あまりにもひどい言い草でカッとなったアッシュは、気づいたら大声を出してしまっていた。すると、大声につられて村人がぞろぞろと集まってきた。


「アッシュ、やめろ……いいんだ」と、小声のランド。


「いいわけないだろ。粉ひきの仕事を邪魔すれば、パンを作るために必要な小麦粉を作れなくなる。それで困るのは自分たちじゃないか! なのに、どうして水車を壊したり、粉ひきに対して失礼な言葉を平然と投げつけることができるんだ!」


 気温に負けず、アッシュは熱くなっていた。熱くなるあまり、周りも見えなくなっていた。村中の注目がアッシュへ集まっていたが、本人は全くそれに気が付いていないのだった。


「よそ者が何を騒いでいるんだか。そもそも、我々は水車なんか壊しちゃいない。子供の悪戯かなんかじゃないのか?」


 マルケルスがいやらしい笑みを浮かべながら言った。


「マルケルスおじさんとリラおばさんに頼まれた、とリエルは言っていた。あんたらが腹を空かせた子供を利用して、悪事を働かせたんだろう!?」


 血がにじむほど強く拳を握り締めながらアッシュが言う。だが、怒りに任せて殴るようなことはしなかった。今一番にするべきことは、マルケルスとリラの罪を明らかにすることだ。そう言い聞かせていた。


「ちっ、使えないガキだ。余計なことべらべらと喋りやがって」


 舌打ちしながらマルケルスがぼやいた。拍子抜けだった。あっさりと罪を認めてしまったではないか。その状況に、アッシュは漠然とした違和感のようなものを抱かざるを得なかった。

 その時、アッシュはようやく自分たちが置かれた状況を理解したのだ。アッシュとリシュナ、ランドの3人は、険しい表情を浮かべた大勢の村人に囲まれていたのだ。


「元はといえば、粉ひきが悪いのよ。そいつは盗人なのだから!」


 マルケルスの横にいたリラが怒りを露わにして叫んだ。すると、周囲の村人たちもそれに同調し、がやがやと騒ぎ始めたのだ。


「違う、何も盗んでなんかいない。オレは与えられた仕事場で、みんなの小麦を挽いて粉にしていただけだ!」


 顔を歪ませながらランドが必死の思いで訴える。しかし、村人たちは全く聞く耳を持たない。


「何が仕事だ悪魔め。水車小屋ができてから、わしらは小麦粉を得るために余計な金を払わねばならなくなった。なぜそんなことが許される?」


「お前ばかり甘い汁を吸いやがって、おれたちの生活はどんどん苦しくなるばかりだ!」


「私たちが一生懸命育てた小麦を、見えないところでコソコソと挽いてる時点で怪しいわよね。返ってくる小麦粉はいつも少ないような気がするし」


「絶対あんたが盗んでる! この小麦粉泥棒! 」


 村人たちの無数の心ない言葉がランドを襲う。 気づけばランドは俯き、大粒の涙を地に垂らしていた。肩を震わせながら、ただひたすらに村人たちの暴言を無防備に受け続けていたのだ。

 ついにアッシュの怒りが爆発した。無意識のうちに、身体の周囲には魔力を帯び始める。しかし、アッシュよりも先に動いたのは、フードを被って静観していたリシュナだった。


「黙って聞いてれば、憶測ばかりで勝手なことばかり! 大体、文句はランドじゃなくて、水車小屋の持ち主である領主に言うべきじゃないの!? ランドはいい人なのに、どうして皆そんなことが言えるの……」


 思わぬリシュナの叫びに、アッシュもランドも唖然としていた。一瞬にして村は静寂に包まれ、近くを流れるさらさらとした川の音だけが響く。依然として、フードで顔を隠し続けるリシュナに、人々の鋭い視線が向けられた。


「これだから嫌いなんだ……ニンゲンは……」


 近くに居たアッシュにしか聞こえないくらいの声量でリシュナがつぶやいた。彼女は下を向き、唇を噛みながら小さく肩を震わせている。

 その時、どこからか空を切るような音が聞こえた。


「うるさい、よそ者はだまってろ!」


 群衆のどこかから吐き捨てるような言葉と共に、小さな石ころが飛んできた。そこは、アッシュとリシュナにとって完全な死角だった。

 石ころはリシュナの背中に命中したのだ。リシュナが「痛っ!」と声を上げながら前のめりの姿勢になったとき、ふわりとフードが浮かび上がって脱げてしまい、素顔が露わになった。その瞬間、怒れるリシュナの表情が急変し、血の気が失せて真っ白になった。


 同時に、群衆がざわつき始める。中には、悲鳴を上げる者もいた。異様な光景を前にして、アッシュは困惑した。何が起きたのかわからずランドの顔をちらりと見ると、ランドの視線もリシュナの顔――いや、リシュナの尖った耳に向いていたのだった。


「エルフ……エルフだ!」


 誰かが叫んだ。それを合図に、村中がパニックに陥った。ある者は逃げ惑い、ある者は罵声を浴びせ、ある者は石を投げつけた。身体を震わせて動けなくなっていたリシュナに向けて投げつけられた2つ目以降の石はアッシュが全て弾いたが、罵声や悲鳴から守ってやることは不可能だった。


「ランド! いったん逃げよう! 一緒に来てくれ、頼む!」


 放心したまま動けなくなっていたリシュナを背負い、アッシュが叫ぶ。ランドはリシュナを抱えたアッシュと共に、村の端の家へ向かって駆けだした。


 村中が混沌に包まれた時、さんさんと照っていた太陽が雲の中に姿を消した。そして、熱く湿った空気の中に暗雲が立ち込め、季節外れの大雨が降りだしたのだった。

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