第22話 エルフの血
かつて、少数民族であるエルフは森から森へと渡り歩く生活をしていた。森の中には、普通の獣だけでなく魔力を持って生まれた獣――魔獣も住んでいて、互いに害を与えることなく平和に共存することができていたのだ。
しかし、数百年前のとある満月の日を境に、普通の獣と変わらず温厚だったはずの魔獣たちの本能に変化が生じ始めた。突如として魔獣たちは獰猛化し、人間やエルフを襲って喰らうようになったのである。魔獣たちの暴走をきっかけに、エルフたちは住処の森を追われることになってしまった。
居場所を失ったエルフ族は、人間のように集落を形成して生活することを選んだ。だが、森を出て村を作るということは、人間との交流を避けることも難しくなるということだった。エルフたちは、数の多い人間族を恐れていたのだ。
エルフたちは自分たちの村を作り、不慣れな定住生活を開始した。これまでは野草や果物などの植物採集が主な生活基盤だったが、彼らは徐々に農業など新たな生産形態を組み入れていった。少しずつだったが、エルフたちは安定した生活ができるようになっていったのだ。
しかし、村が発展していく上で、やはり人間族との接触を避けることはできなかった。最初は上手くやれていたものの、次第に文化的な差異などを理由に衝突することが増えていった。
その中でも、最も大きな摩擦の原因は、双方共に互いの種族に対して抱えていた恐怖心だった。エルフ族は人間の魔法使いのように派手な魔法を使うことはできなかったが、人間とは比べ物にならないほどの魔力量を全員が有しており、その中でも特に器用な者は魔力を弓矢のように撃ち出すこともできたのだ。
人間族を嫌悪し、人体に害を及ぼしかねない魔力を全員が保有しているエルフ族は、大多数の普通の人間にとっては存在そのものが脅威だった。そして、いつしかこんな噂が流れた。
「耳の尖ったエルフ族は人類に災いをもたらす」
根も葉もない噂はあっという間に拡散されていき、エルフは酷い迫害を受けるようになっていった。エルフの集落は破壊され、火を放たれた。エルフたちは新たな住処だけでなく、自由や尊厳、命までも奪われた。
生き残ったエルフは散り散りになり、人間から逃げ延びるために再び森の中へと戻った。既に森の中は魔獣の支配下にあったが、人里に近づくよりは安全だったのだ。しかし、最終的に生き残ったのは、一定以上の戦闘力があるごく僅かなエルフのみだった。
さらに時は流れた。
今から20年前。1人の美しいエルフ族の女性が、心無い人間によって命を奪われようとしていた。エルフ族の女性は、滑らかな白髪と鋭く尖った耳、そして深紅に輝くルビー色の瞳を持っていた。
無慈悲な斧刃がエルフの首筋へ振り下ろされる。その瞬間のことだった。さっきまで誰もいなかったはずの空間に、どこからともなく強い魔力を持った人間の男が現れた。そして、隠し持っていたナイフで斧の斬撃を軽々と弾いてみせたのだ。
「大丈夫かい?」
突然現れた男――淡い金髪の長身魔法使いは、エルフを拘束していたヒモにナイフで刃を入れながら、優しく問いかけた。その直後、エルフを殺そうとしていた男が斧を振りかざし、唸り声をあげながら襲い掛かってきた。同時に、エルフの拘束ヒモが音を立てて千切れる。
刹那、エルフが無から有を生み出す。自由を得たエルフの両手には魔力で生成した弓矢があった。引き絞り、強き矢を放つ。彼女は魔法使いの背後に迫る斧男を、魔力の矢で吹き飛ばしたのだ。
「おお、キミ強いじゃん。どうしてあんなザコに拘束されてたのさ」
ぴゅうと口笛を吹く真似をしながら、魔法使いが言った。
「……あんたの目的は何?」
警戒心をぎらつかせたエルフが鋭く睨み、輝く弓矢の先端を魔法使いに突きつけながら言った。彼はやれやれとため息をつきながら両手を上にあげ、気だるげに返事をする。
「美しい乙女のピンチだと思って駆け付けただけだよ」
「あたしがエルフだと知ってたら?」
「関係ないね。オレは女性を傷つける男が大嫌いなんだ」
「あたしは人間が大嫌いよ」
「無理もない。人間は弱くて怖がりで愚かだ。今更、許してくれとは言わないよ」
「……あんたは怖がりじゃないのね」
「いいや、オレにだって怖いものくらいあるさ。ただ、他の人よりちょっとばかり強いだけだよ」
そう言って、男は悪戯っぽく微笑む。エルフは頬をぷくっと膨らませて、怒ったような表情を浮かべていたが、いつの間にか魔力の弓矢を手元から消していた。
その後、行き場のないエルフは男と行動を共にすることにした。男は優秀な魔法使いで、空間移動魔法を使うことができたのだ。2人は各地を転々としながら旅をした。
差別感情などを一切持たぬ魔法使いの慈愛は、長らく愛を得られなかったエルフの心を優しく包み込んだ。そして、次第に2人は惹かれ合っていったのだった。
しばらくして、エルフと魔法使いの間に子供が生まれた。
「この子の名前、どうする?」と、エルフの母。
「へへ、もう考えてあるんだ。愛しい我が子。キミの名前はリシュナだ」
☆
季節外れの豪雨が薄い屋根を抉る。生ぬるくなった空気の中で、雨はザーザーと降り続け、気が付いた時にはランドの家の前に大きな水たまりができていた。
家の中で雨風と罵声と混乱を凌いでいたのは、ずぶ濡れのアッシュとランド、そして膝を抱えてぶるぶると震えるエルフと魔法使いの子――リシュナだった。
「勝手だよね。世界に疎まれるエルフと子供を作るなんて」
目を伏せたまま、リシュナがぼやく。アッシュとランドは、リシュナがエルフの血を引くハーフエルフであることを、つい先ほど知ったのだ。ランドは少し狼狽えたようだったが、アッシュは少し怒りを含ませたような表情で首をかしげていた。
「エルフが何かしたわけじゃないんだろ……?」
「そうだよ」と、リシュナ。
「どうしてエルフが石を投げられなければいけないんだ?」
「昔からそういうものなんだよ」
「おかしいだろ!」
拳を強く壁に打ち付けて、アッシュが怒鳴る。その感情の内には、エルフに対してひどい仕打ちをした人間に対する怒りと悲しみ、情けなさがあった。
「アッシュは何も知らなかっただけだよ」
膝に顔を埋めるようにしながら、今にも消えそうな声でリシュナが言う。
「この世界のことなんか、何も知らないさ。でもそのおかげで、バカげた先入観は持ってない。リシュナ、どんなことがあっても僕は君の味方だ」
いつの間にかグラトの言葉を借りていたが、アッシュは無意識だった。本気で言っていたのだ。強い気持ちが込められた言葉に、リシュナは思わず顔を上げる。気づくと、目元を潤ませていた。
さらに、先ほどまで複雑な表情を浮かべていたランドまで、頬にしずくを伝わせながら拳をぎゅっと握りしめて立ち上がっていたのだ。
「リシュナ、すまねぇ。オレにはバカげた先入観があった。クソみてェな偏見もあった。だが、それはオレがされてきたことと同じだった……オレはひでぇやつだ。本当にごめん」
勢いよく深々と頭を下げるランドを見て、慌ててリシュナも立ち上がる。
「いいよ、気にしないで。ランドが悪いわけじゃない。貴方だって、小麦粉を盗んだりしてないでしょ」
ルビー色の瞳を輝かせながら、リシュナが微笑む。それに応えるように、ランドも涙を拭って笑って見せた。アッシュは少し顔を上へ向けながら、2人の肩にそっと手を置いた。
魔法屋に帰ったら、あたたかいスープを作ろう。焼きたてのパンにぴったりな、とびきり美味いスープをリシュナに食べさせてやるんだ。アッシュはそう胸の中で強く誓った。
その時、大雨に打たれる東の村のどこかで、突如として禍々しい魔力が発生した。
「アッシュ、気づいた?」
瞳を大きく見開いたリシュナが気配を探りながら小さく呟いた。
「ああ、もちろん。だが、どうして村の近くで? この村に守り神の信仰はないのか?」
アッシュが言うと、すかさずランドが「ある」と答えた。
「守り神――精霊がいる村には結界が張られていて、魔獣は入ってこれないはず」
リシュナが不安げに言うと、アッシュの表情が一気にこわばった。再び、侵入した魔力の現在地に意識を集中させる。魔力の主は村の中心へ向かってゆっくりと移動しているようだった。
「さっきのことがあった直後で悪いけど、リシュナとランドは今すぐ村人たちに危険が迫っていることを知らせに行ってくれないか」
かつてなく真剣な口調でアッシュが言う。
「……アッシュはどうするの」と、リシュナ。
「僕は魔力の主の正体を確かめに行く。とにかく、2人は村の人たちの保護を優先させてくれ!」
そう言い残すと、アッシュは扉を勢いよく開けて、豪雨の中へ飛び込んでいった。厚い雲に覆われた空は真っ暗で、まるで夜の世界――魔獣が最も強い力を発揮する時間帯のようだった。
「もし今回の敵が聖血魔導会の残党なら……リシュナを会わせるわけにはいかない。シオンもグラトもいない。僕がやるんだ!」
アッシュは決意し、禍々しい魔力を放ちながらじわりじわりと村の中心部へと向かっている正体不明の敵の元へと急いだのだった。
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