第27話 幻の薬

 さらに時は流れ、長い冬が終わり暖かい春がやって来た。ある者は薄着で走り回り、ある者は満開の花畑に舞い、ある者は花粉に苦しみくしゃみが止まらなくなった。

 日が短い冬の間は、魔獣の目撃報告も増加するため、魔法屋は大忙しだった。シオンは相変わらずの仕事ぶりで、1日中魔獣と戦い続けている日もあれば、急にどこかへ出かけてしまう日もあった。リシュナも外で戦う日が増えた。


 一方で、アッシュは魔獣と戦う日も多かったが、他にもいろいろな経験を積んでいた。魔獣に襲われた人々の傷を癒したり、行方不明になってしまった冒険者の捜索をしたり、大雪で混乱した町に炎を与えたり、とにかくできることなら何でもした。

 古き血の継承者であることは極力隠さねばならないと言われていたから、不死鳥魔法と解釈できる範囲の魔法のみを重点的に使っていた。その結果、アッシュの炎、光、治癒の魔法はより洗練され、強い力を発揮するようになっていったのだった。


 そんなある日――春らしく暖かい日のことだった。1人の男性が呼吸を荒げながら魔法屋の扉をドンドンドンと叩いた。この日、珍しくアッシュとリシュナとシオンは3人そろって魔法屋にいた。グラトは野暮用があると言って、早朝からどこかへ出掛けていたのだ。

 乱暴に叩かれた扉をアッシュが開けてやると、見知らぬ男が膝に手をついて、ぜぇはぁと肩で息をしながら立っていた。男は怪我をしているようではなかったが、何だかひどくやつれているように見えた。


「大丈夫ですか?」


 アッシュが優しく声を掛ける。リシュナが台所で汲んできた水を男に手渡すと、男はぐいっと飲み干した。シオンは店内の椅子に座って、静かに状況を見守っている。


「はぁ、お水をありがとう。お嬢ちゃん」


 男が礼を言うと、リシュナはにこっと笑って見せた。一応、伸ばした髪で尖った耳を隠してはいたが、リシュナは初対面の人ともコミュニケーションをとれるようにはなっていたのだ。


「水を飲みに来たわけじゃないでしょう。どのようなご用件で?」


 すっと立ち上がったシオンが淡々と言った。アッシュは疲弊した様子の男の身体を支え、客人用の椅子に座らせた。


「もちろんです、魔法使いさんのお力を借りたくてやって来ました。申し遅れました、私は商人のトッドといいます。最近エルレミラへ引っ越してきたのですが、お会いするのは初めてですね」


「ええ、初めましてトッドさん。一体、何があったのですか?」と、アッシュ。


「実は、妻は死の病にかかってしまったのです。すぐに医者に見せましたが、治すのは難しいそうで、余命は半年……いや、もっと短いかもしれないと……私は絶望のどん底に突き落とされました。」


 トッドの言葉を受け、3人の顔から一片の笑みも消えた。


「アッシュの魔法で治せないのか?」と、シオン。


「傷の手当はできるけど、病気は無理だ」と、アッシュ。


 2人が俯き、唇を噛んで肩を震わせていると、トッドが慌てて言葉を挟んだ。


「話は最後まで聞いてくださいよ。実はね、先日うちに来た女性のお客様から、ある噂を聞いたんです。東の村の近くを流れる川をさらに遡り、南北に跨る巨大な山脈を越えたさらに先の東の果てにあるという洞窟の中に、どんな病も治すことができるがあるというのです」


 アッシュとシオンの表情が一変した。トッドの境遇は、アッシュの両親のそれとよく似ていた。あまりにも似すぎていた。彼が言う幻の薬とは、きっと霊薬のことを言っているのだろう。


「とても信じ難い話なのですが、もうそれに頼る他なさそうなのです。ですが、私には幼い娘もいますし、病気の妻を残して町を離れるわけにはいきません。それに、洞窟にはきっと魔獣も潜んでいることでしょう。そこで、魔獣を退けるお力を持つ、あなたがたに依頼したいのです」


「お子さんがいるのですね」と、アッシュ。


「ええ、今年で8つになります」


「……我々が洞窟の探索をしたとして、幻の薬が必ず見つかるという保証はありません。はぁ……なにせ、幻なのですから。それでもその薬を――」


 アッシュがため息混じりの口調で喋っていると、突然シオンが口を挟んできた。


「その仕事、引き受けさせていただきます」


 すると、トッドの表情がぱあっと明るくなって、シオンの両手をぎゅっと握った。


「ありがとう、魔法使いさん! 私もできる限りのことをして、妻を少しでも長く生き永らえさせてみせます。では、よろしく頼みますよ」


 そう言って、トッドは慌ただしく魔法屋から出ていった。その後、魔法屋の店内は重く苦しい空気が張り詰めていた。


「どうして安易に引き受けたんだ? 幻の薬の噂なんて、全くあてにならないってのに」


「あるかもしれない。探す価値はある」と、シオン。


 2人は睨み合ったまま動かない。


「なんだよそれ。彼に希望を持たせるような言い方も、シオンらしくない。一体どうしたっていうんだよ」と、アッシュ。


「お前が何と言おうと知ったことじゃない。もういい、今回は俺1人で行く」


 シオンが刀を手に持ち魔法屋から出ようとする。アッシュは慌ててシオンの肩を掴み、制止しようとしたが、無駄だった。そのまま扉を開け、シオンは1人で東門の方へ歩いて行ってしまったのだ。


「どうしたんだよ、シオン……」


 アッシュが俯いていると、バンッという音と共に背中に強い衝撃が走った。


「どわっ!」


 びっくりして振り向くと、荷物を背負ったリシュナが足を上げて立っていた。どうやら思いっきり背中を蹴られたらしい。


「なんで蹴るんだよ……で、何その荷物?」と、アッシュ。


「長旅になりそうだからね、食料をいっぱい詰めてきた。ほら、アッシュが持ってね」


 リシュナは重たい荷物をアッシュに向かって放り投げると、すたすたと扉の方へ歩いて行った。


「あんた、まさかシオンを1人で行かせる気じゃないよね。ほら、行くよ」


「行くよって、リシュナも?」


「当然じゃん。だって、洞窟探検でしょう? 何かあった時に脱出するなら、あたしの魔法は必須だよね。それに、アッシュの閃光魔法がないと、きっと真っ暗で何も見えない。シオンは行く気満々だし、もう3人で行くしかないでしょ」


 リシュナの言葉に、アッシュは閉口するしかなかった。それを見たリシュナは「へへーん」と、得意げな表情を浮かべた。


「よーし。アッシュ、シオン、そしてあたし。3人で幻の薬を見つけて、トッドさんの奥さんを助けてあげよう!」


 腕を突きあげながら「おー!」と1人で叫んで、リシュナは東門の方へ向かった。アッシュは「やれやれ」という困り顔を浮かべながらも、初めての3人旅に少しだけ心を躍らせていたのだった。

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