1章② 拾い上げ作家と担当編集
「ボ、ボボ、ボツ!?」
素っ頓狂な声を出したのは、俺だ。
なにかの聞き間違いだと思い、口の端をひくひく痙攣させながら苦笑した。
「いや……いやいやいやー、つまらない冗談はよしてくださいよ。本作を完成させるために一年、丸っと一年費やしてきたんですよ。それがボツ? 企画からやり直し? ゼロベース? そんなまさか。はは、ははははっ」
あまりのショックでもはや笑って現実逃避するしかなかった。
「うん。ボツね」
が、
飯田橋駅から歩いてすぐのラノベ最大手レーベル、火炎文庫編集部。
レーベル発のアニメポスターや人気ヒロインの等身大パネルが飾られた夢に満ち溢れた空間で、しかし告げられたのは厳しい現実だった。
「いやさ、ボクだってボツにするのは心苦しいのよぉー。一緒にデビュー目指して二人三脚でがんばってきたわけじゃない。でもねー、この原稿で勝負するのはねー」
茶来担当は打ち合わせテーブルの上で原稿の束をトントンと整え、向かいに座る俺に差し返す。
要するに使えないってことだ。
茶来担当、通称チャラ担。
年齢は三〇代半ば。茶髪にアゴヒゲ、小麦色に日焼けした肌、そして軽薄な喋り口調からチャラ男を連想させるので俺はこっそりそう呼んでいる。
「で、でもっ、企画からやり直しってのはさすがになしでしょう。このプロットで原稿進めようって言ったじゃないですか」
「あ、そうは言ってないよ。正しくは、ひとまずこのプロットの原稿を読んでみたいかな、って言ったんだよ」
読んでみたいかな、か……。
くそ、ずるい言葉だな。
「な、なんとかなりませんか!? 担当の指示通りのストーリー展開にしたじゃないですか」
「でも、キャラクターはプロットから変えたよねー。相棒はヒロインのはずだったのになぜか男になってたし。バディものなんて聞いてなかったよ」
「そ、それは、男同士のほうが熱い展開になると思って!」
「ホント? 女の子書くのが苦手だから逃げたわけじゃなくて?」
「逃げた、わけじゃ……とにかくこの一年、この小説を完成させることだけに全力注ぎ込んできたんです! 熱量だけならほかの作品にだって負けてないです! どうにかなりませんか!?」
「難しいねー」
食らいつくがにべもない。
ビジネスの世界で大人が言う「難しい」は、事実上「不可能」だと翻訳すべきなのだと、過去チャラ担とのやりとりでも痛感してきた。
つまり、どうあがいてもこの原稿で作家デビューは不可能。
見た目は軽薄そうなチャラ担だが、売れないと見込めばバッサリと切り捨てるドライな側面を持ち合わせているあたり、れっきとした編集者だ。
「さ、切り替え切り替え。というわけで、また一からがんばろ」
あっさりとした軽い口調だが、言ってることは一年間注ぎ込んだ時間全部なしにしてふりだしに戻れというえげつなさ。
これが商業の世界か。
「また一から……」
〝拾い上げ〟。一介の高校生の俺がいま最大手レーベルの編集部に足を運べ、担当までついている理由がそれだ。
火炎文庫の新人賞に落選したものの、「光るものがある」「突出した魅力がある」など編集者が個人的に連絡を取って担当としてつくことがある。それが〝拾い上げ〟だ。
ただし、〝受賞作家〟と違って〝拾い上げ作家〟は落選であるため即作家デビューとはならない。投稿作を大幅に改稿するか、もしくは企画段階から作り直すよう指示され、担当のアドバイスをもとに二人三脚でデビューを目指す。
――大変だよ、ウチのレーベルで書くの。それでもやる?
チャラ担から電話がかかってきたのは、俺が火炎文庫の新人賞に落選して落ち込んでいたときだ。
事実上の敗者復活戦。滑り落ちたと思った目標に指がかかって興奮した。
――大変? 望むところだ。本を出せるならなんだってする。
そこからはこれまで以上に必死になった。
夏はエアコンのない部屋の中で汗をダラダラ流しながら書いて、冬は暖房なんてないからしもやけになりながら書いて、書いては書き直し、書いては書き直し……。
結果、一年がかりで原稿に命を吹き込んだ。
で、たったいま原稿が屍になった。
「これだけやってもまた一から……わかんないです。正直、どうすれば上手くいくのかもう全然わかんないです」
差し返された原稿に目を落とし、つい弱音が漏れた。
タイトル『
ジャンルはSFクライムサスペンス。
近未来の電脳都市を舞台にしたバディもので、電脳犯罪を取り締まる警察官がタッグで解決していくストーリー。
わかっている。昨今の流行とはかけ離れていることぐらい。男同士の友情をウリにしているところもいまのライトノベルらしくない。
でも、俺はバディの熱さを面白いと感じたし、SFトリックを使った逆転のカタルシスには自信があったんだ。
「技術とか、素質とか、熱量とか、俺の持っている全部をぶち込んで……なんというか、俺という人間の総力戦だったんです、この作品は。だからそれ否定されたら、俺の全力を否定されたみたいで……。全力尽くしたものが通用しなかったとき、次、一体どうすればいいんですか」
電話でチャラ担に言われた「大変だよ」という台詞の意味を、いま本当に痛感する。
小説家ってのは手間暇かけて書いても本にならなきゃ一円にもならなくて、それでもまた本になるかわからない次を書かなくちゃいけないんだな……。
「じゃあ、ボクからひとつ提案があるんだけど」
提案?
「ラブコメやってみない?」
LOVE米?
脳が誤変換した。あまりに疎すぎるジャンルで。
「ラブコメ……俺がラブコメ!?」
「そ、ラブコメ。明るい作風でヒロインと恋愛するあれね」
「いや……いやいやいやっ、ラブコメって俺の作風と丸っきり逆じゃないですか! 男の友情とか、あっさり人が死ぬハードなSF世界観とか、そういうの書いてきたんですよ! てかラブコメなんて一度も書いたことないですし!」
「いいじゃなーい。やったことないってことは、そっちの可能性はまだ塗り潰してないってことでしょ。ちなみに道成くんの恋愛経験は?」
「それ聞きます? クラスで名前憶えてもらえないほど地味なキャラですよ」
「あっ……」
「察し、みたいな顔やめてもらえます」
「うん、ぶっちゃけイメージ通りだった!」
「察するのやめろと言った途端に本音ぶちまけるのもやめてもらえます!」
「いいね! いまの会話のテンポよかったよ! それを美少女とやる感じで書けばコメディ部分はなんとかなりそうじゃない?」
「なりませんよ! 簡単に言わないでください。ラブコメって恋愛を〝要素〟ではなく〝主軸〟に据えなきゃいけないジャンルですよね。しかも可愛いヒロインは必須。無理ですよ、無理。恋愛経験ろくにないんですから、俺。自分からだれかに告ったこともなければ、だれかに告られたことだって――」
――ねえ、階くん。付き合ってよ。
不意に、はにかんだ彼女の顔がまぶたの裏に蘇った。
――美空……。
ぶんぶんっ、と俺は頭を振って話題を元に戻す。
「なんで俺にラブコメ書けなんて提案するんですか?」
「ぶっちゃけると流行ってるからね」
「ぶっちゃけすぎでしょ。流行ってるからって……」
「あはは、呆れた声出すじゃん。でも、売る側としては流行は無視できないよ。一定売り上げが見込めるデータ的裏付けがあって、手堅いジャンルだから企画も通しやすい。それがひとつ目の理由かな」
「ひとつ目? ほかに理由があるんですか?」
「ラブコメは〝キャラもの〟だから。そしてラノベはやっぱキャラクターだから。道成くんの作品はさ、世界観や構成は良いんだけど、逆にそれらに頼りすぎててキャラ描写が乏しい。特にヒロイン。そこが弱い。だからヒロインが重要なラブコメを手掛けることで、強制的にヒロインに人気がでるよう書かざるを得ないわけだ。それが二つ目」
「ヒロインが弱い……強制的にヒロインを書く題材……」
「で、最後三つ目の理由は、単純にボクが読んでみたいんだよね。道成くんがどんなラブコメを書くのか興味がある」
「興味……。でもっ、俺には時間がないんです。書いたことないラブコメを試しで書くなんて、そんな実験やってる時間は――」
「あ、確かに時間ないや」
チャラ担が腕時計を見ると、突然、テーブルの上の書類をまとめて慌てて立ち上がる。
「いやー、申し訳ない。これから阿藤先生と打ち合わせなんだよね」
「え、ちょっ、俺との打ち合わせ中ですよね? ほかの作家との打ち合わせも入れてたんですか!?」
「阿藤先生アニメ化決まってから忙しくてさー、この時間しか空いてないんだよね。道成くんとの打ち合わせはここまでってことで」
くそ、こっちはデビューすらしてないから軽く見てんな。
「あのっ、最後にひとつだけ聞かせてください!」
チャラ担が打ち合わせスペースから去ろうとして、その背に俺は待ったをかけた。
「なんで、俺を拾い上げたんですか?」
いまさらだけど、理由を知りたかった。
落選行きの段ボール箱に放り捨てられた原稿をわざわざ拾って俺に電話をかけてくれたその動機。
なにがチャラ担の心を動かしたのか。
まったく未知の領域のジャンルを書くにあたってなにかヒントになる予感がした。
「上手いから」
チャラ担は首だけ振り返り、簡潔に、だが確信を持って告げた。
「でも、上手いだけだから落選した」
本質を突くような鋭い視線に、思わずごくりとのどを鳴らした。
「キミの作品はさあ、年齢の割にテクニカルだし、創作ハウツー的なお勉強を欠かしていないって努力は伝わってくる。真面目、分析的、勉強熱心。要は技術がある。だけど別に技術自慢の作品を見たいわけじゃないんだよね。あ、技術が不要って言ってるんじゃないんだよ。技術は結局、君のやりたいことをやれるようにする術でしかないってこと」
そこでだ、とチャラ担は目を細めて問うてきた。
「――道成くんってさあ、この世界のなにを愛してるの?」
返答に窮した。
なんて答えればいいかわからなかった。
胸の内を探ればそれらしい答えを言えなくもないが、すぐに返答ができなかった時点で取り繕った答えでしかないような気がした。
「みんなさ、一言目には作家になりたいって言うけど、一言目になにを書きたいかは言わないよね。本来は書きたいなにかがあるから作家になるんだけどね。小説家ってのは『なろう』とするものじゃなくて『なってる』ものなんだけどね」
それはどういう……。
「ま、いいや。また今度話そ。じゃ、最強に可愛いラブコメヒロイン期待してるからよろしくぅー」
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