7章① もう一度ラブコメを
「ええっと、工場作業の仕事内容は……ガス切断機による鋼板部品製作……特別な技能は必要なし。月給一八万。年二回賞与あり。へえ、悪くないじゃん。え、でも昼食の弁当代は給与から天引きされんの……。こういうのって昼食手当とかつかないの?」
俺はファイリングされた求人票一覧をめくっていく。
「次は介護職……夜勤手当、資格手当、住宅手当あり……へえ、手当は結構つきそうじゃん。低賃金ってニュースで問題になってるけど……え、試用期間だと給料減額されんの? そういうもんなの?」
高給! 福利厚生充実! ハイクラスの求人!
なーんて転職サイトのキャッチフレーズにありがちな優良企業が見つかればいいんだけど、不景気が続く中、高卒だとなかなか厳しいもんだな……。
「あー、この会社も自動車免許が必須なわけね。就職するならやっぱ車の免許って取っとかないとダメだよな。三〇万ぐらいかかるんだっけ? 高けー。小説家だったら資格なんて必要ないんだけどな」
小説家だったら――。
何気なく呟いて、途端、胸に穴が空いたようなむなしさに襲われた。
「だったらよかったんだけどな……届かなかったな」
パタン、とファイルを閉じる音が就職支援課教室にやけに響く。俺をのぞいてほかに生徒がいないからだ。大抵の生徒はいまごろ予備校の夏期講習だろう。
「本当に来年のいまごろ働いてんのかな、俺……。工場で説教受けながらガス切断機とか使っちゃってんの? 笑顔で老人の車いす押して介護してんの? どっちもイメージできねー」
なんだか憂鬱になってきて、就職支援課を後にした。
廊下の窓ガラスには夏空に高く伸びる入道雲が映っている。
今日は終業式。すなわち夏休みのはじまりでもあった。
夏休みといっても浮かれるわけにはいかない。就職希望者にとって七月は求人票が一斉公開され、本格的な就職活動がスタートする時期だ。
――道成って就職らしいぜ。
ふと、教室の片隅で聞こえたこそこそ話が耳に蘇る。おそらく「就職」と書いて進路希望調査票を提出した際に漏れたのだろう。
――うちの学校で就職するやつっているんだな。
――高卒ってやべーだろ。
――人生終わったな、あいつ。
――おれたちは間違わねえようにしないとな。
間違わないように……。
そうだよな。
だれもが失敗しないように、つまづかないように、間違わないように生きている。
有名大学への進学。大手企業への就職。勝ち組――。
俺は。
俺は間違ったのだろうか。
向いてないとわかっていながらも、作家デビューを夢見て努力した時間は間違いだったのだろうか。
少なくとも、いまのままでは――。
「見つけた! オタク先輩!」
足を止めた。背中に大きな声がぶつかってきた。
振り返ると、丹羽田がいた。
慌てて廊下を走ってきたのか、ハァ、ハァ、とひざに手をついて息を切らしている。
「見つ、けた……やっと、見つけた」
「丹羽田? 息を荒げてどうした」
「どうしたじゃないよ! メッセージ返してよもお!」
「メッセージ? ああ悪い、あんまり携帯見ないんだよ俺」
「見ろ! 即レス! 一〇秒以内! これギャルとやり取りするときの鉄則!」
「んな滅茶苦茶な。落ち着けって。一体なにがあった?」
「なにがあったって聞きたいのはあたしのほうだよ! なにかあったんでしょ!? 美空先輩と!!」
美空――。
思わず言葉が詰まった。
水族館デートを最後に、美空とは連絡を取っていない。直接顔も合わせていない。
今日の終業式で美空の後ろ姿をチラッと確認できたが、いまの状態ではとても声をかけられる雰囲気ではなかった。
「黙ってるってことは、やっぱり美空先輩とオタク先輩の間になにかあったんだ」
バツが悪そうな俺の反応に、ああもうっ、と丹羽田がじれったそうに先に語りはじめた。
「今日ね、部活があったの。九月の文化祭公演に向けた稽古。そこが美空先輩たち三年生の引退公演になるんだよ。けど、稽古初日から美空先輩がトラブっちゃったんだよ」
「トラブった? 美空が?」
「最初はいつも通りの美空先輩に見えたんだよ。文化祭に向けて稽古がんばろうねー、って盛り立ててたし。でもいざ稽古がはじまると石像みたいに固まってその場から動かなくなっちゃったわけ。顔がどんどん青白くなって、両肩が小さく震えて、演技大好きな先輩が演技することに怯えているような……」
演技に怯える?
華麗にラブコメヒロインに変身を遂げるあの美空が?
「ごめん、演じられなくてごめん。震えた声でそう謝りながら稽古場から逃げ出しちゃってさ。もうみんな混乱だよ」
「美空が逃げた? それってついさっきのことか?」
「そうだよ。一応美空先輩からさっき連絡返ってきたけど、とはいえ心配じゃん。だって、はじめて見たもん」
「なにを」
「泣いてる美空先輩」
――君のそばにいたかった。
水族館での美空の泣き顔がフラッシュバックして、ズキリと胸が痛んだ。
「四月から美空先輩の様子がどうもおかしくてさ。舞台衣装のメイド姿でいきなりロッカーから飛び出すし、部活後のカラオケにも全然付き合ってくれないし。で、なにやってんのかなーって思ったら、オタク先輩が絡んでいたわけじゃん。だから今回の件もオタク先輩絡みだろうなって」
能天気そうなギャルに見えるが丹羽田は妙に鋭いところがある。
「一体なにがあったわけ。答えてよ。ごまかさずにちゃんと」
丹羽田が一歩詰め寄って来る。
もはやバカっぽいギャルという雰囲気はなかった。敬愛している先輩をほっとけない友情に近しい感情があった。
「終わったんだ」
「終わった?」
「俺と美空のラブコメ制作が、協力関係が……終わったんだよ」
「はあ!? なんで!?」
丹羽田が眉尻を吊り上げて胸倉を摑まんばかりに肉薄する。
「美空から別れを切り出したんだ。数日前に」
「美空先輩が?」
「俺と美空は……もともと切れた関係だったんだよ。フッたフラれた気まずい関係だったんだ。むしろ今日までラブコメ制作で手を組んでいたほうがおかしなことで……だから関係が終わったというより、正確には元に戻っただけなんだ。あるべき関係に。正しい関係に」
――だから、私をフッた君は正しかったんだ。
そうだ。美空自身そう言ったんだ。
美空が正しいと評してラブコメ協力関係を終わらせるなら、それ以上俺がとやかく言うことはできなくて……。
「正しいわけないじゃん!」
が、丹羽田は声高に否定した。
「正しくないよ。そんなのちっとも正しいわけないじゃんっ」
「でも美空本人がそう言ったんだぞ」
「美空先輩がそう言ったから納得しちゃっていいわけ!? 他人や周りが正しいって決めたものにはいそうですねって受け入れるの!? 二股はいけません、嘘ついちゃいけません、清く正しく生きましょう、はい全部正しいので従いますーでいいわけ!? それで終わり!?」
「また滅茶苦茶なことを。実際正しいだろそれ」
「正しいよ! すごく正しい!」
「だったら!」
「でもどれだけ正しくったって、好きな女の子が泣いてたら全部間違いだろッ!」
心臓をぶっ叩かれた。そう思うほどの声量。
「好きなんでしょ。オタク先輩だって美空先輩のこと好きなんでしょ」
こいつは本当にどこまで人の気持ちを見透かしているのか。
「このまま美空先輩との関係を終わらせていいの? 美空先輩を泣かせたままで納得できんの?」
「…………っ」
「いいの? 本当にそれでいいの?」
「…………いいわけねえだろ」
「だったらこんなところでなにやってんの?」
「…………俺だって、俺だって好きで求人票なんて見にきたわけじゃ……一度決めた約束で守んなくちゃいけないから、だから……だから仕方ねえだろッ!」
気づけば俺も腹の底から声を出していた。
「俺だって美空を泣かせたまま終わりでいいなんてこれっぽっちも思ってねえよ。でも、でもな、俺は過去に選んだんだよ。創作か美空かで、創作を選んだ人間なんだよ。どのみちこうなる運命だったんだ。フッても美空を泣かせ、ラブコメ作りで一緒に時間を過ごしても美空を泣かせたんだから」
「わかんないよ。なんでそうなるわけ。両立すればいいじゃん。創作だって美空先輩だって」
「簡単に言うなよ。両立両立って、それができたら苦労しねえんだよ」
「じゃあ先輩は苦労したの? ただラクなほうを選んでるだけじゃないの」
「なに」
「ラクじゃん。創作を選べば創作だけ考えられるから。美空先輩もほかのこともなーんにも考えなくていいもんね」
ラク……俺のやってきたことがラク……。
「ふざけんなよ……なんでもかんでも俺の気持ちわかった風に言いやがって……ラク? ラクだと……ラクなんかしてねえよちっとも!」
頭の中が沸騰する。これまでの努力全部否定されたみたいで。
「ゲーム、映画、マンガ、エンタメ溢れるこの世でそれでも小説を選んでもらえるようにアイデアを寝ずに考えて考えて、けどまったく閃かなくて自分の凡庸さに打ちひしがれたことがあるのかお前に。腰が痛いって悲鳴上げながらも丁寧に丁寧に文章を書き直していい小説ができたと思っても本にならず一銭にもらずキーボード叩くだけのおままごとって馬鹿にされて悔しい気持ち味わったことあるかお前に。本屋に行くことが好き好きでしょうがなかったのに作家目指した途端に売れてる本やヒット飛ばしてる作家が目について胸掻き毟りたくなるほど嫉妬して自分の非才に嫌気が差すほど苦しんで! 非力さも、悔しさも、嫉妬心も、全部全部きっちり苦しんでもがいてんだよこっちは!」
「でも、でもっ! 両立できる可能性を探ろうとしてないじゃん! 美空先輩と付き合ってやっぱりダメでしたってならわかるよ。けど付き合ってもいないのになんで両立できないって決めつけちゃうんだよっ。頭でっかち!」
「ラブコメ制作での時間が事実上付き合っていたようなもんだろ。恋人がするような二人だけの時間を送っていたんだ、俺と美空は」
いつでも家に来れるように合鍵を渡した。
家の灯りをつけカレー料理を作って待っててくれた。
一つ屋根の下で隣り合って眠った。
水族館デートで手を繋いだ。
そういう日々の中で、付き合っていたらこういう毎日だったんだろうな、なんて思った。
「だけど結果は……結果は出せなかった。俺はあの物語を本にできなかったんだよ」
ぐっ、と悔しくて拳を強く握る。
「そりゃクリエイターの中には恋愛することで創作にいい影響を及ぼして、作品の厚みやリアリティが出るって考え方もあるかもしれない。そういう考え方は別に否定しないさ。けど、俺の場合はこういう結果になった。上手くいかなかった。いいとこ取りはできなかった。美空も創作も、なんて。美空か創作か、なんだよ。俺は……才能がないから」
下唇を噛んでうつむく。
「美空だってそれを痛感して、無意味な時間を俺に送らせたと、これ以上は迷惑かけられないからと、離れることを選んで……」
「美空先輩はでしょ」
「なに」
「オタク先輩はどうなんだよ!」
顔を上げた。
俺?
「美空先輩から別れを切り出したとか、才能があるとかないとか、そういうのはぶっちゃけどうでもいいよ! 他人がどう思おうが才能がなかろうが結局自分の気持ち次第じゃん。最後は先輩がどう思ってるかでしょ!」
横っ面をはたかれるような叫びだった。
「オタク先輩にとって美空先輩との時間は無意味だったの!? 特別だったんじゃないの!?」
特別……。
特別な時間……。
「好きだっていまでも思ってんならカッコつけてよ! 美空先輩悲しませたままで終わんなよ! 先輩! お願いだって先輩!!」
俺……。
俺は……。
――美空との時間は無意味だったのか?
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