6章⑤ 真相

「美空――」

「ごめん……」


 真っ先に謝る美空の顔は青ざめていた。

 血色を失ったその顔がすべてを物語っていた。


 ――全部か。

 チャラ担の声が聞こえているかはともかく、俺の台詞は全部聞かれていた。


「私のせい……私のせいだ……」


 こっちの胸が苦しくなるほどの悲痛な声だった。そこにミソラは一片も存在してなかった。


「美空のせいじゃない」

「違うよ。私のせいだよ」


「それこそ違う。美空はラブコメ制作に協力してくれただろ」

「協力なんて……本当はしてなかったんだよ! 私はっ!」


 耳を疑った。

 協力してない?

 そんな馬鹿な。


「なに言ってんだよ。美空は俺が考えたヒロインを演じてくれたじゃないか。いまだってデートイベントのために付き合ってくれて――」

「違う。違うんだよ。そうじゃないんだよ……。ヒロイン化も、デートイベントも、結局、自分の……」


 自分の?

 どういうことだ?


「最初から強引な理屈だったんだよ。私がラブコメヒロイン化して、ラブコメ作りのヒントにするなんて制作手法は。私がヒロインを演じたところですぐ人気ヒロインが書けるようになるわけじゃなかった。ほかの作家より優れた作品を作れて簡単に本になるほど甘くなかった。わかってた。心のどこかでそんなことわかってた。でも、でも……」


 美空の両肩がふるふると小刻みに震え出す。


「《ラブコメタイム》でフラれた私だからこそヒロインとして意味がある、気まずい関係の私だからこそ有効……そんな理屈を並べ立てたのは結局のところ、ほかの女の子に私の役割を奪わせないため。だから三角関係のとき、丹羽田ちゃんがヒロイン化して君にアプローチして思っちゃったんだ。失敗した、って。丹羽田ちゃんなんか呼ばなきゃよかった、って。ラブコメ制作に協力するなんて言いながら、そんな、そんな心の中で卑しくてずるいことを……」


 ひび割れたガラスみたいにいまにも壊れそうな声。


「だから、だから……本当の意味でラブコメ制作の協力なんてちっともしていなかったんだ。エゴなんだよ。ラブコメの協力云々ってのは所詮口実で、私は私のエゴを通すために動いてたんだ」

「エゴって、それは……」


「――君のそばにいたかった」


 美空は涙ぐみながらも述懐した。


「最初は、こんな私でも君の創作に力を貸してあげられたらって気持ちは確かにあったよ。本当だよ。あくまで私はラブコメ制作の協力者。フッたフラれた距離感を保たなきゃいけない。でも、でも……君と過ごしているうちに、君が見つめてくれる時間が嬉しくて、もっともっと君の気を引きたいって思いが強まって、だんだんと『協力』よりも『エゴ』が勝っていって、フッたフラれた関係でいなきゃいけないって自分でルール設定したのに、勝手に君の家にカレー作りに行ったり、君の家にお泊りしたり、もうそんなのラブコメ制作と直接関係ないのに、ダメだダメだって頭で言い聞かせたのに、体は全然言うことをきかなくて……」


〝あの夜〟か。

〝あの夜〟から美空の中でなにか異変が起きていることは俺自身も察してた。


「今日のデートだってそうだよ。ラブコメ制作のためって言いながら私自身がなにより楽しんでた。君と一緒に写真撮って、君と手を繋いで……ツンケンしてて手厳しく指摘する『疎遠な美空』の役割なんてデートの最初だけで、後はもう楽しすぎてすっかり忘れちゃって……」


 両手で顔を覆う。


「君には時間がないのに、結果を出さなきゃいけないのに……。私は君の創作のことよりも、私のエゴを満たすことに頭がいっぱいだったんだ。だって、だって……」


 指の隙間から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。


「だって好きだったから」


 罪を告白するような悲しい声だった。


「いまでも好きだから」


 罰を覚悟するような辛そうな声でもあった。


「フラれてから一年、諦めようとして、我慢して、でもやっぱり諦めきれなくて、君を想うと体が、体がどうしようもなく勝手に動いちゃって、その後でああやっちゃったって後悔するんだけど、やっぱりまた体が止まらなくて、同じようにアプローチして……」


 ――でも『好き』ってそういうことでしょう。

 ――抑えが利かない圧倒的な気持ちに気づけば体が突き動かされる。


 そうか。

 ファミレスで美空が口にしていたことは、あれは美空自身のことを言っていたのか。


「でも、その結果がこれだよ。作品は形にならなかった。現実は正しい。いつだって正しい。私のエゴで振り回して君の貴重な時間を無駄にしちゃった。私がラブコメヒロイン化なんてやり方を提案しなければ、もっと別の、もしかしたら書籍化できるプロットができていたかもしれないのに。ごめん、ごめんなさいっ……」


 いたたまれない声で謝罪する。


「多くの屍が転がる険しい山道を往く君は、私なんかとは『違う人』なのに、恋も遊びも青春全部引き換えにして進まなきゃいけない人なのに、欲望塗れの私なんかが隣にいちゃいけなかったんだ。足引っ張って、恋愛で邪魔をして……」


 だから、と美空は四肢がちぎられるのを我慢するような声で告げた。


「だから、私をフッた君は正しかったんだ」


「正しかった……」

「もし私なんかと付き合っていたらすべて台無しになっていた。私にとって君と過ごす時間は特別で意味のあるかもしれないけど、君は望んだ場所にたどり着けず無意味で無価値な時間を送ることになった。現にいま、今回のラブコメ制作で共に過ごしてそのことが証明されちゃった」


 正しい。

 フッたことは正しい判断だった。

 そのはずなのに、なにかが、すごく、間違っているような……。


「――階くん」


 瞠目した。

 ノスタルジーを引き起こすような、耳触りのいいその呼び名。


「階くん、ごめんね。距離取って、嫌われようとして、気まずい雰囲気作って、つれないことばっかしてきて」


 一年ぶりの響き。そしてその台詞で、すべてを確信した。


 ――演技だったんだ。


《ラブコメタイム》の『ミソラ』だけでなく、フッたフラれた気まずい『疎遠美空』も演技だったんだ。

 眼前でいまにも崩壊しそうな彼女こそ、いや崩壊したから現れた彼女こそ、正真正銘の美空だったのだ。


「せめて、せめてだけど、君に迷惑をかけないという意味で、私はフラれてよかったと思える。そこだけは、本当にそこだけは……」


 美空が合鍵を取り出して、そっと俺の手のひらに置く。


「君から奪った時間は返ってこないけど、せめて、もう、これ以上は、迷惑をかけない好きにならないように……」


 儚く消え入るように、美空が静かに俺のもとから去っていく。

 震えた小さな彼女の背中を追いかけようとして、だが、足が固まって動かなかった。


 なんて言葉をかければいいんだ?


 彼女がフッたことを正しいと評した。

 彼女自身が正しいと納得した。

 じゃあそれ以外の言動は全部間違いとなる。

 いまから追いかけることだってきっと……。


 俺は彼女を追いかけることを、追いかけて伝える言葉を、自分の内側から見い出せないまま、立ち尽くしかなかった。

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