7章③ もう一度ラブコメを(美空視点)
急に演じ方がわからなくなった。
わからなくなったのは、たぶんしくじったからだ。《ラブコメタイム》でヒロインを演じても階くんのなんの役にも立てなくて。
わからない。わからない。わからない。
演劇部のみんなの足手まといになるかもしれないと思うと、じわっと視界が滲んで、気づけば稽古から逃げだしていた。
「あーもう、なにやってんの私……」
走って、走って、ふと顔を上げたら、無数のクラゲがふわふわと舞っていた。
なぜか先日、階くんとデートした池袋の水族館に逃げ込んでいた。
なぜかだって?
ううん。違う。
本当はなぜここに来たのか理由なんてわかっている。
デートの楽しい思い出の中に浸りたかったんだ。
思い出……過去……私の時間の矢印は未来ではなく過去にしか延びてない。
階くんにフラれたにも関わらず、階くんのことが頭から離れられなくて、未練がましく階くんの隣でいるための口実を用意した。
結果として創作の邪魔をした。
過去を生きる私だから、前に進もうとする階くんの足を引っ張ったんだ。
「ホントに最悪だ……。演劇部のみんなに迷惑かけて、階くんにも迷惑かけて……」
おもむろに携帯を取り出す。
画像データをスクロールしながら探っていくと、あった――このクラゲトンネルで撮ってもらった写真。
驚いて目を丸める階くんと、笑顔で背後から抱き締める私のツーショット。
階くんにこだわっている限り、時間の矢印は永遠に未来に向かない。
最悪、またなにかの拍子に階くんにアプローチして迷惑をかけるかもしれない。
だったらこの写真は……。
ゴミ箱のアイコンをタップすると二択の項目が表示される。
「写真を消去」or「キャンセル」。
この写真は、もう……。
「消さなきゃ……」
指が震える。
動悸がひどくなっていく。
ナイフで切りつけられたみたいに胸がズキズキ痛む。
消さなきゃ。消さなきゃ。消さなきゃ……。
「……無理ぃぃぃ~~~やっぱ消せないよぉぉぉ~~~」
はああ、と盛大に息を吐くと指先から脱力していく。
二択のどちらも選ばないまま、携帯をぎゅっと胸に抱える。
好きな人とはじめて撮った写真だもん。
階くんとツーショット写真めちゃくちゃ嬉しかったもん。
嬉しすぎてメッセージアプリのプロフィール画像に設定しかけたぐらいだよ。
いやさすがにそれやっちゃうとクラスメイトにひやかされると思ってすぐ変えたけどさ。
ちょっと匂わせる感じの水族館の写真に留めておいたけどさ。
「消せないよ。そう簡単に消せっこな――わわっ」
そのときだった。
通りすがりの観光客と肩がぶつかった。ドンッ。前につんのめり携帯を落としそうになって慌てて摑む。
「危なっ。危うく携帯を落としかけて……え」
無事携帯を手にして安堵しかけた直後、摑んだ指がちょうど押していた。「写真を消去」の項目を。
「あ」
画像一覧から階くんとのツーショットが消滅した。一瞬で。
「あ、あ……あわわわわわわわっ! 消しちゃった!? 大事なツーショット写真だよ! えええっ! こんな消え方ってある!? ちょちょちょっと、なに間抜けなことやらかしてんの私ぃぃぃ――!」
うそうそうそやだやだやだ。
だってめちゃくちゃ勇気出して撮ってもらったんだよこの写真。
ヒロインのフリしながら本当は階くんに抱き付くのめっっちゃくちゃ恥ずかしかったんだからね。
照れ隠しして、上手に笑って……こんな写真もう二度と取れないよお。
いや。ちょっと待てよ。
ゴミ箱。そうだ。写真データって一度消去しても一時的にゴミ箱に移動するんだっけ?
だとしたらまだ完全消去されてなくない? 写真データはゴミ箱の中に残ってない?
「……あ、あったあああ! あったあった、階くんとのツーショットまだ残ってたぁぁぁ! ぃやったあああぁぁぁ! 急いで復元、急いで復元……はーよかったぁ。ありがとうゴミ箱なんて神機能を考えてくれた人! ジョブズ? ゲイツ? わかんないけどありがとー! 嬉しすぎて画像頬ずりしちゃうよもう。すりすり。すりすり。よかった、よかったよぉぉぉ~~~」
……って、あれ?
写真が消えなくてよかった?
逆……じゃない?
だってさっきまで消さなきゃ消さなきゃって思ってたよね。
自分の手で消せなくて、それがトラブルで偶然消えることになったんだから、逆にそれはそれで消えてよかったと喜ぶべきでは?
てか、ぃやったあああぁぁぁ、ってなにガッツポーズしちゃってるの私! どんだけ嬉しがってんの!
でも、そっか。
水族館の中でもはしゃいじゃうぐらい嬉しかったんだ、私。
消したくない。
絶対に消したくない。
そうだ。それが本音だ。
だって好きだもん。
好きな人と一緒に写ってる大事な大事な写真だもん。
いくら過去を生きてたとしても、もう二度と撮ることが許されない関係になったとしても、消せない。消せないよぉ……。
やば。また涙が出てきた。
ここ数日泣いてばっかりだ。情けなくて、不甲斐なくて、悔しくて……。
そう、悔しいんだ。
プロットが通用しないと知ったとき、まるで自分の胸が切り刻まれる痛みがあった。
確かにあのプロットは階くんものだ。私が協力してできたたなんていうのはおこがましい。
それでも、間違いなく私だって関わっていた。
《ラブコメタイム》で人気ヒロインが作れるなんて理屈は無理やりだったかもしれないけど、私は私で力を貸そうとしていたのは決して嘘じゃなかった。
私が力を貸せて、階くんが十二分に力を発揮できて、二人の力で小説が本になって、階くんがお父さんとの賭けに勝って……そんな薔薇色の未来を夢見てた。
でも、そんな未来はもう存在しない。
あるのは階くんに力を貸せず、階くんの時間を台無しにしちゃった事実だけ。
「悔しい……悔しいなぁ……」
終わった。
もう敗北して終わったんだ。
そしてその負けた一端は私の力不足でもある。
フラれたのにいつまでも過去にしがみつく私は、未来を目指す階くんの足を引っ張ったんだ。もう二度と前に進もうとする階くんと関わらないほうがいい。
それなのに。
そうであるべきはずなのに。
「なん、で……」
声が震えた。
唖然とした。
「どう、して……」
夢を見ているかと思った。
涙で滲んだ視界を拭ったら、好きな人が目の前に現れたから。
「――よお、美空」
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