最終章④ 執筆一〇日目

   執筆一〇日目


 連日連夜、美空の心の輪郭に触れるように執筆を進めた。

 五感の記憶を全部使って美空の一瞬一瞬を思い起こし、美空の心情を消失点まできっちり描くような言葉を探り出す。

 書けている。

 きっちり書けている。

 なのに。


 ――書けてるって、それでいいのか?


 疑問が胸を突く。

 猛暑と眠気で霞む視界をごしごし拭いながらモニターに映る原稿を見直して、一度キーボードの上で執筆の手を止めた。


 ――この原稿で勝負できんのか?


 なんでだ。

 なんで書けているのに「勝負できるのか?」なんて惑う?

 ラブコメが書き慣れてきたおかげか作品として手堅くまとまっているように思えるが……。


 いや、手堅くまとまっているだけだからまずいのか?

 これで失敗した前作のラブコメを超えられんのか?

 自分自身を超えられんのか?


「どこだ、どこがダメなんだ……」


 作品の方向性としては間違ってないはずだ。

 ラブコメはやっぱり〝キャラもの〟。メインヒロインの美空をドラマ映えさせることを至上命題とし、そのようにストーリーを組んでいくべきだ。

 気まずい距離感の『疎遠美空』と《ラブコメタイム》の『ミソラ』、その入れ替わりの楽しさとドキドキをベースにメインヒロイン性を発揮していく。

 エンタメが重視されるラノベなら、本文の六割、いや七割はヒロイン描写で占めるべきだ。実際にそう意識して書いてきた。


 じゃあなんで惑うんだよ。


 足りない。なにかが足りてない。

 残り三割。なにが足りない。一体なにが……。


「――創作……」


 原稿を読み返しながら呟き、ハッと我に返る。


「大テーマは『恋愛と創作』……。いま『恋愛』部分はきっちり書いてるけど、『創作』部分の書き込みが足りてない……」


 今作のラブコメはある意味で三角関係だ。

 主人公、ヒロイン、そして創作。

 正解のない問題として主人公は創作に囚われ、ヒロインは恋敵として創作が立ちはだかる構図。

 いま初稿ではその創作の苦悩の掘り下げが乏しいから、ヒロインの恋の苦悩もいまいち伝わり辛くなってしまっている。


 創作の苦悩の掘り下げってのはつまり――俺自身が苦悩してきたこと、か。


 プロ作家を目指した理由である親父との因縁から、頭を抱えて悩んでいるいまこの瞬間すべて書かなければ今作の価値は……。


 すべて? すべて書かなければ?


 いや待て、待て待て待て。まずいだろ、そんな描写。

 問題は主に二つ。


 ひとつ、内容が重くなりかねない。

 クソ親父との因縁を書くってのは、確かに高校生のうちに是が非でも作家デビューしなきゃいけない動機の説明にはなるが、クソ親父の描写も書かなきゃいけなくなる。

 あのクソ親父を書く?

 リスキーだ。そんなこと恋と青春を明るく描くエンタメ重視のラブコメライトノベルでやっていいのかよ。明るいラブコメと見せかけて実はドロドロって見せ方もあるが、今作のウリはそういうものではない。

 親を出してきて冷めたとか、重すぎて読む気失せたとか、読者に失望されるかもしれないぞ。


 そしてなにより二つ、創作の苦悩をしている裏側まできっちり見せるのはタブーなんじゃないのか。

 重複するが、ラブコメは読者に夢を見させるジャンルといって過言じゃない。ハレーム、お色気、甘々、純愛……作者は主人公を通してヒロインと疑似恋愛する楽しさを読者に提供する。

 それなのにラブコメ創作に苦悩した描写を入れるってのは、否が応でもラブコメの仕組みを解説していくことになる。既存作の分析、ラブコメの系譜、ヒロインの作成法、キャラクターシート、関係性、シチュエーション……。そんなメタ的なことを書けば読者の没入を妨げて魔法を解く行為になりかねない。


 つまり俺が今作でやろうとしてることは――ラブコメを読者に魅せつつ、一方でそのラブコメを解体して読者に見せる。


 そんなことしたらどうなる?


 またチャラ担にこんな原稿使えないって突き返されるかもしれない。

 仮に書籍化しても読者が怒るかもしれない。〝キャラもの〟として楽しんでいたのに裏側なんか知りたくなかったとか、けちょんけちょんに叩かれるかもしれない。

 ほかのクリエイターからだって反感を買うかもしれない。どうして読者に夢を見させる手法をバラすんだと。道成階がやっていることは着ぐるみショーで着ぐるみを脱がすことに等しいと。

 ダメだ……ダメダメだ。やっちゃダメだ。

「創作」部分の書き込みはごまかすしかない。

 ストーリーが重すぎないように曖昧にして、ラブコメの技法も隠して、とにかく上手に上手にごまかして……。


 ――ごまかしていいのか、本当に?


 美空の恋心も苦悩も真正面から細部まで丁寧に書き込もうと努めてんのに、創作部分だけごまかしたらバランスが取れなくなるぞ。解像度が高い部分と低い部分があるおかしな写真のような作品になる。


 そうやってごまかしたものを読み手に読ませるのか。

 そういう不誠実さこそが読み手を欺くってことじゃないのか。


 ――やっちゃいけないことなんて本当はないでしょ。恋愛だって創作だって。心のままにやりなよ。自由なんだから。


 そうだ。丹羽田の言う通り「やっていい」「やっちゃいけない」じゃない。

 俺自身が抱える命題とちゃんと「向き合って表現しているか」「向き合って表現していないか」だ。

 だからといって当然読み手の楽しみを無視するわけじゃない。前回ラブコメ執筆で学んだ経験を無駄にするつもりもない。ヒロインとのラブコメ描写は七割にして本文の大部分を占めるようにする。

 でも三割は、その三割は……。


 ――自分の趣味で書いた小説がまさかアニメになると思っていませんでした。夢のある業界ですね!


 すげえな、阿藤天は。

 つくづく思うよ。趣味で書いてアニメ化とか、なんだよそれ、いちいち発言がカッコよすぎるって。


 俺はさぁ、阿藤天みたいになれねーわ。


 だって創作で悩むことばっかだし。

 才能やセンスに恵まれたわけじゃないし。

 書いても書いても報われなくてずっと負けっぱなしだったし。


 だから、俺が文にするならそういうことだろ。


 苦しさも、悔しさも、敗北も、全部俺の持ち物だから。その全部を余すことなく使って全身全霊の表現をしていくんだろ。

 阿藤天が大鷲のように美しく天高く飛ぶなら、俺は地べた這いずりながら泥道をボロボロになって一歩一歩進んでいってやる。

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