2章③ ラブコメヒロインを考える
「じ、実は――風呂に入ってないんだっ、二日も!」
言って、かぁぁっと俺は赤面してうつむく。
「ヒロイン設定に没頭しすぎて風呂入る暇すらなくて、そもそもうちのボロアパート風呂なしで、だから、その、頭洗ってないし髪も汚いと思うからひざ枕するのは悪いと思って! ほ、本当は今日美空と会うのも断ったほうがいいかと思ったけど……でも」
「でも?」
「いの一番に設定を見てもらいたかったんだ。俺のラブコメヒロインになってくれる、美空に」
「――――っ!!」
ぱぁぁっとミソラの笑顔が満開に咲いた、その瞬間。
一気に二人の距離が埋まる。颯爽と肉薄してきたのだ。そのまま両手を伸ばして俺の側頭部をそっと包み込むように支え、目と目を合わせた。
「作業がんばったんだねっ、おつかれさま!」
視界一面が美空の柔和な笑顔で埋まり、そのまま俺の頭は下ろされてスカートの上に寝かされる。後頭部に信じられないほど柔らかな感触が広がった。普段ペラペラの安い枕で寝ているせいか未知の柔らかさに頭がびっくりする。
片側に流れた髪先からトリートメントの花の香りが垂れ込めてきて、視線をそちらに向けると、セーラー服越しに主張している胸の膨らみと、その先に母性的な柔和な微笑みを浮かべる美空のアングルが広がる。
「あ、頭洗ってないから汚いぞ!」
「作業をがんばった証だね! えらいえらいっ」
「に、臭うだろ。体も洗ってないんだぞ!」
「だれよりも汗掻いて努力したんだね。かっこいいぞ!」
「な、なんなら……パンツ二日替えてないぞ! 裏表ひっくり返しただけだぞ! やばいだろ!」
「私に魅力的なヒロイン役を用意してくれようと一生懸命だったんでしょ。むしろパンツを二日替えてくれなくて嬉しい!」
ことごとく肯定してくる! なんだこの全肯定ひざ枕は!
「いっぱいいっぱーいがんばったんだね。これからもずっと応援してあげるね。君の隣で」
「~~~~っっ」
のどの奥がくすぐったくなって声が出せない。
演技だ。
嘘の言葉だ。
美空ではなくミソラの発言だ。
さっきからずっとそう言い聞かせてきた。なのに。それなのに……。
ミソラが白く綺麗な指で俺の髪を優しく撫で、嫌な顔するどころかむしろ愛おしそうに目を細める。
嘘か真か。
ミソラなのか美空なのか。
だんだんとその境目が曖昧になって――。
刹那、頭部を支えていた太ももの感触が、ふっ、と消失した。
あれ、と疑問を抱く間もなかった。
すこっーん、とだるま落としで積み木が弾かれる小気味良い音とともに、俺は盛大に後頭部を畳に打ちつけていた。
「~~~~ッッ!」
鈍痛が口から漏れる。
「いつまでやるつもりですか。もう十分ですよね」
ミソラ……いや、疎遠美空が隣ですくっと立ち上がった。
「どうです。ヒロインについてなにか摑めました?」
後頭部をさする。夢から覚めた心地だ。頭を切り替える。そうだった。本来はそういう話だった。
「あーと、包容力のあるヒロインは、いいと思う。さっき美空が演じてくれた感じをベースに改めてヒロイン設定を考えてみたい」
「これでひとつ進みましたね。次の段取りは?」
言いながら美空が俺に背を向け、一つ結びのヘアゴムを解いて髪型を戻す。
「ヒロインの設定を固めたら……ストーリー展開を練る感じかな。序盤のプロット、主人公とヒロインの出会いを考えていくみたいな」
「それなら数冊ほどラブコメ作品を貸してもらえますか。私もいまウケてるラブコメヒロインや出会いのシチュエーションなど勉強しておきたいので」
「そこに積んであるやつを持ってってくれ。全部ラブコメラノベだから」
「では遠慮なく」
美空がちゃきちゃきと会話を進め、ラブコメラノベのタイトルを特に吟味もせずスクールカバンに大雑把に入れていく。
「それでは今日はこのへんで失礼します」
「え、帰る?」
急だった。こちらに背を向けたまま表情を見せず、そそくさと逃げ去るようにだった。
「ま、待ってくれ、美空!」
俺は慌てて呼び止め、デスクの引き出しから合鍵を手にする。
「本当は……本当は今日、ラブコメ制作の協力を断ったほうがいいんじゃないかって迷ってたんだ。美空から提案してくれたこととはいえ、いまさら美空に甘えていいのかなって」
けど、と逆説で続ける。
「実際に美空と《ラブコメタイム》をやって、新鮮だったていうか、これまでとは違うヒロインが作れそうな予感があるっていうか、だから、その、助かったんだ。力を貸してくれて」
「私が、力……」
美空が背中で言葉を受けて、ぽつりと呟く。
「ラブコメは……やっぱり向いてないなっていまも思うよ。思うけど、向いてないからって挑戦しないとか、『俺』がない自分の空っぽさと向き合わないとか、そういうのも違うなって、美空とやり取りしなきゃ気づけなかった。……それでこれ、合鍵なんだけど」
「合鍵?」
「その合鍵を使っていつでも気軽にうちに来てくれ。読みたい本があったら自由に借りに来ていいし、部活帰りにふらっと立ち寄ってくれてもいいから。それで……」
そこで一瞬迷った。これ以上踏み込んでいいのか。
「それで、前みたいにやれたらなって。俺が演劇部の助っ人として一緒に脚本を作っていたあの頃にみたいに」
結局、踏み込むように言っていた。
フッたフラれた関係を維持したまま、というのが美空が提案した協力条件。
邪な気持ちで合鍵を渡すならアウトだけど、ラブコメ制作のためというなら抵触はしてない……よな。
「もちろん、無理強いはしない。そもそもこのラブコメパートナー関係は俺にだけメリットがある。でも美空にとっては労力がかかるだけでデメリットしかない。だから嫌なら断ってくれ。合鍵受け取ってまで付き合ってもらうメリットは……」
「ありますよ、メリット」
「え」
「道成さんの隣にいられることです」
ドクンと心臓が高鳴った。
俺の隣。
それって、さっき演じたラブコメヒロインの台詞と一緒で、つまり……。
「――隣にいればリベンジできるからです」
振り向いた美空の表情は、相変わらずツンと澄ましていた。
「り、リベンジ?」
「私、結構魅力的な女の子だと思うんですよ。明るい笑顔も浮かべられますし、道成さんに対しては素っ気ないですがクラスメイトには親しみやすさがありますしね。割とモテるんですよ」
「お、おう……」
「で、そんな私を道成さんはあっさりとフッた。それがもう悔しくて悔しくて。ですので、道成さんの隣にいて、道成さんが好きになっちゃうほどときめかせて、そしたら今度は私の側からフってやろうという腹積もりです。それがリベンジです」
「な、なんてまどろっこしいリベンジを……! お前そんなこと考えてたのか!?」
「というわけで、メリットはあるのでお気遣いなく。では、合鍵いただいてきますので」
美空が合鍵を受け取って部屋から出てき、バタン、と玄関扉が閉まる。
部屋にひとりとなった俺はその場でうずくまり、髪をくしゃくしゃに掻いて盛大なため息を吐いた。
「はああぁぁ~~~。リベンジかああぁぁ~~~」
そう簡単に距離なんか埋まらない。
俺たちのフッたフラれた関係ってのはどうやらそういうことらしい。
「全肯定ひざ枕の破壊力、やばかったな……。リベンジってなら、もう割と成功してるけどな……」
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