2章② ラブコメヒロインを考える
「作者の理想のヒロインを、作品のヒロインにする」
「作者の理想……つまり、道成さんが好きなタイプってことですか?」
「まあそういうことになるかな。属性とか、性格とか、髪型とか、スリーサイズとか、あとフェチズムとか? そういう好きを詰め込めんだヒロインを作成してみたらって――」
「そのやり方で進めましょう」
美空が即答した。俺の声に自分の声を被せる勢いで。
「決まりです。さっそく道成さんが好きなタイプを教えてください」
さっ、とカバンから携帯を取り出してメモアプリを開く、どうぞ、とインタビュアーのような好奇に満ちた目を向けられる。
「いま話せって? 美空の前で?」
「はい、属性、性格、髪型、スリーサイズ、あとフェチズムも」
「いやいやフェチズムもって、女の子を前に性癖語るってさすがにそれは……。てかそもそもその作り方あんまり有効だと思ってないんだよ俺。なんか作者の我が強すぎて読者を置いてきぼりにしちゃうんじゃないかっていう不安が……」
「ぐじぐじとやかましいですね」
「や、やかま……!」
「私に引かれることを心配してるなら気にしないでください。というかいまさらでしょう。ほかの女の子ならともかく、私をすでにフッた女なんですから問題ないでしょう」
「それは……」
逆なんだよな。
ほかの女の子ならむしろいいんだよ。美空だから問題なんだ。
「叶えたいんですよね、作家デビュー。でしたらほら、思う存分好きなタイプを語ってください。たとえドン引きするような変態性癖クソ野郎だとしても冷たく睨むだけにしときますから」
それが困るんだよ。
「それとも、道成さんには好きなものとか愛してるものとかないんですか?」
――道成くんってさあ、この世界のなにを愛してるの?
不意に、美空の台詞がチャラ担の台詞と重なって聞こえた。
「……わかった。ああわかったよ。ただ、あくまで二次元的な好きなヒロイン像だからな。リアルで好きなタイプとは必ずしも一致してないからな。そこはちゃんと分けて聞いてくれよ」
「わかりました。では、まずは好みの身長から聞かせてください」
「身長か……そうだな……別にあまり意識しないというか、高くても低くてもなんでも」
「髪型は?」
「髪型についても……ううんと……特にこだわりはないから、別になんでも」
「ちょっと、なんでもとかこだわりがないとか曖昧な答えばかりじゃないですか。そんな回答じゃラブコメヒロインの設定がまとまりませんよ」
「うっ。じゃあ、ええっと……」
俺の好き……愛……。
あれ?
出てこなくね?
これまでどういうレーベルがどういう作風を求めているかとか、過去に流行ったジャンル傾向から選考員になにが刺さりそうかとか、そういった分析と研究を重ねて最短で作家になるコースを意識するばかりだった。
だから好きとか愛しているとか、そういった自分に問いかけて作品を創っていくような考え方はしてこなかった。
どうなれば小説家になれるか、そういう方法論ばかり追い求めてきた。
物書きとして自分はなにを表現するか、そういう自己本質論を考えてこなかった。
俺って……『俺』がないのか?
「いつまで黙り込んでいるんですか。まさか二次元とリアルは別とか予防線張っておきながらまだ照れ隠ししてるんですか」
「べ、別に照れ隠ししてるわけじゃなくて……だったら、そうだ」
こういうときは参考例を利用しようと、俺はそばにあったラブコメラノベを数冊手にする。表紙のヒロインを見比べながらビビッときた髪型を探っていく。
「これ、これだ。この『突如現れた美少女、一七歳に若返った母親と気づかず俺はラブコメしてしまう』のヒロインの髪型とかいいなって思うぞ」
「えげつないタイトルですね……昨今は母親ともラブコメするんです? イカレてません?」
「内容そのものは結構真面目だぞ。ラブコメテイストで読みやすくしてるが、肉親との恋愛という命題に切り込んでて……って、内容はいまはよくて。髪型の話に戻すとだな、この表紙の母親ヒロインの髪型がいいなって。髪をゴムで結んで片側の肩に流すやつ……ってなんて言うんだっけ?」
「サイドテール……」美空が携帯で名称を調べる。「いえ、ルーズサイドテール、ですかね」
「それだ。ルーズサイドテールがいいなって」
「なるほど。穏やかさや包容力が感じられる母性的な髪型ですね。つまり道成さんは母性的な女の子が好きと……メモメモ」
「髪型だけでそこまでプロファイリングされんの?」
「次は好きな性格を」
「性格、性格は……」
「穏やかで包容力があって母性的な女の子ですね……メモメモ」
「髪型のプロファイリングが強すぎる! まだ答えてないだろ!」
「いえいえ、道成さんの顔にそう書いてありますよ」
「え? 嘘?」ついぺたぺたと顔を触って確かめてしまう。「い、いやっ、そんなわけあるか!」
「はい動揺。はい図星を突かれた」
「こ、こいつ……っ」
「はいはい照れない照れない。次いきますよ。次はそうですね、どんなことしてくれるヒロインがお好きですか? 言い方を変えれば、ヒロインになにをされたいかという願望ですね」
「願望……願望……ううむ……」
「言いにくいんですか。まさか女の子を前に言うのも恥ずかしい変態的なことを考えてるんですか。冷たく睨みます」
「睨むな。言いにくいんじゃなくて、なんていうか、作家としてはつまらない回答かなって」
「つまらない?」
「俺はただ、女の子に優しくしてもらえたらそれでもう十分だなって。優しくしてもらえた記憶とかないからさ」
「なるほど。優しくされたいと。なるほどなるほど。穏やかで、包容力があって、母性的な人が好きで、胸がある人に優しくされたいと」
「なんだ胸って。また勝手に俺の趣向を増すな」
「願望は? と問いかけたときに私の胸をちらりと見たので。いやらし」
「み、みみ、見てねえよよよ!」
「はい動揺。はい図星」
「……………………」
「今度は沈黙して動揺を悟らせない作戦に出たつもりですか。無意味です。沈黙は肯定と受け取らせてもらうので」
「どうあがいても無駄じゃねえか!」
ああもういいっ、と俺は顔の前で手を振る。
「終わりだ終わり! 俺のことを根掘り葉掘り掘り下げたからって人気ラブコメヒロインなんてできっこねえよ。やめやめ! 中止中止!」
ただでさえ微妙な関係だってのに、これ以上こんな話が続いたら余計に気まずくなる。
「わかりました。もういいです」
美空が抑揚のない声で携帯をスクールカバンにしまう。
あーあ。呆れて荷物をまとめて帰る気だ。「理想の女の子に対する妄想が過ぎてついていけないので帰ります。さようなら」とか別れ切り出されんのかな。
「では、さっそくはじめましょう」
「ああ、帰っても仕方な……え、はじめる?」
美空の次の行動は俺の予想とは真逆だった。カバンの中からヘアゴムを取り出し、口に咥え、両手を後ろに回して髪を一括りにまとめると、白い鎖骨にかかるようにさらりと左肩に流す。
目を見張った。ルーズサイドテール――。
さらに美空はしなを作るように横座りをし、水を弾くような素足をのぞかせる。そしてスカートに隠れた太もも部分をぽんぽんと二度叩き、その手を俺に向かって大きく広げて笑顔を咲かせた。
「――さ、こっちにおいでっ」
優しさを湛えた瞳。すべてを包み込むような声色。
一瞬別人かと思って目をしばたたかせた。
こっちにおいで?
「ここだよ、ここ。わたしの太ももの上、君の頭をのせて」
再び美空がぽんぽんと太ももを叩く。
そこで稲妻に撃たれたように理解した。
「ひ、ひひひひひひひざ枕!?」
こうかはばつぐんだ! とばかりに言語中枢が崩壊した。
さあおいでと抱擁の構えに心臓がバクバク音を立てる。ひざ枕? 美空のひざ枕? マジか。マジなのか。夢じゃなくて?
やばい。
美空に聞こえそうなほど暴れてる。
いまにも心臓がのどから飛び出そう。
顔から火が噴きそうだ。
やばい。やばい。やばい――。
「――ただの演技ですよ」
と、抑揚のない声。
まばたきした直後、いままで見てきた笑顔が消え失せ無表情となり、口調は疎遠状態の素っ気ない感じに戻っていた。
「《ラブコメタイム》ですよ。道成さんから聞いた好きなヒロイン像を私なりに解釈して即興で演じてみたんです。面倒くさいのでいちいち動揺しないでくれます」
「あ、ああ……《ラブコメタイム》か。いやでも、演技とはいえさすがにひざ枕は……」
「横座りは長時間やると姿勢が悪くなるのでとっととしてください」
ぶすっと不機嫌面で叱られ、だが次の瞬間、ぱっと向日葵のような微笑みを浮かべる。
「さっ、いいよ! こっちにおいでっ」
――だれだよお前……。
あまりの早変わりに脳がバグりそうになる。
ついつい気持ちが浮つきそうになるが……これは演技だ。
《非ラブコメタイム》の疎遠な美空。
《ラブコメタイム》のデレる美空。
これからはその二つを便宜的に分けて前者を「疎遠美空」と、後者を「ミソラ」とすべきか。
「ま、待ってくれよ美……ミソラ。急にひざ枕と言われても、その、問題があってだな……」
「ん? 問題?」
ミソラが小首を傾げる。小動物みたいでいちいち動作が可愛い。
「照れて恥ずかしいのかな? だれも見てないからへーきだよっ。へーき」
「照れとかの問題じゃなくて、いやまあそれもなくはないけど、いま俺と直接触れるのはやめたほういいというか、清潔なスカートの上に俺の頭をのせるのはまずいというか……」
「どういうことかな?」
「そ、それは……」
い、言いづれー。
いまの自分の状態を口にすればただでさえ底辺の好感度が奈落までブチ下がる。てか女の子相手に失礼な部類に値する。
しかしこのままだと永遠に《ラブコメタイム》が終わる気配がない。ん? ん? とミソラが首を左右に傾げなら俺の言葉を待ち続けている。
ええいもうっ、と高台から飛び込む気持ちで俺は白状した。
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