2章① ラブコメヒロインを考える


 ――全部夢だったんじゃね?


 昨晩のファミレスでの『美空ラブコメヒロイン化』は、ボツを食らった俺が現実逃避するために見た都合のいい夢だったのでは?

 そう疑ってしまうほどにメイド美空は衝撃的だった。

 目すら合わせてくれなかった美空がデレた声で「ご主人様ご主人様っ」なんてポッキーを食べさせてくれるなんて……。


 ――はい、演技終わりです。


 いや、あれは夢じゃなくて演技だ。

 親しみやすい口調やあざとい振る舞いはキャラを身に纏った嘘だ。

 だから美空に好意を持たれてるなんて勘違いしちゃいけないし、うっかり変な気を起こすなんてもってのほかだ。


「協力……断るべき、だよな」


 創作を取って、美空を取らなかった。

 創作で結果を出せず、美空に応えてやれなかった。

 申し訳なくて、情けなくて、いまさらラブコメ作りに協力してもらおうなんて虫のいい話で、だから……。


 ――だから、ボツになったのか?


 断るべきという思考の一方で、正反対の思考もまた立ち上がる。

 美空をフッて小説に専念して、そして失敗した。

 それなのにまた俺は従来通りの考え方や制作方法で戦うのか?

 企画を考え直し、プロットを練り上げ、原稿を執筆し、そんな俺の「内側」だけで作っても同じ轍を踏む危険性があるんじゃないのか?

 やり方をどうこう「改善」するのではなく、これまでとはまったく違うやり方を試す「革新」こそが必要なんじゃないか?

 つまり、自分の「内側」だけではなく「外側」にあるものを取り入れてまだ試してない可能性に踏み出すこと。

 そして「外側」とは、今回で言えば――。


 コンコン。


 突然、木製の薄い玄関扉がノックされた。「来た!?」と俺は思考を中断して振り向き、慌てて玄関扉を開ける。

 燃え立つ夕日を背景に、紫陽花(あじさい)色の薄青を基調としたセーラー服姿の美空が佇んでいた。やはり綺麗に伸びた背筋は凛と美しい。


「やっぱりあの晩は、夢じゃなかった……」

「はい? なに寝ぼけてるんですか。もう夕方ですよ。とっとと目を覚ましてください」

「キツめの口調も、夢じゃなかった……」

「さっきからなにブツブツ言ってるんですか。ヒロイン設定ができたとメッセージをもらったので道成さんのお宅まで来たんですけど、私」

「あ、いや、すまん。まさか今日メッセージ送って今日来るとは想像してなくて。だってこないだまで返事なんてちっとも――」

「睡眠、ちゃんと取れてます?」


 俺の話を無視して、美空が顔をのぞき込んでくる。

 黒真珠のような蠱惑的な瞳が間近に迫り、胸がドキッとして反射的に顔を引く。


「あ、ああ……寝てる寝てる」

「本当に?」


 本当はヒロイン設定で悩みまくったせいできのうからほぼ寝てない。


「ま、いいです。お邪魔させてもらいます。……しかし相変わらず本が散らかってますね、この部屋」


 美空が靴を脱いで部屋に上がる。

 男の部屋でも気後れしないのは今日がはじめての来訪じゃないからだろう。俺が演劇部の助っ人をやっていたとき、一緒にパソコンに映る脚本を見ながら台詞はこうだ演出はああだとよく話し合った。


「では、ここで話を聞きます」


 美空が部屋の四隅にスクールカバンを下ろす。一緒にパソコンを見ていた位置からもっとも離れた場所。


「あのー、距離が開いてて話し合いにくいんだが?」

「私は特に問題ないです」


 わざと俺との距離を取ったな。

 フッたフラれた距離感もまた夢じゃないってわけか。

 この疎遠美空が素で、メイド美空は演技なんだよな。つい勘違いしそうになるな。


「それで、本題のヒロイン設定のほうは?」

「ええっと、一応用意できてる。ここに」


 背の低いパソコンデスクの上、アイデアを書き込んだノートが重ねて置いてあった。その冊数、一〇冊以上。


「もしかして、それ、全部ですか……?」


 積み重なったノートの厚さに美空が目を剥く。


「そんなにもヒロイン設定を考えて……」

「逆」

「え、逆?」

「ろくに思いつかなかったんだよ、こんだけ考えても」


 俺はノートを手にしてぱらぱらとめくり、夜通し考えたラブコメヒロイン案を流し見する。


「考えても考えてもピンとこなくてさ。難しいなラブコメヒロインって。マジでラブコメやめたほうがいいんじゃないかってまで思い詰めた」


 どさっ、と俺は手に持ったノートをゴミ箱に放り捨て、そして残りのノートも次々と捨てる。

 どさっ、どさっ。その重々しい響きが続き、なぜか美空の面持ちが硬く緊張していった。


「どうした美空、黙り込んで」

「あ、いえ……。ヒロイン設定、せっかく考えたのに全部使えないんですか?」

「いや、ちょっとは可能性がありそうなものはピックアップして別のノートに書き写しておいた。ええっと……これだ」


 美空にノートを差し出そうとして、だが、途中で手が止まった。


「道成さん?」

「あ、いや……確認してくれ」


 結局、ノートを渡す。

 ラブコメの協力を断るべきと思ってたくせに……なんだかんだ甘えてんな、俺は。


「拝見します」


 ノートに書かれたヒロイン設定――【姓名】【年齢】【性別】【生年月日】【正座】【血液型】【出身地】【身長】【体重】【利き腕】【声の特徴】【口調】【手術経験】【前科】【学歴】【恐怖】【家族構成】【特技】【趣味】【資格】など。


 これがキャラクターを作成する手法のひとつ、キャラクターシート。

【姓名】はもちろん【手術経験】まで事細かに項目を埋めればキャラクターが個性付けされる。ってのがハウツー本に載ってた理屈で、俺が参考にしてきたキャラの作り方。


「……なるほど。設定、頭に入りました」

「早いな。さすがだな演劇部」

「道成さんとのやりとりはこれがはじめてってわけでもないので」

「いくつかヒロイン案を載せてるが、どのヒロインからいく?」

「まずはこの幼なじみ委員長ヒロインから演じてみます」

「設定に【台詞】も書き足してあるから、その【台詞】通りに演じてくれ」

「わかりました。さっそくはじめましょう、《ラブコメタイム》を」

「(仮)が取れたな。マジでその名称でいくんだな」


 そして《ラブコメタイム》がはじまった。


 朝起こしにくる幼なじみ委員長ヒロインからはじまり、ほかにもいくつかヒロイン案を設定通りに演じていく美空。

 だが。


 ――あれ、なんだろう……。どのヒロインもしっくりこないな。


 なんでだ。事細かに設定を決めてキャラクターを掘り下げているのに。

 これならきのうの《ラブコメタイム》で美空が即興で演じたメイドのほうがずっとドキドキした。

 美空の演技が悪い……んじゃなくて、これ、俺の設定が微妙なのか?


 そこで一度ラブコメタイムを中断する。


「私の演技、微妙でした?」


 美空もしっくりきてないようだった。


「いや、美空の演技が微妙ってわけじゃない」

「遠慮は無用です。微妙なら正直に言ってください」

「だから微妙じゃないって。だってもし美空の演技が微妙ならきのう俺はあんなにド……」

「ド? なんです? なにが言いたいんです?」

「な、なんでもない。てか、いきなり顔が近いぞ。さっきあんな離れてたのに」

「ド? ド?」

「だからなんでもないって! しつこいぞ!」


 ドキドキした。実はきのうファミレスから家に帰ってからもずっとドキドキしっぱなしだった――なんて言えるわけない。

 なに勘違いしてるんですか気持ち悪い、なんて美空に蔑まれるかもしれないからな。


「とにかくだ。俺が考えた設定に美空を従わせすぎてて《ラブコメタイム》の魅力を損ねっているっていうか、予定調和っていうか……従来のキャラの作り方じゃダメなんだろうな」

「従来通りのヒロイン作成×《ラブコメタイム》、その掛け合わせの相性が悪いと?」

「特殊な方法を試している以上、まずラブコメの作り方自体を一から創っていかなきゃいけないかもな」

「『作品を創る』前に、『作品の作り方を創る』ってことです?」

「そういうことになる、かな。ラブコメなんて俺にとっても未知の領域で、『作品の作り方を創る』ところから試行錯誤しなきゃいけないかもな」

「具体的なアイデアはなにかあります?」

「そうだな……逆に、ヒロイン設定なしとか?」

「ヒロイン設定なし?」

「【利き腕】とか【前科】とかそういう細かいこと一切取っ払って《ラブコメタイム》をやってみるとか」

「設定がまったくないと演じる側の私が困りますが」

「もちろん最低限の設定は決めておく。その上で、メイドの《ラブコメタイム》みたいな感じでやれたらなって。あのとき俺にはハプニング的な驚きと面白さがあって、なにより美空の演じた親しみやすいタイプのメイドヒロインが新鮮だったんだよ。もし俺がメイドの設定を考えるならテンプレ的なかしこまったタイプになっちゃうと思うんだ。つまりさ、俺が自分の頭の中だけで考えた設定だから、当然、自分の頭の中以上のものは出てこない。だから俺が考えるヒロインの設定は最低限で、後は美空の頭の中にあるものを出してもらおうと。そうやって自分以外の『外側』も取り込んでみたら、面白くなるかもって」

「私がある程度自由に演じていいんですか?」

「そうだな。【台詞】とかも美空の好きにやっていい」

「なるほど。即興劇(エチュード)の要領ですね」


 即興劇。台本なしの演技手法。

 どんな言葉が出てくるか予測不能。だから俺ひとりでは体験ができない未知の領域に行けるかもしれない。


「ただ、最低限とはいえヒロイン設定は俺が考えなくちゃいけないわけで、結局設定どうすんのって問題に戻るけどな。はあ、どうしたもんかな……」

「行き詰まったときって担当編集さんに相談してアイデアとかもらったりしないんですか?」

「あー、担当なぁー。原稿をボツにした担当なあー。拾い上げ作家より受賞作家を優先する担当なああ。なぜかラブコメを書けって無茶振りした担当なあああぁぁ!」

「落ち着いてください。恨み節になってますよ」

「あ、すまん、いろいろあってつい……担当はアイデアくれないよ。アイデアの良し悪しを判断してくれるけどな。まあ編集者もいろいろだからあくまで俺の担当はって話な。てか、編集ってめっちゃ多忙だから時間取ってくれないんだよ。作家からすれば担当は基本ひとりだけど、担当からすれば複数の作家を抱えてるからどうしたって作家ごとに優先順位ができる。拾い上げの俺なんか『ま、後回しでいいやー』って気配プンプンするからな。原稿の返事とか二ヶ月後とかあるからな。助けて担当ーなんて気軽に言える立場じゃないんだよなああ。でも売れてる作家には即レス神対応って聞くしなあああぁぁ!」

「だから落ち着いてくださいって。ヒロインの作り方とかそういうアドバイスもまったくしてくれないんですか?」

「一応、前にアドバイスを受けたことはあるにはある。いま思えばベタな作り方だったけどな」

「その作り方とは?」

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