1.5章 美空視点
逃げるような早足でファミレスを出ると、緊張が解けて肩の力が抜ける。
丈の短いフリルスカートをつまみ上げ、改めてメイド衣装を纏っている自分の姿に頬が赤らんでいく。
「ご主人様ご主人様ーって、人目があるのにやりすぎちゃったかな……」
舞台を終えた役者のようにひとり反省を呟く。
「メイド姿であんなにベタベタしてるところをもし学校の知り合いに目撃されてたらやばかったよね……ああもうっ、思い立ったら後先考えずにやっちゃって後悔するところあるぞ、私っ」
メイド姿でイチャついてる姿を思い返すと耳たぶまで赤くなってきた。両手をうちわにして火照った顔をパタパタと扇ぐ。
これが私だ。仮面を外した素の私だ。
「でも、でもっ、フラれてから一年ずっと大人しいままだったら彼とああして話せなかったわけだし、だからオッケー、結果オーライっ」
自分自身に言い聞かせるようにしてぐっと拳を握る。
「階くんの力になれるなら。好きな人の力になれるなら」
そこで一度振り返り、春の夜に輝くファミレスの電光看板を見やる。
――このファミレスだったな、階くんを好きになったのは。
出会いのきっかけは高一の夏休み。部長が脚本の助っ人として彼を連れてきたのだ。
うちの演劇部はいわゆる普通の部活だ。全国大会出場の横断幕を張るような実績はなく、プロの役者を輩出したという話も聞かない。
もちろん公演となれば部員たちは一丸となって稽古に励むけど、大会で結果を残そうというほどの熱気はない。部活後にはカラオケではしゃいだり焼肉食べ放題行ったりと適度な緩さもある。
「真剣」だけど「本気」とまではいかない。
そんな部の雰囲気が私の性に合っていた。演技は好きだけどプロを目指すほどではない性に。
だからプロの小説家を目指してる人ってどんな感じなのかちょっとだけ興味があった。
――うわ、地味で不健康そうな人きたなー。
それが彼の第一印象。髪は癖毛でパサついてるし、寝不足なのかまぶたは重そうだし、なにより猫背で姿勢がひどく悪い。
その日、ファミレスで脚本の打ち合わせをすることになった。
口数少なく大人しい彼だったが、いざ脚本の話になるとよく喋った。あれこれ次から次へと部長にアイデアを出し、私たちほかの部員にも意見を求めて知識や知見を吸収しようとしていた。
――コミュ力がないのか、あるのか……いや、単に創作に勉強熱心ってだけか。
三時間も意見交換するとさすがに部員たちは疲れてきて話し合いは行き詰まり、そこで部長が気分転換にみんなでカラオケに行こうという流れになった。
「あーすいません。俺、もうちょっとアイデア考えていくんで」
部員たちがカラオケに浮かれる中、彼はひとりシャーペンの尻で額を叩きながらルーズリーフと睨めっこしていた。
もっといいアイデアがないか探っている顔つき。
――見た目は地味だけど心はアツいのかな。プロ目指す人はやっぱ違うなー。
私はみんなと一緒になってカラオケに行った。超盛り上がった。
翌朝、部活に向かう道すがら例のファミレスが視界に入った。
そういえば、と彼のことが気になった。
――彼、結局カラオケに来なかったな。夜遅くまでアイデア出しして、合流しても間に合わないからそのまま帰宅しちゃったんだろうな。
そんなことを思いながらファミレスを横切ろうとしたとき、両足が止まった。
びっくりした。
ファミレスの窓ガラス越しに彼を見た。
目を疑った。
見間違いかと思った。
まぶたを擦って見直す。やっぱり彼だ。
シャーペンの尻で額を叩いて考え込む仕草は間違いなく彼だ。
またアイデアを考えに朝からファミレスに来たのかな?
でも、席も服装もきのうと同じままだ。
まさか夜通し作業していた?
うそ。そんなまさか……。
慌てて入店して彼の席まで駆けつけ、さらに驚きが重なった。テーブルの上に何十枚と燦爛したルーズリーフ、その一枚一枚にびっしりとアイデアが書き込まれている。そして多くの中から一枚を彼は手にし、アイデアを査定するように目を細めて読み込んでいる。
「ちょっと」
声をかける。だが振り向かない。ものすごい集中力。
「ちょっと君!」
声高に呼んで、ようやく彼が振り向いた。
私に驚いたように二度三度とまばたきを繰り返し、それから窓の外を見て朝だと気づいた様子で、そして再び私のほうに顔を向けた。
徹夜のせいで濃くなった目の下の影。
「やっと面白いアイデアが思いついたんだ。聞いてくんない?」
でも、心地よい疲労感のような晴れやかな表情。
「体育教師のゴリ先いるじゃん。ほら、脳まで筋肉でできてそうなマッチョゴリラ教師。そのゴリ先に頼んで劇の途中でサプライズ登場してもらうんだよ。女装で。ウケるよな、それ。ゴリ先のオネエ口調想像したら笑えないか?」
彼はイタズラ好きの子どものように笑い、一方で私は愕然としていた。
これ、文化祭だよ。
言っちゃえば、高校生が身内で盛り上がる学校内のお祭だよ。
経済が絡んだプロの世界とは違うのに……それでも本気で観てくれるお客さんを喜ばそうとしているの?
夜遅くまで考えていた、んじゃなかった。
夜通し考え込んでいた、いまのいままでずっと。
圧倒されるように思い知った。本当の意味でプロを目指す彼の本気を。
作家と役者。小説と演劇では関わる人も扱う道具もまったく異なるけど、表現行為という点まで還していけば私と彼は同じだ。同じ表現の世界に立っている。
でも、私は「真剣」だけど「本気」じゃない。
彼は「真剣」で「本気」だ。
同じ表現の世界にいるのにこんなにも違う。
彼は私なんかとは「違う人」。
そう悟った瞬間だった。ほんの一瞬、彼が見ている光景がイメージできた。
山だ。
旅人を引き返させようと冷たい風が吹き下ろし、ごつごつした岩だけが広がる険しい山。岩肌にあちこちに転がった屍は頭頂を目指して敗北した挑戦者たちだ。まさに死屍累々。その過酷な旅路を、彼もまた挑戦者のひとりとして旗を担ぎ、その旗を山頂に突き立てようとひとり往く。屍になることも厭わずに。
圧倒されるほどの彼の孤独な戦いに胸がぎゅっと締め付けられるほど切なくなって、それと同時に、ほっとけないような愛おしさに胸がいっぱいになった。
恋に落ちた。彼に、階くんに。
だから、告白した。
後先なんて考えていなかった。告白に失敗したらどうなるか想像してなかった。「付き合いたい」と思った瞬間、「付き合ってよ」と口から出ていた。
そして、フラれた。
案の定、告白を境にこれまで通りの友達関係でいづらくなった。
私は私で好きという感情が知られてしまった気恥ずかしさがあって、彼は彼でフッてしまってことに申し訳なさそうで、お互いに変に意識してぎくしゃくした。
フラれたのは悲しい。
けどそれ以上に、私が告白したせいで彼が執筆に集中できず悪影響を及ぼしているとしたらそれはめちゃくちゃ辛い。
彼の彼女になれなくても、彼には成功してほしい。
私の存在が創作の邪魔をしているなら、いっそみずから距離を取ったほうがいい。彼がフッた罪悪感で胸が痛むなら、むしろ私を嫌いになるぐらいの態度を取ったほういい。
だから名前から名字で呼んだ。
だから以前は即レスだったメッセージも返さなくなった。
だから学校の廊下ですれ違っても挨拶せず無視した。
そのことごとくが、本当は、本当は心苦しかった。
邪魔しちゃいけない。嫌われてフッた罪悪感が薄まるならそれでいい。全部彼の創作のため――ベッドの中でうずくまって胸を掻き毟りながら自分にそう言い聞かせた。何日も、何週も、何ヶ月も。
でも、一年経ってとうとう耐え切れなくなった。
今日、学校の廊下で彼とすれ違って目を逸らした瞬間、彼の切なげな横顔に胸が押し潰されそうになった。
私のやってることは本当に彼のためになっているのだろうか……。
――一年後さ……。
ふと、彼が私をフッたとき、なにか言おうとして結局言わなかったその台詞を思い出す。
まさに今日、四月一〇日はフラれてちょうど一年。
一年経って、彼はなにを言おうとしたんだろ……。
彼は、彼は……。
次の瞬間、感情が弾けるように部室のロッカーから飛び出していた。
「美空先輩ーちょっと聞きたいことが……って、どこ行くんですか美空!? え、え、ちょ、メイド衣装のまま一体どこにぃぃぃ!?」
彼はなにを言おうとしていたかはわからない。
彼に会って聞いたところで一年前の言葉なんて憶えているかもわからない。
じゃあいまこうして走っているのは……ああ、そうだ。別にその答えを聞きたいわけじゃない。ただのきっかけ。彼に会うための口実にその台詞を使ってるだけ。
動き出した体と心。後輩の呼び止めは耳に入らず、服装すらも気にせず、呼吸も忘れ、無我夢中で走った。
そして、一年ぶりに彼と向き合った。
うな垂れていまにも原稿をゴミ箱に捨てそうな彼の姿を見て、執筆が上手くいかず苦しさを吐露するような近況報告を聞いて、いてもたってもいられなかった。
「私があなたのラブコメヒロインになります」
咄嗟の思いつきだった。
「創作」を選んだ階くんにとって私の存在は間違いなく邪魔になる。
でも、これまでのフッたフラれた気まずい関係性を利用して、私がラブコメヒロインを演じるならば、それは執筆の邪魔ではなく協力になるはずだ。
演技は中学からいままで五年間、プロ役者レベルの実力があるとまでは豪語できないけど、演劇部で汗を流してきた。家族を失った役ならお笑い番組を観ていても泣けるし、盲目の役なら家の中で火事が起きても気づかない振る舞いをできる。だから《ラブコメタイム》中に照れて彼の前で顔を真っ赤にすることはない。
ただ、この特殊なラブコメ制作方法は難点もある。
フッタフラれた気まずくなった私だからこそ有効的なやり方というのは、つまり、気まずさを維持しなきゃいけないことでもある。
「私の本音は言えない。私自身を愛してもらうわけにはいかない……」
私は自分の唇を舐める。彼が食べた残りのポッキーを咥えた感触……。
下心がまったくない、と言えば嘘になる。協力したいと言いながら単に未練がましいだけだろと言われたら否定できない。
でも、いいよ。
彼との距離を詰めてもそれは《ラブコメタイム》の演技だって彼に勘違いされたままでいい
これまで通り気まずい関係の演技で距離を取ることだってちゃんとやる。
彼の力になることこそが一番の目的だから。
このラブコメヒロインは恋ができない。
それでいい。
それでいいはず、だよね。
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