1章⑦ 前代未聞のラブコメ制作方法

 ――ワタシガアナタノラブコメヒロインニナリマス?


 ぽかんと口を半開きにして固まる俺に対し、美空は淡々と説明を続ける。


「道成さんは私をフッた」

「な、なんだよ急に」

「いいから最後まで聞いてください。道成さんの『好き』に選ばれなかった私。フッた男とフラれた女。気まずくなった関係。そんな前提条件があるからこそ可能なラブコメヒロインの作り方をいま思いつきました」

「いま思いついたって……それはどういう……」

「なにも難しい話ではないです。具体的にはこうです。演劇部で一緒にやってきたように、道成さんがラブコメヒロインの設定を考え、そのラブコメヒロインを私が演じます。私というラブコメヒロインとロールプレイすれば、ラブコメを書いたことのない道成さんでもヒロインのイメージが固まっていくんじゃないですか。可愛いか可愛くないか、ヒロインにふさわしいかふさわしくないか、見て、聞いて、感じて、ラブコメ作りのヒントになるはずです」


 俺の考えたラブコメヒロインを美空が演じる?

 なんだそのラブコメ制作方法は……。


「なにかの冗談か?」

「いえ、まったく」


 美空は真顔のままだ。

 ロールプレイによるラブコメ制作。そんな作り方は聞いたことがない。

 そりゃそうだ。いま美空が考えついたんだから。


「さらに、このやり方はほかの女の子ではダメです。フラれた私だからこそ有効的です」

「どういう意味だよ」

「仮にですよ、道成さんに彼女がいるとします。クラスメイトに名前すらろくに憶えてもらえない地味な男を好きになって付き合ったとします」

「名前憶えてもらえない云々の説明別にいらなくない?」

「で、その彼女が私が提案した制作方法、ラブコメヒロイン化を実践したとしましょう。演じたラブコメヒロインが可愛いかどうか、魅力的かどうか、客観的に測れると思いますか? ふん、無理ですね。断言できます。だってその女の子が彼女という時点で可愛くて魅力的に映るに決まってるじゃないですか。恋は盲目なんて言葉もあるように。でも、フラれた私なら? 道成さんの『好き』に選ばれなかった私なら? 彼女でもなく、ましてや友達でもない、むしろ気まずい関係の私がラブコメヒロインを演じて、可愛くて魅力的だと思えたなら、それって色眼鏡なく真の意味で可愛くて魅力的でラブコメを書くに値するヒロインということになります」


 なる……のか?

 やや強引な理屈にも聞こえるが、そもそも演劇メソッドによるラブコメ制作なんて初耳で想像がつかない。実際に試したことがないからどうなのかよくわからない。


「てか、ちょっと待て美空。確かに気まずい関係ってのは……まあその通りだけど、別に俺は美空を嫌ってるわけじゃ――」

「でも、道成さんは私を彼女に選ばなかった。道成さんは創作を取った」

「それは」

「可愛くて可愛くて寝ても覚めても忘れられない女の子なら、ほかを全部投げ打ってでも手に入れたいと思うはずです。ちなみに、私のお父さんはそれで浮気してお母さんに半殺しにされました」

「親父!?」

「二回浮気したので二回半殺しにされました」

「二回半殺しって足したらそれもう殺しじゃね!?」

「でも『好き』ってそういうことでしょう」


 美空は確信を持って言った。


「別に浮気が正しいと言っているわけではないです。抑えが利かない圧倒的な気持ちに気づけば体が突き動かされる、少なくとも私は道成さんのそんな『好き』には選ばれなかった」

「待てって。話が飛躍しすぎだ」

「飛躍してません。あなたは私をフッたんですから」


 美空がぷくっと頬を膨らましたが、すぐに紅茶を一口含んで気を取り直す。


「いいですか。私たちはフッたフラれた距離感があります。だけどラブコメヒロインの魅力を測るには最適です。私が演じたラブコメヒロインで、道成さんが魅力的で可愛く好きだとときめいたら、ラブコメを書くに値するヒロインだと思いませんか? だから私です。フラれた私だけがラブコメヒロイン化する価値があります」


 美空が胸に手を当て、真っ直ぐな眼差しで告げた。


「私がラブコメヒロイン化して、道成さんを好きってときめかせます。創作を取って恋を取らなかったあなたが、私が演じたヒロインに恋に落ちちゃうなら、勝てますから。ほかの作家にだって」


 だから、と美空が続けた。


「だから、フッたフラれた関係のまま手を組みましょう」


 なんだこの状況は。

 どうなってんだこの展開は。

 あれ、美空に彼氏ができたって話じゃなかったっけ? だから上手く笑って、応援してやらないとって……ああいや、それは俺の勝手な思い込みか。だけどじゃあなんでいま美空がラブコメ作りに協力するって流れになってんだ?


 なんだこれ。

 なんなんだこれは。


 俺たちは疎遠になって、挨拶すら交わさなくなって、俺はとっくに嫌われたと思ってて、それが急に手を組むって……え? え? ロールプレイのラブコメ制作?

 一体なにが起きて――。


「お隣いいかなっ、ご主人様!」


 混乱した思考が、その呼び声に途切れた。


 ご主人様?


 目をぱちくりさせた。華憐な溌剌さと男心をくすぐるあざとさが絶妙に混じった声色。

 だれだ? 首を左右に振る。けど周囲に人はいない。

 美空しかいない。

 まさか……。


「おーい、聞こえてるー? ご主人様ー?」


 聞き間違えではなかった。美空がテーブルに手をつき、くりっとした瞳で俺をのぞきこむ。


「ご主人様がぼーっとしてるうちにー、ご主人様のお隣おじゃましちゃいますよーっと」


 突き放すような敬語口調からフレンドリーな口調に。

 ぶすっと不機嫌そうな表情からパッと向日葵が咲いたような明るい笑顔に。

 まるで別人となった美空はフリルスカートをはためかせるようにひょいと席を立ち、子猫のような素早さでさっと俺の隣に腰を落ち着ける。


「はい、私がご奉仕に来ましたよ」


 近っ。

 さっきまでの距離開いていたのにいまめっちゃ近っっ!


「紅茶飲みたい? 淹れてあげよっか?」


 美空の髪が俺の肩にしなだれてきて、トリートメントの甘い香りに頭がクラクラする。


「え、え、えっと……」

「紅茶要らないの? じゃ、こっちにしよっか」


 美空がチョコレートパフェを手元まで引き寄せる。グラスに刺さっているポッキーを一本つまみ上げ、先端にたっぷりの生クリームをのせる。そして空いたもう一方の手を俺の太ももに添え、可愛らしい小顔を寄せてくる。

 長い睫毛の一本一本が克明に映るほどの距離。桜色の唇から吐息を感じられるほどの密着。

 なんだ……なんだなんだ、一体なに考えているんだ!?


 ポキッ。


 瞬間、口の中で小気味よい音がした。同時、甘ったるい生クリームが舌に広がっていく。

 混乱した脳に味覚が現在の状況を伝えた。

 美空にポッキーを食べさせてもらった、と。


「元気出たご主人様? 元気になってくれると嬉しいなっ」


 半分に折れた残りのポッキーを美空が唇に咥え、やや照れたように頬を紅潮させてえへへと微笑む。


 パリンッ、と視界の端で破砕音が聞こえた。


 な、なんだ!? とそちらを男性店員が皿を床に落としていた。「さ、さささ、さっきまで気まずい距離感だったのにいきなり密着してご奉仕とかあんたらマジでどんな関係!?」みたいな驚き顔だった。


 フッたフラれた関係……だよな?


「――はい、演技終わりです」


 パンパン、と美空がカチンコを鳴らす要領で両手を叩く。


「あ、あれ、メイド……じゃなくて、美空?」

「いつまで間抜けヅラしてるんですか。メイドはただの演技です」


 美空がいつもの疎遠口調に戻る。太ももに密着していた手をすっと離し、何事もなかったように斜め向かいの定位置に戻る。


「演技……そうか、演技か」


 再び開いた距離感に、一瞬にして夢から現実に引き戻された。


「ええっと、いまのメイドキャラは……?」

「新入生向け公演の役です。即興劇エチュードなんですよ。演劇には台本なしの自由な形もあるんだよって新入生に驚いてもらいたくて。決まっているのはフレンドリーなメイドさんという設定だけで、いまの台詞は私がアドリブで考えたものです」

「な、なるほど」

「いまのような感じで道成さんのヒロインを演じます。そうですね、私がラブコメヒロイン化する時間をひとまず《ラブコメタイム》(仮)と名付けましょう。では今後の《ラブコメタイム》(仮)をやるために道成さんはヒロイン設定を考えておいてください。まとまったら後日連絡ください。決まりですね。はい決まり。それでは」

「それではって……おい美空? 美空!」


 美空が早口でだーっとまくしたて、財布から自分の注文分をきっちり置いて早足に立ち去る。


「行っちまったよ……」


 ひとり席に残された俺はただ呆然とするほかなかった。


 フッタフラれた距離感があって。

 一年越しにその距離感が縮まって。

 かと思いきや再び距離が開いて。


 ――フッたフラれた関係のまま手を組みましょう。


 恋愛関係に進めず、友達関係に戻れず、フッたフラれた関係で停滞していたが、一方でラブコメ制作に協力してくれる。

 これは……どういう関係と言えばいいんだ?


 ただ、ひとつ確かに言えることがある。


 えへへと微笑む美空の愛らしい表情は瞳に焼きついて、いまもまだ心臓がバクバクと音を立てていた。

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