1章⑥ ラブコメヒロイン化宣言

「……とりあえず、先にドリンクバー行ってこいよ。俺は後で行くから」


 美空が席を立って離れると、緊張感から解放されたように息が漏れた。


「まあ、自業自得か。こんなぎくしゃくしちまったのも……俺が悪いよな」


 なぜ美空をフッたのか。

 単純に言えば「創作」を取ったんだ。


 高校三年間で作家デビューして自分の物語を書籍化する――それが俺のどうしても達成しなければいけない目標だった。


 猶予は三年。日を追うごとに時限爆弾の導火線が短くなっていく焦燥感を常に抱えているような学生生活で、だから青春の時間全部ぶち込んでデビューのチャンス摑むために必死だった。


「創作」か「恋愛」か、だった。

「創作」も「恋愛」も、とはいかなかった。


 恋愛経験が創作に活かせて作品の幅が広がり厚みも増す、そんな芸の肥やし的な考え方はあるかもしれないが、俺は「創作」と「恋愛」を両立してバランスを保てる自分自身が想像できなかった。

 一〇代で新人賞受賞やら趣味で書いた作品がアニメ化やら、そんな才能というエンジンを積んで驀進する化物揃いの作家たちが集う表現の世界で、才能のない俺はがむしゃらにジタバタもがくように走るしかなくて、「創作」の道から外れるとどんどん置いていかれてしまう恐怖と焦りがあった。

 だから「創作」を取った。まず結果を出すことが最優先だろって。

 しかし、逆に言えば――。


「戻りました」


 美空が席に戻ってきて、一度思考が中断する。

 美空がドリンクバーから持ってきたのは紅茶セット一式。背筋をピンと伸ばしつつ、茶葉の香り立つポットから琥珀色の紅茶をカップに注ぐ所作は、メイド衣装と相まって優雅でつい見惚れてしまう。


「はい、ご主人様。お紅茶を淹れて差し上げましたよ」


 なーんて美空に言われたら世の男子は一発で恋に落ちるだろうな。


「なんですか、ジロジロ見て」

「いや、別に……」


 美空にひと睨みされて妄想を打ち切り、今度は俺がそそくさとドリンクバーに向かう。


「モテるだろうな、あいつ……」


 演劇部の助っ人をしていたとき、男子部員同士の会話を耳にしたことがあった。

 

 一年の美空っていいよな。

 超絶美女ってよりクラスの中で可愛いほうってのがむしろイイよな。

 だな、告ったらワンチャンありそうな感じがイイ。

 彼氏いるんじゃねえの?

 それがいねーらしいよ。

 マジ? 告ってみようかな、オレ――。

 

 彼氏……いま美空に彼氏がいたって不思議じゃないよな?

 じゃあ俺に会いに来たのって……まさか彼氏できましたの報告とか?

 十分ありえるよな。


「間に合わなかった、ってわけか」


 俺は天を仰いでため息を吐き、中断した思考の続きを再開する。


 しかし逆に言えば――「創作」の結果が最優先なら、「創作」で結果を出した後なら「恋愛」だって取っていい。

 本当は俺だって、美空のことを……。

 だから俺は言おうとしたんだ。「すまん」と告白を断った後に、「一年後さ、もし俺がプロ作家になったら付き合ってくれないか」って。

 けれど、「一年後さ――」と口を開いたところで、はたと重大なことに気づいた。

 そこから続きの言葉は、彼氏を作らないで待っててくれ、って言っているのと同義じゃないか?

 高校生という一瞬一瞬が取り返しのつかない青い時間。その貴重な一年を俺の都合で縛って待たせかねない。しかも一年後に必ず結果を出るという保障もない。

 言えなかった。

 言っちゃダメだと思った。

 結局、フッたという事実だけが残った。


 そして一年経ったいま――俺はまだなんの結果も出せていない。


「美空に彼氏ができたこと、せめて上手に笑って祝わってやらないと……。自然に、ごく自然に笑えるように……」


 落胆した顔を見せないように片頬をぺちぺち叩いて修正し、野菜ジュースをグラスに注いで席に戻る。

 ちょうど男性店員が山盛りポテトとチョコレートパフェを運んできて、「んん? なんで君たち斜め向かいで座り合ってんの? マジでどういう関係?」みたいに首を傾げている。

 答えはフッたフラれた微妙な関係です。


「……それで、なんで美空はメイド衣装なんだ」


 野菜ジュースにストローを挿して、いきなり彼氏の話をするのもアレだと思い、ひとまず気になっていた疑問の続きを俺は口にした。


「新入生向けの部活紹介で演劇部の公演があったんですよ。私はメイド役なので」

「ああ、そういえば今日はどの部活も入部案内とか熱心にやってんだっけ……って、じゃあなんで着替えず俺の自宅前までやって来たんだ?」

「体が」

「体が?」

「……いえ、なんでもないです」


 視線をあさってに飛ばす。これ以上は答えません、と言わんばかりに。


「そちらはどうなんですか?」

「そちらって……俺?」

「ほかにだれがいるんですか」


 やや意表をつかれた。さっそく彼氏の話でも持ち出されるかと思ったが、俺の話? 俺の調子はどうかって聞いてんの?


「あ……ああ。まあ一応、生きてる」

「それは見ればわかります。そうじゃなくて」

「健康かってこと? ちゃんと栄養は摂ってるぞ。現にほら、野菜ジュース。健康意識しっかりしてるだろ」

「栄養価不明の砂糖ドバドバ入ったファミレスの野菜ジュースでドヤらないでください」

「じゃあ山盛りポテト。じゃがいもは野菜だろ?」

「だろ、と同意を求められても困ります。高カロリーの揚げ物を野菜だからいいなんてアホな理屈はやめてください。だからそういうことじゃなくて」

「じゃあどういうことだよ」

「執筆活動ですよ」


 急に核心に迫られたような気がした。


「執筆活動は順調ですか?」

「えっ、と……」


 思わず言葉が詰まる。


 いやー、実はまだ世間的には内緒だけど、やっと原稿にオーケイが出たんだよ。数ヶ月後には俺の小説が出版されるんだよねー。ついに書籍化だぞ書籍化。わははは!


 なーんて笑って言えてたらどれだけよかったか。


 現実は原稿がボツになって、俺の作風じゃ通用しないから路線変更しろと言われ、でもラブコメなんて書いたことないから途方に暮れて……。

 って、いかんいかん。こんな重苦しい話をしたら余計に場の雰囲気が悪くなる。


「ええっと、続けてるぞ。ちゃんと執筆活動は続けてる。まあ確かに大変なこともあるけど、その大変さも含めて充実してる? みたいな。あ、もしかして自宅前での俺の様子を気にしてそう聞いてきたのか? あれは魔が差したというか、ちょっと混乱してたというか、大したことじゃないから気にしないでくれ。はは、ははは」


 現状を曖昧にぼかしつつ、へらっと笑ってこれ以上気まずくならないように努める。


「笑わないでください」


 が、美空はごまかされなかった。


「そういうこと、へらへら笑わなくていいですから」


 美空の声色は冷たく非難しているという風ではなく、むしろ俺に対して真剣に向き合いたいという思いが滲んでいた。


「高校三年間でプロ作家になって小説を出す、その目標は達成できそうですか?」


 透徹した美空の瞳が、俺の心を貫く。

 そこで本当の意味で美空と目が合った気がした。

 自然と身が引き締まる。脚本を書く俺と役を演じる美空、演劇部で真剣にやり取りしていた頃に戻ったような感覚。


 作り笑いを止めた。

 居住まいを正し、一呼吸の間を置いてから、ごまかさずゆっくりと切り出した。


「実は今日、火炎文庫編集部に呼ばれて行ってきたんだ。そこで――」


 ショックが蘇り、息が詰まった。

 それでも肺から絞り出すようになんとか二の句を継いだ。


「ダメだった。俺の小説は本にならないって」


 不甲斐ない。

 美空からの告白を断って創作に集中したのに、創作でなにひとつ結果を出せなかった。


「俺の書くものと世間が求めてるものは違っててさ、かといって俺の書くものが世間を振り向かせて時代を引っ張るような圧倒的な実力があるわけでもなくて、だからどうしたって世間が求めているものに自分を擦り合わせて書いていかなきゃいけないんだ。流行りとか、ウケてるものとか、そういったもの。そこで担当編集になに書けって言われたと思う?」


 へっ、とつい自嘲気味に言った。


「いま流行ってるからラブコメ書けってさ。ラブコメなんて一度も書いたことないのにな」


 そう口にして、自嘲する余裕すらもなくなる。


「恋愛だってまともにしたことないのにな」


 額に手を当ててうつむく。


「いや、担当の言うことは一定理解できるんだ。プロ目指してる以上読者を喜ばせるために自分の作風やスタイルを変えることは大事なんだろう。わかるよ。わかるけど、頭で理解したところで明日からガラッと変えられるほど心は器用じゃなくて……」


 気づけば頭を抱えていた。


「作家の中にはいるんだよ、趣味で書いた作品がウケてる人も。楽しく書けてるんだろうな。羨ましいな。死ぬほど羨ましいなあ」


 胸の内でパンパンに膨らんだ羨望が破裂して口から漏れる。


「俺は違う。違うんだよ。趣味なんて言えねえよ。努力なんだよ。向いてないことでも向き合って取り組まなきゃプロにはなれねえんだよ」


 嫉妬心までもたまらず吐き出す。


「もう高三になっちまった。リミットはあと一年。ラブコメ書かないと企画が通らないからデビューできないけど、ラブコメなんて書いたことないからどうすりゃいいのかわからない。ラブコメで不可欠なのは魅力的なヒロイン、それこそ全読者を恋に落とすようなヒロインだ。でもそんなヒロインどうやって作ればいいんだよ。わかんねえ。マジでもうどうすりゃいいのか全然わかんねえ――」


 焦りと戸惑いと迷いをとめどなくぶちまけて、ハッ、と突如として我に返った。


 ――あ、やべ……。


 なに愚痴ってんだよ俺。いくらごまかさず真剣に向き合うといっても、これじゃただ美空に愚痴をぶつけてるだけじゃないか。

 ただでさえ気まずいのにこれ以上雰囲気を悪くしてどうすんだ。


「悪い。余計なことばかり言った。いまの話は忘れて――」

「いい方法がありますよ」


 えっ。

 いい方法?


「魅力的で可愛いラブコメヒロインを作りだすいい方法です」


 面食らった。

 どういうことだ?


「――私があなたのラブコメヒロインになります」

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