3章③ パンチラを考察する

 ――は?


 一瞬、耳を疑った。

 あまりに突拍子のない発言だった。コーヒーでも淹れましょうか、みたいな日常会話で行われる自然な言い方だった。


「ですから、私がパンチラをやりましょうかと言っているんです」


 俺が呆然としているのを見て美空が繰り返す。眉一つ動かさない平然とした顔つきで。


「風が吹いてスカートがめくれる王道パンチラを、いま、この場で、《ラブコメタイム》としてやりましょうか」


 愕然としてあごが外れかけた。


「み、みみみ美空がパンチラ!?!?!?!?!?!?」


「騒がしいですよ。いちいち大声出さないでください」

「騒ぐだろ! だって、美空がパンチラだぞ! よりにもよって俺の前でパンチラって!?」


「犯罪に手を染められるよりマシです」

「染めねえよ! お前自分が言ってる意味わかってんのか。たとえチラッとでも、その、女の子の見せちゃいけない部分を、俺に見せるってことだぞ」


「パンツは見えませんよ」


「へ?」

「へ? じゃないですよ。ずいぶん間抜けな顔してますよ、いま」

「いやだって、パンチラだろ。パンツを見せるからパンチラなのに、それを見せないでやるってどういうこと?」

「今日は体育の授業があってスカートの下はハーフパンツ履いたままなんです。《ラブコメタイム》で再現するのはあくまでスカートがめくれる瞬間、そのリアリティだけです」


 あ、そういうこと……。


「その慌てっぷり、まさか私が道成さんにパンツを見せると思ってたんですか」

「うっ、それは……」

「図星ですか。豊かな妄想力ですね。それだけの妄想力なら味気ないハーフパンツを脳内変換で色っぽいレースショーツに変換できますね。よかったですね」

「嫌味かよ。お前の言い方が紛らわしいんだよ」


「見せませんよ」


 ぴしゃり、と美空が一線を引くように言い放った。


「道成さんをときめかせてリベンジするとは言いましたが、それでもフッた相手に見せるパンツはありませんから」


 冷めた表情で距離を置くように淡々と告げる。


「本当に好きになった人にしか、恋人にしか見せませんから」


 バタンと心の扉を閉めるような言葉だった。

 微熱を帯びていた俺の額がしんと冷たくなる。つい忘却していたフッたフラれた気まずい関係に一瞬にして引き戻される。


 まあ、そうだよな。

 勘違いしちゃいけないってわかってんのに、変に動揺して、妙に浮ついて……馬鹿みたいだな、俺。


「わかった。それなら気兼ねなく参考にさせてもらう」


 急遽決まったパンチラ《ラブコメタイム》の準備に移った。

 人工的に風を起こすため押し入れから扇風機を引っ張り出す。昭和製造の年代物で中古ショップで三〇〇円で売られていたものだ。それを美空の前に置き、スカートの下から扇ぐようにファンの位置を調整する。

 シチュエーションは、『入学式の校門前で主人公にパンチラを見られて恥ずかしがるヒロイン』という感じで演技は美空にを任せる。


「準備は整ったぞ。そっちは?」

「いつでもどうぞ」

「それじゃあ扇風機のボタンを押すぞ」


 さっそく扇風機のボタンを押そうとして、しかしその途中で指が止まった。


 ――あれ、これどのボタンを押せばいいんだ?


 一般的には「切」「弱」「中」「強」とボタン前に風量が表記されているものだが、あまりに使い古されているせいで表記が剥がれている。おまけにボタン配置が横並びでなく上下二段のためどれがどのボタンか予測もつきにくい。

 そうだった。毎年夏シーズンを迎える度に迷うんだよな。

 風量的には「弱」か「中」ぐらいが適切かと思うが、そのボタンは確かええっと……。


「まだですか?」

「あ、すまん。いまはじめる。それじゃあ、《ラブコメタイム》スタートで」


 曖昧な記憶を頼りに、カチッ、と押した直後だった。

 ブオオオォォォォォォンッ、とファンが猛烈な勢いで回り出す。

 年代物特有の繊細さが欠けた機械音、そして遠慮ない荒々しい風量。明らかに「強」レベルの送風だった。


 あ、ボタン間違えた! と思った瞬間にはもう遅い。


 ぶわっ、と風を孕んだスカートが一気にめくれ上がる。

 彼女の健康的できめ細かな薄桃色の太ももが現れ、さらにその先にある逆三角形の下着が俺の瞳に飛び込んだ。


 全身が硬直した。

 視界に飛び込んできた光景に驚いてまばたきを繰り返す。


 ――美空のやつ……ハーフパンツ履き忘れてる!?!?!?


 おい美空! 忘れてる! ハーフパンツ履き忘れてるぞ!

 お前あんなにクールな顔で「恋人にしか見せませんから」ってキメてたのに、いま俺がモロ見ちゃってる! 恋人とは正反対のフッた俺が!

 なんかものすごく申し訳ない!

 隠せ! 隠してくれ! ああダメだ風が強いぃぃ!


 ていうか、その下着ってまさか……。


 ――美空のやつ……レースのショーツ履いてる!?!?!?!?!?!?


 なんで!? どういうこと!?

 お前あれだけレースショーツ着けてる女子高生はいないって言ってたのに、お前がレースショーツ着けてるじゃん!

 しかもめちゃくちゃ色っぽいやつ! ヒラヒラで、きわどく透けてて、おまけに黒色の、親にバレたら軽く三回は死ねるやつ!


 ごくっ、と生唾を呑む。


 視界一面を占める美空のショーツ。パンチラというかパンモロだった。白桃のような美尻に大人びた黒のショーツがぴっちり密着して引き締めている。

 無自覚に瞳孔が開く。

 ドッ、ドッ、ドッ、と心音が騒ぐ。

 のぞいちゃいけないものをのぞいている背徳感に背筋がぞくりとする。


 ダメだ。ダメだダメだ! 俺はアホか。なにじっと見つめてんだ。これ以上美空のパンツを見るのはまずくて……。


 いや、逆か?


 もしいま俺が目を逸らしたら「なんでハーフパンツ履いてるのに目を逸らすんだ?」と美空が違和感を抱く。

 ハーフパンツ履き忘れていたことを気づかせかねない。

 結果、この場で美空に恥を掻かすことになる。

 あれだけ恋人にしか見せないと言い切っていた下着を、フリやがった俺なんかに見せたことを知ればプライドを傷つけかねない。


 だったら、このまま直視して俺が何事もなかったように振る舞ったほうが美空のプライドを守れるんじゃないか。


「やんっ」


 美空が強風に煽られるスカートの前を押さえつつしかし後ろは丸見えで、恥ずかしがった声を上げる。芝居がかかったポージングと台詞。令和のマリリン・モンローを意識してんのか。


《ラブコメタイム》は継続中。

 美空が、いやミソラが演技し続けているということは、美空自身ハーフパンツを履き忘れていることに気づいていない。

 だったら恥を掻かせるわけにはいかない。


 申し訳ないとは思う。

 でも目を逸らすわけにはいかない。

 見る。

 直視する。

 ミソラのパンツを目を逸らさずに……!


 見る者と見られる者。どこか画家と美術モデルが共にアトリエで過ごすような静かな時間が流れ、ブオオオオオオンッ、と扇風機の音だけが室内に残響した。

 短すぎず、長すぎず、ミソラに違和感を持たれない適切な時間が経ったと感じたところで、俺は扇風機を止めた。


「どうでした? パンチラの感触摑めました?」


《ラブコメタイム》終了後のクールな声。

 ミソラ、いや、疎遠美空に戻った。冷静な口調から最後までなんとか恥じを掻かせずに済んだと察する。

 俺は美空にくるりと背を向けて、素顔を隠しながら言った。


「めちゃくちゃリアリティのあるパンチラ描写を書ける自信がついたヨ」

「そうですか。それはよかったですが……ヨ?」

「記憶が薄れるうちにさっそくプロット作業に取りかかろうと思うヨ」

「微妙に語尾がカタコトになってる気がするんですが」

「気のせいだヨ。今日の《ラブコメタイム》はこんなところでいいカナ?」

「まあ、そうですね。わかりました。では、今日はこの辺りで失礼します」


 俺はさっそくキーボードを叩いて作業に没頭するフリする。あまりの緊張でカタコト口調になるほど顔が真っ赤なのが自分でもわかった。


 お邪魔しました、と美空が玄関扉を閉めて帰宅し、そこで俺はようやく心の底から呼吸した心地になった。


「ぷっ、はあああああ! やばい、やばいやばいやばいっ、あのパンチラはマジでやばかった!」


 クールな美空が大胆なレースショーツを着ているギャップの破壊力は凄まじかった。

 あと一秒でも美空の下着を見ていたら古典ラブコメにありがちな鼻血を出してぶっ倒れていた。

 でもよかった。これで俺が黙っていれば何事もない。美空は恥を掻かずに済む……。


 済むのか?


 あれ。ちょっと待てよ。

 さっきはテンパっててろくに考えが及ばなかったが、順を追って考えていくと……まずくね?

 美空が帰宅する→制服を着替える→スカートを脱いだときにハーフパンツ履いてないことに気づく……。

 気づくじゃん。

 絶対気づくじゃん。


「終わった……半殺しかな、俺」

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