このラブコメヒロインは恋ができない

aki

プロローグ ラブコメヒロイン化する彼女

 ――人気ラブコメヒロインに必要な条件ってなんだろうな?


 家賃二万八千円。最寄り駅まで徒歩二〇分と微妙な立地。隣人のアラーム音で目が覚めるほど薄い壁。

 そんな木造ボロアパートの自宅に、彼女の快活な朝の挨拶が響く。


「おっはよー! 今日も起こしに来たぞっ。るんるん♪」


 玄関扉がバタンッと勢いよく開き、彼女がドタドタと入室してくる。


「あー、やっぱりまだ寝てるぅー。まったくもう、お・ね・ぼ・う・さ・ん」


 だらしなさに呆れているようで、そのだらしなさが愛おしそうな声音。


「幼なじみのわたしに毎朝起こされて恥ずかしいと思わないわけ。わたしたちもう高校生なんだぞ。ほら、起きて起きて」


 彼女は俺のすぐそばに腰を下ろし、寝たフリをした俺の上体をゆさゆさと優しく揺らす。


「あ、でも君が起きなかったらそれはそれで二人きりでいられるってことじゃ……ああっ、でもそれだと学校に遅刻しちゃう。いっけな~い、わたし委員長なのにぃ~。遅刻遅刻ー!」


 起こす、という単純な手の動き。しかし、起きてほしいような、起きてほしくないような、そんな葛藤が彼女の指先から伝わる。大した表現力だ。

 そこで俺はいま一度彼女ヒロインの「設定」を思い返す。


【身長】:一六〇センチ。女子高生の平均並み。

【性格】:真面目。面倒見が良い。天然で抜けているところが短所。

【属性】:隣の家に住んでる幼なじみ委員長ヒロイン。

【シチュエーション】:彼が起きなければ遅刻するが、すぐ起きてしまえば好きな人と直接触れ合える二人きりの時間が減ってしまう。ささやかな葛藤。甘酸っぱい恋心。

 そして【台詞】――。


「やっぱり遅刻はダメダメっ。よーし、いつまでも寝てる君には最後の手段で起こすしかないね」


 彼女がいわゆる「朝起こしに来るラブコメヒロイン」として人気を獲得するための【台詞】がこれだ。


「おねぼうさんにはアルゼンチン・バックブリーカーで背中ボッキボキにへし折っちゃうぞっ☆」


 …………。

 なるほど。

 なるほど、なるほど、よくわかった。

 ラブコメ作るセンスねえな、俺。


「――ときめきますか? こんなアホみたいな台詞を言うヒロインに」


 と、呆れた声が聞こえた。

 二次元的なコミカル口調から、現実世界を生きる人間の口調に。

 きゃぴきゃぴ弾んだ声色から、抑揚がなくどこか冷めた声色に。

 デレデレした人懐っこい表情から、マニュアル対応の銀行員の如くクールな表情に。

 いまのいままで「幼なじみ委員長ヒロイン」を見事に演じていた彼女が、一瞬にして元の姿である冬城ふゆしろ美空みそらに戻った。


「なんというか、すまん……。ラブコメセンス皆無な台詞を言わせて……」

「台本を渡されたとき頭がクラッとしました。台本を読んだいまは頭がクラクラしています」


 美空が容赦なく毒づく。

 さっきのデレっぷりはどこにいった?


「いや、いや違うんだ美空! 昨今のラブコメで、もっと幅広く言えばエンタメ業界で、『朝起こしに来る幼なじみヒロイン』で人気が獲得できるか不安だったんだよ。だからプロレス技が得意って個性付けして、それが実際に可愛いかどうか美空に演じてもらって確かめようと……」

「で、このありさまですね」


 俺はバツが悪くてわしわしと後ろ髪を掻く。

 難問にぶち当たった。


「――人気ラブコメヒロインにするために、もっとも可愛いヒロインの起こし方ってなんだ?」


 創作上の問いだ。数学と違って公式に従えば解けるわけでもないし、そもそも唯一絶対の正解があるわけでもない。

 作り手が一〇〇人いたら一〇〇通りの答えがある、それが創作だ。


 そんな正解のない問いに、ヒロイン設定のアイデアを出す――それが俺の役目だ。

 そのアイデアが正解かどうか、ヒロインを演じて試す――それが美空の役目だ。


 そして共に協力して人気ラブコメヒロインを作り上げ商業デビューを目指す――それが俺と美空の関係だ。


「そりゃ俺だってプロレス技かますヒロインが可愛いさに直結するか怪しいと思っていたよ。けど、人気ラブコメマンガで主人公にシャイニングウィザードをかますヒロインがいてさ、それ参考にしてみたんだ」

「シャイニングウィザード? それで人気でるって……一般的に考えて、ラブコメ読者は全員ドM?」

「ラブコメを一般的に考えるな。ちなみに別作品だが酔っ払った勢いで主人公にジャイアントスイングかますヒロインもいる」

「酔っ払ってジャイアントスイング? ……冷静に考えて、ラブコメヒロインってみんな暴力イカレ女ばかり?」

「ラブコメを冷静にも考えるな。フィクションだからな。客が喜べば正義だ。美空だって演劇やってんだからわかるだろ」

「まあ、客が喜べばという点は同意できますが……。だとしたらどういうヒロインの起こし方で読者を喜ばせるんです?」

「ううむ、さっきからあれこれ考えているんだが……ベタなことしか思いつかないんだよな」

「ベタとは?」

「目覚めのキス、みたいな? ほら、あるだろ。『もお、いつまで寝てるのっ。早く起きないとキスしちゃうぞ☆』的なやつ……って、美空?」


 すすすっ、と美空が部屋の壁際まで後退する。


「おい、なんで急に離れた」

「心の距離は普段からこれくらい離れてますよ」

「悲しい説明はよせ。なんで物理的な距離まで取りはじめた」

「演技を通して私にキスさせるつもりなんだと危機感を覚えたので。いやらし」

「は? はあああああ!?」

「とんだ変態男なんですね」

「誤解だ! 勘違いだ! 俺は別にキスまで演じろなんて言うつもりは――」

「フッた女にわざわざキスさせるなんて、とんだ変態男なんですね」


 フッた女――。


 突きつけられたその事実に、改めて俺と美空のもうひとつの関係性を再認識させられた。

 そうだ。

 いま俺と美空はラブコメ作りのパートナー関係でありながら、同時に、恋人にもなれず、友達にも戻れない、フッたフラれた気まずい関係でもあった。


「いいですか。念のためもう一度確認しますよ」


 美空がピンと人差し指を立てて仕切り直す。


「あなたは私をフッた。しかしそんなフラれた私だからこそできるラブコメ制作手法がある。それが《ラブコメタイム》。私が演劇で培った経験を活かしてラブコメヒロインを演じ、フッたフラれた気まずさなんて吹き飛ぶぐらい好きだときめいたら、ラブコメ作品で主役を張れるヒロインにふさわしい」

「ああ。だから俺はときめいたそのヒロインをメインにしてラブコメを書く。そういう決まりで俺たちはいま繋がっている」


 フッた男とフラれた女。

 ラブコメを考える男とラブコメヒロインと化す女。

 奇妙にねじれた関係の俺と美空がコンビを組んで、ラブコメ小説を商業デビューまで持っていく。これはそういう話だ。


「はあ。目覚めのキスは正直どうかと思いますが、作家にやれと言われたら仕方ないですね――もお、いつまで寝てるのっ。早く起きないとキスしちゃうぞ☆」

「毒づいていたやつとは思えないぐらいの変わりっぷりだなマジで」

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