1章① フッたフラれた気まずい関係

「志望校どこ?」

「模試の判定死んだー。第一志望マジやべーわ」

「ウチ、浪人ダメだから現役で受かんないと」

「予備校の春期講習キツすぎ。さっさと受験終わんねえかなー」


 四月。高校三年に上がったばかりの教室は大学受験に向けた会話が飛び交っていた。

 生徒のだれもが大学進学を希望する特進クラスで、しかし俺はひとりまったく別の進路を意識していた。


「食肉加工スタッフの月給は一八万。雇用保険・社会保険完備。交通費支給あり……。工場梱包作業員の月給は二〇万。寮完備。未経験可。日払い制度あり……」


 携帯で就職情報サイトをざっと見ていき、思わずため息が吐く。

 ここには載ってないんだよな、俺が目指してる職業。


「あと一年。残り一年か。この一年で結果を出せなかったら……就職」


 ……って、なに弱気になってんだ俺。

 今日までがんばってきたじゃないか。自信持て、自信を。

 就職情報サイトを閉じ、代わりに文章アプリを起動すると、推敲に推敲を重ねた原稿が現れた。


「構成は綺麗な三幕構成に仕上げた。ミッドポイントで相棒の死という転換点も入れた。伏線回収だって漏れはない。大丈夫。大丈夫なはず。改めて原稿を読み返さなくたってもう一〇回は見直したんだ。完成した。やっと完成させたんだ。今回こそ結果を――」


「難関だよ。競争倍率一三倍あるしさ」

 

 不安を押し殺すようにブツブツ呟いていると、ふと飛び込んできた単語にぴくりと耳が反応した。


 競争倍率。


 受験生が厳しい競争を戦うように、俺が戦うことを選んだ世界も熾烈だ。

 例えば登竜門と言われる新人賞の応募総数は約四〇〇〇。そのうち受賞したのはたった五。

 競争倍率八〇〇倍。

 さらに受賞しても今度はプロ同士の過酷な競争があり、勝ち続けなければ戦力外通告を額に貼られてあっさりとポイ捨てされる。


 俺が本当になりたい職業は就職情報サイトには載っていてない。

 その職業とは――。


「あ、あのっ」


 ん? と俺は携帯から顔を上げた。

 クラス委員長の小杉さんがプリント片手に立っていた。


「ええっと、その……み……み……」


 俺の顔を見つめてなにか思い出そうとしている。


「あ、名前忘れたわけじゃないよっ。クラス委員長としてちゃんと憶えているからねっ」


 忘れてるな。道成みちなりです。


「み……み……みち…………道重みちしげくん!」


 道成です。ちなみに下の名前はかいです。

 ……って、訂正するまでもないか。空気悪くなるの嫌だし。


「これ、道重くんの分のプリントね。はいどうぞ」


 小杉さんはプリントを俺に手渡し、よかったぁ名前思い出せて、みたいな安堵した表情で去っていく。

 名前を憶えてもらえないのはいまにはじまったことじゃない。

 高一、高二のときもだれとも交流せず教室のはじっこで小説を読むかプロットを練るか続けていたら空気みたいな存在になっていた。

 まあ特に困るわけじゃないからいいけど。


 席を立った。飲み物でも買おうと教室を出た。

 三年に進学したばかりでまだ歩き慣れない廊下を進んでいくと――ぴたっ、と両足が固まった。


 視線の先、ひとりの女子生徒がこちらに向かってくる。


 ピンと伸びた背筋が紫陽花あじさい色のセーラー服に包まれ、陽光を透かしたロングヘアを靡かせながら歩く姿はモデルのようで、けれどルックスを自慢している嫌味さはなくむしろ自然体な印象が感じさせる。

 距離があっても、ほかの生徒に紛れても、俺の瞳は一瞬で彼女だと見分けた。

 単に美少女って理由で目が惹かれたわけじゃない。

 脳裏に焼きついた彼女との記憶が、彼女と彼女以外に世界を区別させた。


「み……」


 美空――そう名前を呼ぼうとして、だが躊躇した。

 いいのか。俺が気軽に下の名前を呼んで。

 じゃあ冬城さんって名字で呼ぶべきだと? それはそれでよそよそしくないか。

 いや、そもそも俺に声をかける資格があるのか。

 だってもう一年近くまともに会話してないんだぞ。

 ぷっつり切れた関係になってしまっているんだ。


 挨拶の手を中途半端に上げたまま固まってしまう。どうしようどうしようと戸惑っていると、美空がこちらを一瞥した。


 俺に気づいた。

 目が合った。


 ああ。

 ずいぶん久しぶりだ。美空の瞳の中に俺が映るのは。

 突如として期待が湧く。美空のほうからなにかアクションがあるんじゃないか。挨拶してくれるとか。微笑んでくれるとか。むかしみたいに気軽に話そうよっなんて言ってくれるとか。


「…………」


 だが、なにもなかった。

 さっ、と美空は視線を正面を戻す。

 俺を眼中に入れない。

 二つの黒い穴のような無感情な瞳で、俺の脇を何事もないようにスタスタと通り過ぎる。


「…………」

「…………」


 美空はなにも言わなかった。

 俺もなにも言えなかった。

 互いに無言のまますれ違う。


「気まず……」


 意図的だった。美空は俺に気づいててあえて無視した。


「まあ、無視されるのは自業自得だよな」


 これがいまの道成階と冬城美空の関係だ。

 恋人関係に進むことができず、友達関係に戻ることもできず、フッたフラれた気まずい関係。


「けど、結果さえ出せば……」


 そうだ。結果だ。

 遊びも、恋も、青春全部引き換えにして、原稿を完成させたんだ。あとは結果さえ勝ち取ればきっとすべてが好転する。


 そしてその結果は今日わかる。

 担当編集が原稿にゴーサインを出せば書籍化が実現する。


 その目標を達成したとき、ここまで壊れた関係であっても、まだ間に合うなら、ワンチャン残されているなら、今度こそ俺は美空に――。


「ボツだね」


 が、数時間後――俺の渾身の原稿は担当編集から死刑宣告をくらった。

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