最終章② 執筆二日目

   執筆二日目


 ボウル皿に盛られた大量のゆで卵をひとつ取って頬張り、野菜ジュースをごくごくと胃に流し込む。

 昼食、一〇秒。それで終わり。

 執筆に取り組むときの食事はだいたいこんな感じだ。このメニューなら安価で栄養が摂れてさっと済ませられるから。


 今作は時間との闘いでもある。

 だから手はキーボードを叩きながら文章を作成しつつ、並列で、頭はまだ掘り下げが甘い要素を考えていく。


 ――テーマが定まって次に掘り下げていくのは、キャラクターだ。


 これまで俺のキャラ作りは有名マンガ家のハウツー本を参考にしてきた。

 いわゆる「キャラクターシート」だ。

【姓名】【年齢】【性別】【生年月日】【正座】【血液型】【出身地】【身長】【体重】【利き腕】【声の特徴】【口調】【手術経験】【前科】【学歴】【恐怖】【家族構成】【特技】【趣味】【資格】――。

 それら項目を埋めてキャラクターを形作る。たとえストーリーに出ない事細かな項目でも全部埋めるのがルール。するとキャラとして厚みが出て、個性的になり、物語が面白くなる。……ってのがハウツー本の説明だ。


 ――というわけで、また一からがんばろ。


 で、失敗した。

 その作り方ではキャラの魅力を発揮できなかった。

 厳密に言えば、少なくとも俺ではその作り方でキャラの魅力を発揮できなかった。


 いや、キャラクターシートによるキャラ作成法を否定したいわけじゃない。

 他人のやり方を参考にして真似ることは大いにアリだ。学ぶことも多いだろう。

 ただし、最初のうちは、と注釈つきだ。

 結局、他人と自分は違う。素質も、環境も、趣向も、自分に合う作り方だって。

 俺が失敗した本質はキャラクターシートに頼ったというより、「他人の教科書」を参考にしただけで終わって、「自分の教科書」を作ってこなかったせいだ。

 この作り方は自分には使える、この作り方は自分に合ってない。そうやって試行錯誤を繰り返しながら「自分の教科書」を作っていくべきなんだ。


 で、失敗を踏まえた上で今作だ。

 今作はラブコメだ。ラブコメで重要なのは無論ヒロインであり、さらに「ヒロイン設定」以外に大事になってくるのは……。


 ――『関係性』と『シチュエーション』ってのはラブコメで大事なんだな。


 そう。それだ。

「ヒロイン設定」のほかに、「関係性」と「シチュエーション」の要素も掛け合わせて考えていくべきなんだ。


「関係性」ってのはもちろん主人公とヒロインの関係性だ。関係性とは大まかにプラス(+)の状態とマイナス(-)な状態の二つ。


 プラスは、好感、再会、愛情、など。

 マイナスは、嫌悪、喪失、衝突、など。


 主人公とヒロインの関係性がストーリー展開とともにマイナス(-)からプラス(+)へ。逆にプラス(+)からマイナス(-)へ。

 このプラスマイナスのダイナミックな変化こそがラブコメの醍醐味であり、最終的に関係が進展していくことでヒロインの魅力に繋がる。

 なら今作の主人公とヒロインの関係性は……悩むまでもない。


 フッたフラれた関係。


 フッたフラれた気まずい距離(-)と《ラブコメタイム》での親密な触れ合い(+)、その離れたり近づいたりの二極往復で読者の心を揺さぶっていく。


 で、その「関係性」の変化を魅せるのに最適な表現が「シチュエーション」。

 主人公とヒロインが交流する場所はどこがベストか。学校か。ファミレスか。水族館か……。

 ヒロインの感情を表現するのはどんな状況がベストか。学校の廊下ですれ違った気まずさか。メイド服姿でのデレか。自宅で手料理を作ってくれてる優しさか……。


「ヒロイン設定」「関係性」「シチュエーション」。

 この三点がぴったりと噛み合えばヒロインの魅力を十全に発揮できるはずで――。


 あれ?

 俺、いつの間にラブコメについてここまで考えられるようになったんだ?


 そりゃいまだって悩んではいるけど、前作のラブコメ作りはもっと手探りで進んでいる感じだったよな……。

 ああ、そっか。

 全力出しても通用しなかった前作のラブコメだったけど、全力出した経験はいまこの瞬間にちゃんと活きているんだ。


「意味はあった……意味はあったんだ。たとえ使えないってダメになった原稿でも」


 だが、まだだ。

 まだここで満足するな。

 意味はあったとしても前作のラブコメが通用しなかったのは事実。その方法論のまま勝負したって同じ轍を踏む危険性がある。

 だから今作は「ヒロイン設定」の部分が違う。メインヒロインが違う。


「――美空」


 そう。今作のラブコメヒロインは美空だ。

 作中では当然フィクション化された美空だが、フラれてから今日まで揺れ動いてきた彼女の心は偽りのないように書く。


 そこで問われるのは、俺がどれほど美空の心を理解できてるか。


 彼女の台詞や表情や仕草を書いていくなら彼女の心を摑んでいなきゃ嘘になる。台詞も、表情も、仕草も、それらひとつひとつは心の現れだからだ。


 俺にフラれたときに美空がどれくらいの傷を負ったのか?

 学校の廊下ですれ違っても挨拶ひとつ交わさなかった本心とは?

 メイド衣装で急に俺の家に前にやってきたときの心意は?

 自宅でわざとらしく距離を取ったときの感情は?

《ラブコメタイム》のときに距離を詰めたときの心境は?

 ミソラと美空の境界線が《ラブコメタイム》を重ねるごとに曖昧になっていた理由は?


「それは、それは――」


 人の心という最大のミステリーを前に、額に手を当て、美空との日々を起こし、熟考し、悩み、考え抜いて。

 つんざくような蝉の喧噪が響く室内、俺は美空の心を模索するように文章を打っていく。

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