最終章① 執筆一日目
捨てられなかった。編集に使えないと突き返されたSF原稿を。
しがみついていた。自分が小説と向き合っている姿勢やスタイルは間違っていなくて、流行を盲従する世間のほうが間違っているって考えに。
――全力尽くした作品が通用しなかったとき、次は一体どうすればいい?
難しい命題だ。
変わるべきだ。
世間が求めているものにテーマやキャラクターを寄せていって時代時代で作品を調整していくべきだ。
変わらないべきだ。
自分のスタイルや個性を貫徹して作品を書き続けていくべきだ。
果たしてどちらの考えが正解なのか。
いや、変わる/変わらないの二元論で、答えを出すのは単純で乱暴的なのかもしれない。
世のクリエイターたちは商業性を失念せず柔軟に手段やジャンルを変える一方で、変わらない美学や矜持を持っていて、商業性と価値観のせめぎ合いの中で折り合いをつけて答えを出しているんだろう。
クリエイターの数だけ答えがある。それならこうすれば万事解決という答えが書いてある「教科書」なんてどこにも存在しない。
だとしたら大事なのは――自分がどういう答えを出すか。
俺は。
俺の答えは――。
「変えられないものは、すぐには変えられない」
両手で摑んでいるのはSF原稿。
ボツになったにもかかわらず結局ゴミ箱に捨てきれず、押し入れにしまいこんだままにしていた。
「でも、変えなきゃ前に進めないから」
そのSF原稿を、いま、自宅前のゴミ箱に捨てた。
――変えるんだ。通用しなかったこれまでのスタイルや考え方を。
――その上で、絶対に変えない。美空をラブコメヒロインにした物語を書きたいって衝動を。
過去を振り切るように身を翻す。
未練はなかった。執着だって。
いまはただ戻るよりも進むことを選びたい。
自室に戻ると、パソコンモニターに映る文章ソフトが俺を待ち構えていた。
「うへへ。当たり前だけど真っ白だな。あー怖えー」
正直、まっさらな原稿と向き合う瞬間はいつだって怖い。
だれの責任にもできない純粋に己の実力のみが問われる怖さ。
これから十数万字という文字量を最後まで書き切れるのかという怖さ。
センスも才能もないという自分の空っぽさと向き合わなくちゃいけない怖さ。
怖さ。怖さ。怖さ。怖さ。怖さ。
だがしかし、同時に存在する。
それらすべての恐怖と隣り合っている高揚感もまた。
「さあ、はじめようか」
本格的な夏のはじまり。荒波の中で冒険者が船首に足をかけ新たな宝島を目指すような気持ちで、俺はまっさらな原稿と対峙するように着座した。
執筆一日目
最悪、これが最後になるかもしれない作品の執筆。
前作のラブコメは一からプロットを考えなくちゃいけなかった。
だが今作のラブコメは美空との日々を題材にするからエピソード自体は豊富だ。
とはいえ、それらエピソードを考えなしに逐一文章化してけばそれはただの「日記」だ。
俺が書かなきゃいけないのは「小説」だ。
さらに言えば、各作家がしのぎを削る業界で「商品として堪えうる小説」だ。
「さあ考えろ、考えろ……」
まぶたを閉じる。
すると俺だけが訪れられる小部屋が現れる。
机があり、その上には物語の素材となるエピソードのかけらが散らばり、小説に組み込むかけらを厳選する必要がある。
どの素材を選び、どの素材を選ばないか。
なにを書き、なにを書かないか。
「日記」と「小説」の違いはそれだ。
それじゃあ「なにを書き、なにを書かないか」線引きする基準はなんだよって話だが、俺には確信しているものがある。
――その基準とは「テーマ」だ。
小説を成り立たせる要素は主に五つ。「キャラクター」「ストーリー構成」「設定(世界観)」「文体」、そして「テーマ」だ。
それじゃあ小説における「テーマ」ってのはなにか。
作家ごとにいろんな捉え方をされているが、俺が捉えているのはこうだ――「目的地を定めるもの」。
イメージは地図だ。地図の
作家の中には書きながらテーマを探っていくタイプもいるだろう。それもひとつの方法だ。
けれどテーマが曖昧なまま書いたら、なにを書き伝えようとしているのか曖昧になる危険性が高い。
地図は目的地を決めてから見たほうがいい。
目的地を決めずに地図を見ても迷うだけでどこにもたどり着けない。
「で、俺はどんなテーマで勝負するわけよ」
テーマが決まればほかの要素すべてが決まるといっても過言じゃない。
逆に言えば、テーマ決めを間違えればすべて間違っていく。
初っ端から間違えられないぞ。
もう間違いをリカバーする時間的な余裕はないんだ。
「テーマ……テーマ……ラブコメのテーマ…………」
すぐに答えを出せないなら……別方向から探ってみるか。
ラブコメの歴史。
過去から現在に至るまで、偉大な作家たちは時代時代でどのようにラブコメを作り上げていったのか。
一度頭をクリアにしてそこから考えてみる。
改めて、ラブコメとは。
少年少女の恋愛模様をコメディタッチで描いた明るい作風のジャンルの総称。
和製英語であり、一九七〇年代後半にマンガ業界におけるラブコメブームで認知され、一九八〇年代でメジャー化したと言われている。
当時の代表作は、「翔んだカップル」(柳沢きみお)。「うる星やつら」(高橋留美子)。「タッチ」(あだち充)。「きまぐれ☆オレンジロード」(まつもと泉)など……。
基本的なストーリーラインは、どこにでもありそうな学校生活を送る主人公が、ヒロインとの共同生活など非日常的な接点を持ち、主人公とヒロインのドタバタ劇を描きつつ恋敵などが現れ恋愛関係を進展させていく……。
「……って、雑に一言でまとめていいほど単純じゃないよな」
時代の細部をみていけば、当時のラブコメムーブのアンチテーゼとしてヒロインポジションに「女装した男」など置いた「ストップ!!ひばりくん!」(江口寿史)のような作品も存在するわけだし。元祖「男の娘」ってやつだ。
それにラブコメはほかの要素と掛け合わせが多種多様で幅広い。SF。スポーツ。ミステリー……。時代が下った現在もいろいろな組み合わせが試されている。頭脳戦・心理戦。転生もの。ホラー。コスプレ……。
それはまるで豊かな混沌。
ラブコメが混沌と化しているのは、作家たちが創意工夫しているからとも言える。
アンチテーゼのようなヒロインをぶつけるのも、一見ベクトルが真逆なジャンルと掛け合わせるのも、偉大な作家たちが時代と格闘してラブコメ史に作品を刻もうと闘っていたんだ。
じゃあ俺はどうだ。
俺はなにを書いてラブコメ史に遺すんだ。
「……遺す? 遺すだって?」
思わず笑いがこぼれた。
「ラブコメ史に遺すものを書いてやろうと思ってんのか、俺? はっ、ははは。なんつー偉そうな。まだデビューもできてないのにずいぶんと大胆に出たもんだなおい」
けど、そっか。
原稿がボツになって打ちひしがれていた俺が、いまはそう思うようになれたんだな。
史に作品を遺せるか、遺せないか。
その結果は俺にはわからない。
遺す価値があると評価するのは他者だ。俺自身がどれほど努力しても他者にとって価値が感じられなければ遺ってはいかない。
だが。
遺すつもりでやらなきゃ書く意味なんてねえよな。
「テーマは……恋愛と創作」
すとん、と腑に落ちる感覚。
美空と過ごした時間を物語化していくのにぴったりなテーマだ。
そのテーマを基準にして実話のエピソードを厳選し、ドラマチックに脚色し、小説にしていけばいい。
それでいい。それで。
――本当に?
いや待て。
それでいいのか?
相手はレーベル最大手の火炎文庫の編集だぞ。プロはもちろん新人賞の下読みも参加して年間何十何百もの原稿に目を通す人間だぞ。そんな猛者にぶつけるにはまだテーマ性が平凡なんじゃないのか。
まだ満足するな。
変わるんだ。変えるんだ。
通用しなかったスタイルを。凝り固まった考えを。
――
「恋愛と創作」に類するテーマの作品はほかにもある。
「花×華」(岩田洋季)はダブルヒロインの映像制作もの。「エロマンガ先生」(伏見つかさ)は妹ヒロインとのラノベ制作もの。
ほかにも俺が確認できてないだけで類似するテーマはあるはずだ。
既存作と差別化を図れなければ比較される。
比較とは競争だ。
どちらが優れた構成か。
どちらのヒロインが魅力的か。
どちらが心を震わせるストーリー展開か。
その競争になる。
もちろん商業である以上競争からは完全に逃れることはできないが、競争に巻き込まれたら作家経験の乏しい俺では勝算が低いとチャラ担は危惧していた。
じゃあどうする?
――テーマを突き詰めていく。「恋愛と創作」を既存作と比較できないところまで。
もっと個人的な命題を探って。
もっともっと自分にしか表現できないものを掘り下げて。
もっともっともっと遺伝子レベルまで刻まれた経験を活かして。
――フッたフラれた気まずい二人がラブコメを作るラブコメ。
いけるか。そのテーマなら。
世間に求められているものを作る意識を完全に無視するわけでもなく、かといって流行りの作品を模して順列とパターンを上手に組み合わせるだけの競争に終始するつもりもない。
読者が好んで手を取るジャンルの中で、俺ならではの表現を追求できるテーマ。
競争の中で競争しない戦略。
こういうことだろ、チャラ担。あなたが俺に見つけてほしかったのはさ。
でもいまはまだやり方を見つけただけ。
だから、ここからだろ。
ここから挑戦するんだろ。
「さあて、ようやくキーボードを叩く時間だ」
頭に浮かんだ最初の一文――それを静かに打鍵する。
――人気ラブコメヒロインに必要な条件ってなんだろうな?
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