最終章⑥ ラブコメの結末を決める

 声がした。

 居ないはずの美空の声だった。


「頬が痩せこけて、腕も軽くて……ちゃんとご飯食べてないでしょ……」


 幻聴が聞こえだした。


「倒れてるからびっくりしたよ……」


 まずいな。いよいよ美空のまぼろしまで見えてきちまった。


「まぼろしじゃないよ、ばか……」


 蒸し風呂みたいな室内で、ふと、両脇にひんやりと涼を感じた。

 熱を帯びた全身が冷やされ、沸騰していた脳もクールダウンして、意識が徐々に冴えていく。

 そこでビニール袋に入った氷水が脇に挟まれていることに気づいた。


「美空……」

「美空だよ」

「マジか……」

「マジだよ」


 執筆していたはずが、いつの間にか俺は畳の上に大の字で倒れていた。

 そして俺の頭の横に美空が座り、心配そうな顔で上からのぞいていた。


「軽い熱中症だと思う。手当したから安静にしていればよくなるはずだけど……辛い? もし症状がひどいようだったら救急車呼ぶけど」

「パンチラ」

「え?」

「パンチラのシーン、どうだった?」

「なっ、なに言い出すのいきなり! パンチラって、人が真剣に心配してるのに――」

「真剣に聞いてる。どうだった?」


 いの一番に美空の感想が聞きたかった。

 自身の体を案じる順番は後回しだった。


「俺の家に来てくれたってことは、原稿読んでくれたんだろ。気になるんだ。美空が納得できるデキになっているか。俺はちゃんと美空の心を書けていたか?」


 透徹した眼差しを向ける。視線を、心を、交錯させるように。


「卑怯だよ……そんな目で見つめられたら、もうばかって言えないじゃん」


 美空が瞳を潤ませる。

 目尻から滴がこぼれ落ちるのを防ぐように一度天井を見上げ、しばらくそうしてから、俺の瞳を見つめ返した。


「こんなにはしゃいでたんだね」

「なにが」

「水族館デートの私。文章読むとああすっごくはしゃいでるなって思って」

「演技だったのか、素だったのか、その境界線が曖昧になっているように俺には思えた」

「あと、銭湯入ってすっぴん見せちゃうこと失念してたとか、自分が間抜けすぎて読んでて顔が真っ赤になっちゃったよ」

「ゆっぴーくんが美空のすっぴん顔を守ってくれたから問題ない」

「でも、やっぱ恥ずかしいよ」

「なんで」

「パンチラの描写とか、あるもん。きわっきわな下着履いてる描写」

「この物語はフィクションです。実在の人物や団体などは関係ありません。ってことで」

「実際はフィクションじゃないじゃん。ほとんど実話じゃん」

「実話をベースにしてるなんて俺か美空が言わなきゃだれも気づかないさ」

「……じゃあ、おあいこ」

「おあいこ?」

「階くんも私にパンツ見せて。それで恥ずかしいの、おあいこ」

「そっちこそいきなりなに言い出すんだよ」

「君のパンツを私が洗ってあげるってことだよ」

「え」

「パンツだけじゃなくてシャツもズボンも洗濯する。あと、ご飯。夏バテなんて吹っ飛んじゃうカレー作ってあげるよ。皿洗いもする。掃除だってやってあげる。日用品の買い出しだって。私がやれること全部全部やってあげたい。君が執筆に集中できるように」

「それって……」


「君の手伝いをさせて」


 その台詞が、「ちゃんと美空の心を書けているか」という問いに対する答えだった。


 ずしん、と心に重く響いたものがあった。


 美空が、また俺の隣に居てくれる……。


「私に手伝えること、あるかな?」

「ある。もちろんある!」


 俺はハッキリと告げて上体を起こす。

 心配そうに美空が介抱の手を伸ばすが、平気だ、と目で告げる。

 本当に平気だった。

 美空が隣にいるだけで内燃機関が発火したように全細胞が奮い立つ。


「聞いてくれ、美空。いま原稿の進み具合は九五%ってところなんだ。あとは残り五%、つまり、どういうラストにするか、主人公とヒロインの結末がまだ決まっていない」

「結末が決まってない?」

「決まってないっていうか、決められないんだ。だってそうだろ。モデルにした俺と美空の関係……恋愛関係に進めず、友達関係に戻れず、フッたフラれた関係で停滞したまま決着がついていないんだから」


 俺は美空の真意を理解せずラブコメ協力にずるずる甘えた。

 美空は俺との繋がりをラブコメヒロイン化することでしか持てなかった。

 曖昧な関係のまま、ここまできた。

 この物語を終わらせるには、この関係に答えを出す必要がある。


「今作は俺が美空をラブコメヒロインにして実話ベースで物語を書いてきた。なら、ラストもいまの関係に決着をつけて物語の結末としたい」


 オチというのは物語を通じて作者が出した答えだと俺は考えている。

 だからいまここで決着オチをつける。

 俺たちの関係について。ラブコメの終わり方について。


「俺が出す答えを聞いて、美空の返事を聞かせてほしい」

「私の返事……」

「たとえどういう返事であっても、美空の返事で、このラブコメにピリオドを打つ」

「それが……私の手伝えること」

「ああ」


 美空が、この物語の結末を決める。

 その結末とは――。

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