エピローグ

 暖かな風が頬を撫でた。


 三月。春の訪れを感じながら、私は秋葉原の大型書店を訪れていた。


 ビルの八階。アニメやゲーム、そしてライトノベルなどサブカルジャンルを扱うそこは、普段訪れない階層だから少々迷ってしまった。


「あ」


 ようやく見つけたライトノベル新刊コーナーの平台。

 数十点も並ぶ中から目当ての本を探す。


 だが、ない。


 どれだけ探したって、ない。


 まるであのラブコメと格闘した二人の日々はまぼろしのように、存在してない。


 そのときだった。書店員がガラガラッとキャスター付き書棚をレジ横まで運んできた。

 今日発売の本たちだ。


 そっか。新刊を平台に陳列すると開店時間に間に合わないから、ひとまずそっちの書棚にまとめて売るんだ。


「……あ。あった」


 書棚に並ぶ新刊の中から、ようやく見つけて感嘆に似た声が漏れる。


「本当にあった……あったあった。ちゃんとあった!」


 込み上げる熱い感情に突き動かされて一冊手に取る。

 表紙、裏表紙、背表紙、手触り、厚み、重み、それらひとつひとつを、目で、手で、匂いで確認していく。

 まぼろしでないことを確認していく。


 さっそく一冊買って……ううん、一冊だけじゃダメだ。

 読む用、観賞用、保存用、あと頬ですりすりする用……計四冊買っちゃお。


 四冊を大事に胸に抱え、心を躍らせながらレジに向かう。


 ――これを読む場所は決めている。

 彼の家だ。

 あの小さな六畳間に詰まったクレヨンで塗ったようなカラフルな思い出。そこに浸るように、ひとつひとつページをめくって、彼と私が過ごした特別な時間が書かれた文章を、大事に大事に読もう。


 それはとても、幸福な時間だ。


「えーと、同じタイトルですけど、よろしいですか?」


 レジに持っていくと、書店員が戸惑うように確認してきた。


「はいっ。だいじょうぶです」


 私は晴れやかな気分で笑った。


「これは私のために書かれた小説なので」


 私はいま一度小説のタイトルに目を落とした――。






         このラブコメヒロインは恋ができない。

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このラブコメヒロインは恋ができない aki @aki_1210

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