最終章⑧ ラブコメの結末を決める

「道成さんと付き合いたい――そんな風に思ったことなんて一度もないですから」


 気持ちが冷めたようなジト目。

 突き放すようなつれない台詞。


 一瞬、ドギッと心臓が痛んだ。

 だがすぐに俺は彼女の瞳をのぞいて、その真意に察するところがあった。


 ――美空は、もしかして……。


「道成さんにフラれて気まずくなって、それならいっそ気まずいままでいるべきだと思いました。性格悪いんですよ、私。だって学校の廊下ですれ違って無視しても心が痛まなかったんです。ホント、全然痛みませんから」


 美空とのラブコメ制作を通し、美空がヒロインのラブコメを書いたいまなら、その言葉に乗っかった感情がわかる。

 嘘だと。


「高校一年生のとき、演劇部の打ち合わせで道成さんと過ごしたファミレス。みんながカラオケに遊ぶに行くのに、道成さんはひとり真剣に創作に向き合って、ああ、ノリ悪いなー、カッコつけちゃってるのが逆にカッコ悪いなーって思いました。その瞬間です。その瞬間に嫌いになりました」


 これは演技なのだ。

 演技という嘘をまとって、気持ちと正反対のことを言っている。


「道成さんのラブコメ制作に協力したのは、私をフッたことに対するリベンジですよ。私、自分で自分のことめちゃくちゃ魅力あると思ってますから。そんな私をよくもまあフッてくれましたね。だから道成さんを惚れさせて、今度は私からフッてやろうと計算高く近づいたんです」


 嘘だ。リベンジなんて最初から考えていなかった。


「部活で満足している私は演技に『真剣』だけど『本気』じゃない。プロを目指す道成さんは執筆に『真剣』で『本気』。同じ表現をする者同士でも、その本気度は違う。道成さんは私とは『違う人』。だから道成さんの隣にいて迷惑かけちゃわないかずっと怖かった……なーんて思ったことは一度もないですからね」


 嘘だ。怖かったのだ。


「『本気』じゃない私はいつか自分の恋愛のために、先に進もうとする道成さんの足を引っ張ってしまうんじゃないか。そんなこと、これっぽっちも思ったことないですからね」


 嘘だ。俺の隣にいたいと思いながら、隣にいることで迷惑をかけることに怯えていたのだ。


「丹羽田ちゃんを連れてきて、丹羽田ちゃんが道成さんの腕に抱き付いたときも焦らなかったですよ」


 丹羽田を連れてきたことをきっかけに、美空のアプローチは熱を上げていった。


「手料理作ったり、お泊りしたり、あれこれ作戦考えてアプローチしなきゃ。そう思ったことは、ただの一度もないですからね」


 思っていたのだ。


「水族館のデートはすっごくつまんなかったです。道成さんとのデートでドキドキすることなんてあえりえませんから。デートに着ていく服もテキトーです。本当に、テキトー」


 ガーリー系の可愛らしい私服がいまも鮮明に目に焼きつている。


「クラゲトンネルで一緒に撮った写真なんてもう消しちゃいましたからね。携帯の容量の無駄遣いなので消去ですよ、消去」


 大事な思い出として残しているんだ。


「エスコートはもちろん不満でした。いきなり私の手を握らないでって思いました。もう二度と手を繋いでほしくないです。そして……」


 そして、この演技はただ気持ちと正反対の嘘を言っているだけじゃない。


「そして、そして、デートの終わりには……」


 言葉が詰まり出す。


「二人で協力して仕上げたラブコメのプロットが……」


 のどが震え出す。

 嘘と真の境が曖昧になる。


「ダメ、ダメになって……」


 美空が込み上げる悔しさを堪えるようにぎゅっと胸元を摑む。


「悔しく……悔しくなんか……」


 ない、と言い切れなくなる。


「全部が終わったと思って、私のせいだと思って……けど君が、君がいきなり現れて、次のラブコメヒロインが私だって言われて、びっくりして、すぐにこんな私でいいのか不安に襲われて、でも、でも………君の特別でいられることがどうしようもなく、う、うれ……!」


 感情の堰が崩壊したように再び涙を流す。


「私の、私の気持ちを理解しようと、ボロボロになって書いてくれて……私を君のラブコメヒロインにしてくれて、だから、だから……」


 のどが焼けるような掠れた声。


「私をラブコメヒロインに選んでくれてもちっとも幸せなんかじゃないよ!」


 大声で幸せだと言っていた。


 最後の最後まで、演技を通した。

 物語のラストを、演じることで彩ってくれた。

 俺が美空の物語を書いたように、演技を通して伝えることが彼女なりのやり方だった。


 「――ここまでが《ラブコメタイム》。最後の《ラブコメタイム》。聞いてくれて、ありがとう」


 終幕後の舞台挨拶のように、美空が頭を下げる。


「やっぱり私は演技しかできないから、演技で君の力になってあげたいと思って。だけどもう、もういいよね」


 これからは、フッたフラれた気まずい関係を演じるのではなく――。


「これまではラブコメヒロイン化という嘘でしか君と繋がれなかった。それでどんどんおかしくなってて、変な方向に突っ走っちゃって、心のバランスを崩していって……でも、でもいいんだよね、もう本心で言っても」


 いい。


「いいんだよね。ラブコメヒロイン化以外で君と繋がっても。本当にいいんだよね」


 もちろんだ。


「じゃあ」


 顔を上げた美空は、くしゃくしゃな笑顔を浮かべた。


「大好き、階くん」


 緊張の糸が解けたように、美空が笑った。

 つられて俺も笑った。

 夏の終わりが近づく斜陽に染まる茜色の六畳に、ありのままの気持ちを交換し合うような、二人の笑い声が響いた。




 なあ、親父。

 俺はやっぱりあんたが嫌いだよ。

 けど、いま家を飛び出したときから時間が経って、ひとりで生活のやりくりしているとき、ふと思うことがある。


 ――それでも六〇〇万って大金を俺に投資をしてくれた。利息もつけずに。


 別に俺は心変わりして親父に感謝してるって言いたいわけじゃない。

 ただ、チャンスをくれた事実は覚えておく。


 このチャンスがあったから、俺は創作に真剣に向き合う時間と環境を手に入れてた。

 きっちり書くことに苦しんだ。

 想ってくれる人だって傷つけた。

 そしていまこうして傷つけて苦しみ合ったからこそ二人で笑い合えてた。

 与えられたこの青い時間を経て、最後の最後で見つけた感情があった。腹の底から叫びたいほどの感情があった。


 ――間違いなんかじゃなかった。

 ――たとえこの物語がだれにも評価されないとしても、必死になって書いたことは間違いなんかじゃなかった!


 だからいまは。

 いまだけは賭けよりも、競争よりも、勝ち負けよりも。


 いま瞳に映っている俺のラブコメヒロインとの結末をすぐ文章にしたい。

 心からそう思った。

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