6章① デートイベントを体験する

「できた……やっとできた……」


 早朝。朝日が部屋に射し込む中、俺はいましがた仕上げたプロットと原稿データをチャラ担に送信した。


 充足した疲労感を覚え、バタン、と大の字に倒れる。


 基本的に担当編集にはまずプロットだけ提出するのだが、それじゃあ印象が弱いと危惧して序盤の原稿もセットで送った。「この作品はこういう雰囲気ですよ」と担当がイメージしやすくなるために。


 ――後はプロットが通るかどうかだが……。


 手応えとしてはどうだろうな。

 初ラブコメだから出来については自分でもあまり判断がつかない。


 ただ、悪くないんじゃないかとは思う。

 美空がヒロイン化してくれたおかげで自分ひとりでは考えつかなかったラブコメシチュエーションやアイデアを作品に注ぎ込めた。丹羽田にも協力してもらったしそこは感謝しておかないとな。


 チャラ担から連絡がくるのはおそらく三、四週間後ぐらいだろう。


 しばらくはチャラ担からの連絡待ちだけど、当然その期間もプロットが通る前提で執筆を進めていく。

 この調子でクライマックスのデートシーンまで一気に書き切りたい。


 ――次はデートイベントですね。


 デートシーンをリアリティを持って書くために美空と水族館に行く約束だが、もう来週に迫っていた。


 ――怖い。


〝あの夜〟。つい、ぽろっと漏らした弱音。


「女の子を前に怖いって……あああ、なに情けないこと言ってんだよ俺はああぁぁぁ!」


 ダサいよな。ホント恥ずかしいなぁもう。

 ああ忘れたい。頭を壁に打ちつけてあのときの記憶を失くしたい。


 でも……。


 脇腹を手でさする。あのとき彼女にぎゅっと抱かれた感触は確かで、その細腕から直に伝わってくる温度はいまもまだ残っているようで……。

 その記憶は忘れたくなかった。


〝あの夜〟以降、美空とは直接会っていない。

 メッセージのやり取りはあったが、文章は最低限でどれも事務的な内容ばかりだ。

 でも本当は尋ねたいことがあった。


 ――あのときの美空はどっちだったんだ?


 あれはヒロイン化したミソラだったのか。

 それともフッたフラれた関係の疎遠美空だったのか。

 もしくはもっと別の……。


 窓の外を見た。

 雲ひとつない晴天が広がり、例年より早い梅雨明けを告げていた。


「もう七月か。早いな。ついこないだまで春だったのに」


 いつもなら時間の早さに嫌気が差していたが、一週間後に美空に会えると思うと、早く時間が過ぎてくれないかなと現金にも思う自分がいた。


   ※ ※ ※


 美空との約束、当日。

 池袋の高層ビル屋上に建てられた水族館、そのチケット売り場前が美空との待ち合わせ場所だ。

 で、俺は約束の時刻より一時間も早く到着していた。


「どう考えても早く着きすぎた……」


 家に居てもそわそわして落ち着かなかったからさっさと出たわけだが、デートってこういう気分になるもんなのか。


 ……って、デートって。変に意識しすぎだぞ俺は。


 美空はあくまでラブコメ執筆の参考として協力してくれるだけで、恋愛経験不足の俺にデートってこんな感じですよと教えることに過ぎなくて、ひいてはそれは俺を惚れさせてフるリベンジであって……。


 協力なのにリベンジ?

 

 リベンジが目的なら俺の家に宿泊してまで力を貸してくれるか?

〝あの夜〟みたいに大丈夫なんて優しく抱き締めてくれるか?


 ……よくわかんなくなってきたな。


「……まあひとつ確かなことは、美空とは〝あの夜〟以降の顔合わせか」


 あんな風に後ろから抱き締めてもらった後で、果たして俺はどんな顔すればいいんだろう。

 ひとまず〝あの夜〟のことはひとまず触れない感じでいくか?

「よっ、久しぶり」みたいな爽やかな笑みを浮かべる?

 爽やかな笑みなんて浮かべられるのか俺?


 美空はどんな顔して来るんだろう。


 普通に考えたら……まあいつも通りだよな。

 フッたフラれた気まずい距離を保ち、〝あの夜〟は何事もなかったようなツンと澄ました顔。

 それとも、さすがに何事もなかったように振る舞うのは不自然だと考えるだろうか。

 あえて再会早々に軽くイジってくるかもしれない。

「おや、今日は怖い怖いと子羊みたいにプルプル震えてないんですね。ふふっ」

 みたいな。

 それなら死ねるな。顔真っ赤になって死ねる。


 そうこう思いを巡らせてるうちに待ち合わせ時刻一五分前となって――美空がやって来た。


「おーーい! おっー待たせー!」


 姿を現した美空は――とびっきりの笑顔だった。

 どこか芝居がかったように大きく手を振って、底抜けに明るい声でタタタッと駆け寄ってくる。


 ――このテンションは……まさか今日は初っ端からミソラなのか!?


「久しぶり! やっと会えたね! はぁ、はぁ……。やばっ、つい走ってきちゃった。一秒でも早く会いたくて」


 呼吸を乱しながらも興奮が抑えきれないように早口だ。


「君の姿が見えたら体が勝手に動いちゃった。えへへ。だって君とは一週間以上も直接話せなかったんだもん。ついつい嬉しくなっちゃってもう走っちゃうよね」


 胸に手を当てて呼吸を整え、顔を上げたミソラは花のように笑う。

 ドキッとした。心臓を撃たれたような威力の笑顔に。


 休日とあって今日のミソラは目に華やかなガーリー系の私服だ。柔らかそうな二の腕がのぞくノースリーブの白ブラウスは夏の爽やかさを思わせ、丈の短いフリルのショートパンツからすらりと脚線美が伸びている。私服の可愛さ、そしてミソラの笑顔もあいまって、ドキドキと心臓が高鳴っていく。


「もしかして、結構待たせちゃったかな?」

「あ、ええっと、いやまあ、一時間くらい?」


「――ちょっと、なに寝ぼけたこと言ってるんですか」


 と、声のトーンが一瞬にして冷徹になった。


「ヒロインは学校では周囲の目を気にして主人公と距離を取っているんですよ。それが今日は外でくっつくことができる二人の時間。嬉しすぎてつい走っちゃうような健気な子です。それなのに一時間待ったとか、正直に答えすぎです。そこは待ってないフリしてあげてくださいよ。基本的に女の子が反応に困ることはデートではNGです。減点一です」


 はあ、と呆れたように肩をすくめるミソラ。

 いや、美空に切り替わっている。


「いいですか、《ラブコメタイム》はもうはじまっています。私も私でヒロイン役になりきって全力でやるので、今日は道成さんもできる限りデートイベントを成功させる主人公の気分になってください。そうしてデート経験を積んだ上で、デートシーンの執筆に励んでください」

「は、はい……わかりました」


 緊張のせいか思わず敬語になってしまう。


「というか、一時間前から着いていたんですか? さすがに早すぎません?」

「いやまあ確かにそうなんだが、その、なんていうか……」

「なんていうか?」

「家に居ても落ち着かなかったってのもあるけど、絶対に遅刻しちゃいけないと思って。今日は大事な日だから」

「大事な日……」


 美空がどこか意表をつかれたように俺の台詞を繰り返す。


「まあ、その気持ちは……嬉しいです」


 どことなく面映ゆそうに口にして、だがすぐに気を取りなす。


「さあ、さっそく入場チケットを購入しに行きましょう。ぼさっとしてると置いてきますよ」


 一足先にスタスタと歩く。

 そんな美空の後ろ姿を見て思う。


 ――〝あの夜〟については一言も言及なし、か。


 いま俺の目に映るのはフッたフラれた関係の疎遠美空と、ラブコメヒロイン化したミソラが半々でいるだけだ。

 それ以外の彼女は映っていない。

〝あの夜〟のような彼女は映っていない。


 ――いつも通り、ってことでいいのか?


 チケットを購入し、俺と美空は入口ゲートをくぐった。その直後だった。


「さ、一緒にいこっ」


 美空が肩を寄せて俺の片腕を抱いた。

 恋人同士がするいわゆる「腕組み」。


「う、腕っ……お、おい美空――」


 いや、この態度はミソラか。ええい、目まぐるしい。


「さ、作中で恋人同士になったって設定だからって、別にそこまでやらなくても……うおっ」


 全身に微電流が走ったかのように声を上げた。マシュマロのような弾力を腕に感じて。

 まさか、と目線を下げると美空が俺の腕にバストを押し当てていた。


「驚いた声出してどうしたのかな。なにかあった?」


 とぼけた口調で言いながら、俺の反応を楽しむようにこにこ笑うミソラ。


「いいでしょ。わたしだって君と腕組んだって」


 わたしだって――。

 その台詞はニワダを意識しているようだった。


 現にいまミソラが抱いている腕は、前にニワダが抱いた側と同じ。そこを独り占めするように、ニワダの感触を上書きするように、ぎゅっと抱き締める。


 む、胸の感触が当たって……今日の《ラブコメタイム》はいつもより過激すぎないか。

 この先、一体どうなるんだ……。

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