6章② デートイベントを体験する
水族館はまず屋内エリアを巡る順路となっていた。
屋内エリアは照明が絞られてダークな雰囲気に艶めき、一方で水槽は青白い照明で輝き、その計算されたコントラストによってカップルにうってつけのうっとりするようなムードが演出されていた。
実際、周りにはカップルが多かった。
――なんだろうな、この場違い感は。俺なんか冴えない執筆オタクがキラキラした恋愛リアリティーショーに間違って参加しちゃったような……。
「どうしたの、きょろきょろして」
「あ、いや、同い年ぐらいのカップル多いなっていうか、俺なんかがミソラと歩いていいのかなって……」
「ん? どうして?」
「それは――」
恋人連れの男たちはだれもがカッコよく映った。
髪型に清潔があって、整髪料のつけ方もこなれた感じで、服装もがんばってますみたいな雰囲気じゃなくて、だれもが自然体のカッコよさなのだ。
で、そういう男たちがさっきからやけにこちらに視線を向けている。自分の彼女と美空、二者のルックスを比較するように。
で、顔をしかめるか眉間にしわを寄せる。美空の美貌に自分の彼女が敗北したように。
で、なんであんな美少女の隣に冴えないオタクがいるんだ? と訝るような目つきに変わる。
「俺、ホント小説しか書いてこなかったからデート経験なんてなくて……。服のセンスとかないし、腕組んで歩いたことないからぎこちないし、顔だって別にいいわけじゃないし――」
あ、しまった。
いまの発言って女の子が反応に困るやつじゃん。減点一だ。今回は俺もちゃんとエスコートしなきゃいけないのに……。
「カッコいいじゃん、君」
が、彼女はさも当たり前のようにさらりとそう言ってのけた。
俺?
俺がカッコいい?
「わたしは知ってるよ。一途で、熱心で、懸命なところ。ほかの人の目なんてどうでもいいよ。私だけが知ってるからればいいんだ。そういう君のカッコいいところ」
なんちゃって、とどこか照れをごまかすようにちろっと赤い舌を出す彼女。
いまの台詞はどこか美空を……いや、ミソラか?
呆然としていると、「こっちこっち」とミソラが引っ張っていく。その明るい強引さに、最初はぎこちなかった歩き方も徐々になれていき、恋人たちの空間に溶け込むように、俺とミソラは水族館内を巡っていく。
最初はチンアナゴのエリアだった。
「見て見て、チンアナゴだよ! なにこの可愛い生き物……巣穴からにょきっと顔出して……え、可愛い。ゆらゆら体ごと揺れて可愛い」
「顔が水槽にくっついてるぞ。興奮しすぎだ」
「あ、巣穴に潜っちゃった……あっ、また顔出してくれた! やばい。可愛い。愛でたい。飼って愛でたい。でも飼えない……。そうだ。お土産売り場でぬいぐるみ買えばいいじゃん! 決まり! 爆買いしよ! 爆買い。可愛い」
「語彙が崩壊して限界オタクみたいになってるぞ」
「だってだって可愛いじゃん。えへへ」
弾けそうなミソラの笑顔に、くらっとしかけた。
「まあ……可愛いけどさ」
チンアナゴを見つめる美空も可愛いけどな、と口に出す勇気はさすがに出なかった。
――って、美空も可愛い?
そこでふと、引っかかった。
いま俺、美空だと思った?
ああそうか。可愛らしい八重歯をのぞかせたその一瞬、一緒に演劇部で活動していたときの美空と重なって見えたんだ。
どこまでが芝居でどこまでが芝居じゃないのか。
嘘と真の境界がわからなくなる。
今日の彼女はやっぱり普段の《ラブコメタイム》とは違うような……。
次に移動したエリアはクラゲトンネルのエリアだった。
「わぁ、水槽がトンネルになってるよ。まるで海の中を歩いてるみたいな……たくさんのクラゲ……ねえねえ、写真撮ろうよっ」
「じゃあクラゲを背景にする感じで俺がミソラを撮れば……」
「違うよっ。一緒に写るんだよ。わたしと君で」
「え、一緒って……」
「あ、すいませーん。ちょっと写真撮ってもらっていいですかー?」
ミソラが通りすがりの若い女性を呼び止めた。カメラモードに設定した携帯を女性に手渡すと、俺の隣に戻ってくる。
「それじゃあ撮りますよー」
携帯のカメラレンズを向けられ、美空は可愛らしくピースしていたが、俺はといえば心の準備が整っておらず挙動不審になっていた。
えっと、こういうときってどんなポーズすればいいの?
恋人同士って設定だからそれっぽく写らないといけないよな? でもそれっぽいってなんだ? 仕草は? 表情は?
わからん。まったくわからん。
「あはは、彼氏さん硬すぎますよー。それじゃあ
女性が苦笑いする。
無理もなかった。緊張と混乱のあまり俺は直立不動となっていた。
「もー、学校の集合写真みたいな立ち方になってるよ、彼氏さん」
彼氏さん。ミソラが愉快そうにあえてその呼び名を重ねる。
「でもそっか、映えかー。うーん、映え、映え……」
ミソラが少し考え込んで、そうだ、となにか閃いたように手を叩いた。
「じゃ、こうしよ」
「こうって?」
「こうだよ。えいっ」
どっ、と背中に柔らかな感触がぶつかった。
柔らかな細腕で胴回りを包まれるようにして抱かれ、服越しでも人肌の温度がじんわりと伝わってくる。
覚えのある感触と温度だった。
〝あの夜〟の感触と温度だった。
カシャン、と携帯カメラのシャッター音。
一瞬がすぐさま画像処理される。ミソラの手元に返された携帯画面には、背後から抱くミソラと目を丸めて驚く俺を側面から映し出していた。
なんつー不格好な写り方してんだ、俺……。
女性がもう一度撮り直しましょうかと言ってくれるが、ミソラは首を横に振って愉快そうに笑った。
「あはっ。いいです。これでいいです。これがいいんです。あはは!」
「おい笑いすぎだぞ」
「だって、まったく映えてないんだもん。あははははっ!」
「なんだか無性に恥ずかしくなってきた。消してくれ」
「やーだよ。映えてないけど思い出としては十分だもーん!」
「消せ」
「消さないよっ。絶対に消さないよー!」
俺が携帯を奪おうとすると、ミソラがひょいとかわす。
そして大事そうに携帯を胸に抱え、満足そうな笑顔のまま一足先に次のエリアへと向かっていく。
ひとり置いていかれた俺はため息を吐きつつも、無意識のうちに抱かれた胴回りをさすっていた。
二度目だ。これで抱かれたのは二度目。
でも今回は一度目と違って、人前で堂々と抱かれて……。
さっきの腕組みといい、今日のアプローチは積極的やしないだろうか。
まるで美空自身が気まずい距離感を忘れているような……。
次に訪れた屋外のペンギンエリアは人で溢れ返っていた。
「こ、混んでるね……」
ペンギンの飼育槽の前は人垣ができて近づくこともできず、多くの人頭が邪魔でちらっと見ることも難しい。
「はあ、残念。これだけ人で賑わっていたらなかなか見れないよね……」
しょげた声で肩落とすミソラ。本気で残念がっているようだ。
「仕方ないよね。次、行こっか……。はあ、ペンギン観たかったなぁ……ぺむぺむ……」
謎のペンギン口調はともかく、気落ちしている姿を見るのはなんだか忍びなかった。
なんとかならないだろうかと俺は辺りをきょろきょろと見回し、そこでアイデアを思いつく。
「ミソラ、こっちだ。こっち」
「こっち? こっちって? え、ちょっと」
ペンギンを観たいなら人垣の中に割って入るのだろうが、俺はむしろ飼育槽からどんどん離れていく。
「ねえってば、どこ行くの?」
「安心してくれ。すぐ着くから」
「ねえ」
「もうすぐだ。もうすぐもうすぐ」
「そうじゃなくて、手」
「手?」
「手、ちょっと痛いかも」
「あ」
いつの間にか俺はミソラの手を取っていた。
無意識だった。人混みに呑まれないよう彼女の白い手のひらをぎゅっと強く握っていた。
「す、すまん!」
慌てて手を離す。
「マジですまん。つい加減がわからなくて……。痛むか?」
「う、ううん。もう大丈夫だよ。へーき」
美空は安心させるように微笑む。
「それで、どこ行くつもりだったの?」
「ああそれは……着いた。もう着いてる」
「え、着いたって、ここ?」
別エリアに通じるステップを一段二段と登って、踊り場のようなフラットになった床の上に立つと、俺は一八〇度振り向いて言った。
「ほら、振り向いて」
「……わあっ、ペンギンがたくさん見れる!」
狙い通りだった。高低差を利用して見下ろす形でペンギンエリアの全景が一望できた。ガラパゴス諸島を思わせるごつごつした岩肌の飼育槽にペンギンの群れがとてとて歩いている。
「ここならペンギンたちを眺められるよな。間近でってわけにはいかないけど」
「ううん! 十分だよっ、ありがと!」
ミソラが瞳をキラキラと輝かせる。
よかった。デートがはじまってから慣れない状況についていくのにいっぱいいっぱいだったから、こうして彼女を少しでも喜ばせられることができて安堵して――。
そのとき、手のひらに温度を感じた。
目線を下ろすと、今度はミソラから俺の手を握っていた。
「――――っ」
俺は不意打ちを食らった気分だったが、ミソラは特になにも言わずそうしていた。柔らかく、包み込むように。
「美そ――」
「ペンギンっ」
「え」
「真っ直ぐ、ペンギン観てっ」
美空へと向けようとした首が止まる。
「私も、ペンギン観てるから」
「お、おう……」
美空の顔を見たら、俺も真っ赤になった顔を見られると思って、その提案を受け入れた。
おそらく美空もいま俺と同じような顔をしているのかもしれない……。
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