6章③ デートイベントを体験する
それからもミソラに手を引かれて水族館巡りは続いた。
アシカショー、イワシのトルネード、アザラシの給餌……。
その間、会話がなかったが、不思議と気まずい感じはなく、むしろ居心地の良さすらあった。
ひとしきり館内を巡って、屋外にある休憩エリアでミソラがようやく口にした。
「のど渇いちゃった。ちょっと待ってて、わたし、売店で飲み物買ってくるから」
俺はひとりベンチに腰掛け、カフェショップへと消えて行くミソラを見つめていた。その足取りは鼻歌でも歌うような弾んでいた。
――ミソラは……美空は楽しんでるな。
いや、俺もか。
さっきまで彼女に握られていた手のひらを見つめる。春のようなほのかな暖かさが残っていた。
そっか。
もしあのとき美空をフラなかったら、付き合っていたら、きっとこういう日常が待っていたんだな。
小説も、親父との賭けも、ほかのことなんてどうでもいいやって思えるほど、楽しい美空との一日。
楽しい。
そりゃ楽しいよな。
俺だって、美空を……。
――私、好きっ。この脚本(ホン)!
高一のとき、俺の脚本を読んだ美空の第一声がそれだった。
他者からもらったはじめての感想だった。
これまで書いてきた作品はウェブに投稿してもろくにレビューされず、新人賞では一次選考落選で評価シートすらもらえなかった。
だから直接感想を、それも好きと言ってもらえて、胸がくすぐったくなった。
――自分が創ったものを好きって言ってもらえるって、こんなにも嬉しいものなんだ。
そして舞台本番。
俺が書き上げたフィクションを美空が纏い、舞台上で声を手を表情を身体全部使ってキャラクターをいきいきと表現する躍動に目を奪われた。
率直に、感動した。
美しい夜景が一望できるタワマンに住んでても決して感動することはなかったけど、いま舞台上で演じている彼女に感動していた。
俺の感動は表現の世界にあった。
――楽しかった! 階くんが脚本書いてくれてホントよかったあ! ありがとう!
終演後、額に汗を浮かべながら真っ先に感謝を口にした美空の笑顔は、いまでも目を瞑れば鮮やかに思い出せるほど美しく鮮烈だった。
その瞬間だ。美空に惚れたのは。
だからこそつくづく思う。もっと早く小説で結果を出せていればどれほどよかったか。
美空をフることもなく、今日のような楽しい日常が……。
いや、まだだ。
まだ遅くない。
ラブコメだ。
いま取りかかっている作品で結果を出せばきっと彼女を――
直後、ポケットの携帯が振動した。
着信に思考が途切れる。
美空がなにかあって電話してきたのかな、と特に気構えもなく携帯画面を見てた。
違った。火炎文庫編集部からの着信だった。
どくんと、心臓が大きく跳ねた。
――きた。
直感する。プロットについての連絡だ。
――けど、早い。
まだプロットを送って一週間だ。三、四週間後だと思っていたのに。
この判断の早さは……プロットの出来が一目見で判断できたからか。
つまり、どっちかだ。
すぐに完成原稿を送ってほしいと期待される内容だったか。
このプロットじゃ通用しないからほかを用意すべきと期待に応えられなかったか。
どっちだ?
手のひらがじわりと汗ばむ。
心臓が急速に早鐘を打ちはじめる。
あまりの緊張でえずきそうになる。
ブルル。ブルル。
振動し続ける携帯。電話に出れば作品の判決が下る。結果を知りたい。でも怖くて結果を知りたくない。相反する気持ちがせめぎ合う。
指が震える。
通話アイコンをタップできない。
出ないと。出ないと。
出ろ。出ろ。出ろ。
「火炎文庫編集部の茶来です」
通話をタップして、チャラ担の声が響く。
声が硬い。まずそう思った。
いつもの軽薄とした感じが鳴りを潜めている。大人がビジネスの話をするときの声だ。
「プロットの件なんだけど、いま、電話いいかな」
大丈夫です。どうぞ。
緊張で思わず声が掠れた。
「では、さっそく結論から――」
合格か不合格か。
うるさく騒ぐ心音の中で、チャラ担は作品の運命を下した。
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